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『三重に偉大な議長の優雅な生活』第15話
3 仕事前の回想と雑談
五の月上旬の〈解放と芸術の日〉に催されることが決定した大音楽祭。
この大音楽祭の開催にはちょっとした経緯がある。
護民卿の暴政により、独裁制時代には祝日が全体の三分の一に減らされた時期があった。いかにあの頃の政治が狂っていたかがよく判る。『休むな、働け、愚民ども!』というわけだ。民を護るなんて名称は全くもって飾りに過ぎなかった。
独裁制の打倒後、祝祭日は凡て元に戻ったが、それから二年経った一昨年頃から、共和制樹立を記念して何か祝日を設けよう、記念の祭典を行おう、それも民衆らを中心に据えた盛大なものにしようという意見がどこからともなく出始めたのだ。
『なんでもいいや、適当に決めようぜ』
『適当はまずいでしょう』
『議長、祭典のことだが、自分たちで内容を決めたいという国民の声が強い』
『んじゃ国民投票にしよう』
『祝日の名称は後回し?』
『いや、それも国民投票で』
『こっちで幾つか候補を提示したほうが、みんな決めやすくないか?』
『なるほど、じゃあそれで』
『議長、そない簡単に投票投票言うてくれるけど、予算はどないすんねん』
『あ? それをどうにかするのがお前の仕事だろ』
『こらあかん。破産やわ』
『嘘嘘、冗談だって』
『冗談に聞こえんわ!』
数度に亘る打ち合わせと毎回伴うすったもんだの末、ようやく行われた国民投票により最終的に決まったのが、〈解放と芸術の日〉なる名称と、芸術の復興を願っての音楽演奏会開催案だった。
場所はここ、〈春風と果実の都〉の宮廷内。開催日時は祝日当日、参加者の要項もすぐさま告示され、民間に知れ渡るところとなった。
『チッ、五の月上旬か。どうせなら三の月が良かったよなあ、六の月とか九の月とか』
『無茶言うなよ。共和制樹立の日にちは変えようがないだろう』
『あーあ、どうして五の月なんかに発足しちまったのかなあ』
『ライア! もといライア議長!』
『な、なんだよジールセン』
『よもや宮廷襲撃が五の月にずれ込んだ理由、忘れたとは言わせんぞ』
『あ、ああ。そりゃあまあ』
『そもそもライア、議長が襲撃の直前に風邪などひくから、一ヶ月以上も予定が延期してしまったのではないか。一ヶ月以上も!』
『判ってるって。でもあのときの風邪はほんときつくて』
『それほどきつかったのなら、家でずっと寝ていれば良かったのだ! それを我らの忠告を無視して本隊と合流し、あまつさえ大事な尖兵たちに風邪を伝染して回り! あれから完全に態勢を立て直すのに、どれほど資金と時間を要したと思っておるのだ』
『わ、判った、俺が悪かった。いや悪気はなかったんだけど』
『当たり前だ! 決行日時に備え、武具の調達も怠りなく、決死の覚悟で計画に身を投じてきたわたしの努力をことごとく灰燼に帰しおって。貴様は、もとい貴殿という奴は』
『…………』
普段は冷静沈着なジールセンのらしからぬ怒りにも手を焼いたが、何にもまして困ったのは大音楽祭の参加に関することだった。
条件は以下の通り。
さほど長時間でなく、過激すぎないという点さえ守れば、基本的にどんな歌曲でも可。使う楽器や人数、編成にも決まりはない。必要な資格も特になし。国籍も問わない。
もちろん評議員とて例外ではないので、俺は早速ほかの議員たちに打診した。
したのだが。
『俺も出ていいんだよな?』
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
『…………』
『なあ、俺も音楽祭に、』
『これより、議長不信任案決議を開きたい』
『何? おいジールセン』
『右に同じく』
『同じく』
『まっ待てよフィオ、お前まで』
『俺も賛成に一票』
『おい、ピート』
『同じく』
『同じく』
『こればっかりは、わても外務大臣に賛成でっせ』
『待てっつーのおい!』
告示直後に俺が参加の旨を伝えたところ、あわや初の議長不信任案可決かという緊急事態に陥ったため、今回は渋々自粛せねばならなかったのだ。
何故だ。何故なんだ。ジールセンやギャンカルはともかく、俺陣営にいるはずのピートやフィオまで。どうして俺が歌や演奏を始めようとすると、雁首揃えて反対する? そこだけは納得いかん。
吟遊詩人としての俺を知る街の連中に見られてもいいよう、解放軍設立の際不採用となった別の仮面を着用する計画まで立てていたのに、何もかも水の泡だ。
俺は大音楽祭にまつわる業腹な過去を苦々しく思いつつ、第二秘書の淹れた泡一つ立っていない紅茶をガブリと飲み込んだ。
「護民卿の時代から考えると、真っ当な世の中になったものですね」
「そうだな。ろくでもない時代だったよな、あの頃は」
紅茶を飲み干し、遠い眼をして呟く。俺が大音楽祭に出られないこの時代が、本当に真っ当かどうかは大いに留保したいところだが。
「やっぱり芸術と政治はしっかり切り離しておかんとな。あと宗教も」
「神官団の皆様方も、大層気合いが入っておられましたよ」
「何?」一気に怒りが湧いた。「あいつら参加しやがるのか、この俺を差し置いて。ひでえ話だ」
「いえいえ違います。半年前から製作していた至上神の立像が、このほど完成したんです」
「ああ、筆頭者の景品とかいう」
聞いたことがある。国中の著名な彫刻家たちを集めたとかで、いつだったか神官長のジジイがえらく息巻いていやがったっけ。
「誰も要らねーっつーのな、そんなもん」
「まあそうおっしゃらずに。猊下には神官の長たる威信もありますから」
「口煩いだけじゃねーかあんなもん。ただのお喋りジジイだ。老害もいいとこだ」
「…………」
「お前もそう思うだろ?」
「お答えできません。僕は何も聞いてませんので」
この大音楽祭には、最も優れた演奏・歌唱を披露した個人あるいは一楽団に〈楽師筆頭〉の称号を与え、栄誉を讃える定めになっていた。芸術に順位をつけるみたいで俺はあまり好きになれないが、目標があればそれなりに上達もするだろうから無下に否定はできない。
しかも神官団連中ときたら、楽師筆頭を決める審査員を自任するのみならず、法外な額を投じて筆頭者用の景品を用意し、自分らの威厳を保とうと努めていやがるのだ。音楽と宗教を巧妙に関連づけんとする、いかにもあの古狸集団らしい狡猾なやり口じゃないか。腹立たしい。
「景品はともかく、俺が参加したらもっと盛り上がるんだがなあ」
「そうですね。ただ、歌唱部門だと暴動になりますからご自重ください」
「うるせえな。ところでこの大音楽祭って、廷内のどこでやるんだ?」
「あれ、ご存じないんですか?」
「場所の指定までは関知してないからな。あの趣味の悪い大浴場とかか?」
「違いますって。空中庭園ですよ。こないだも議題に上ったはずですが」
こないだ? そんな話出たっけか。
「議事録に書いてありましたよ。外務大臣がご自分の官邸と一緒に、庭園も増築しているって」
ああ、そのことか。
「その庭園ってのはジールセンの所有か?」
「いえ、違います」
「なるほど。てことは庭園のほうを隠れ蓑に使ってるわけだな」
「勘繰りも程々に願います」ドルクは咳払いして、「工事もいよいよ大詰めらしいですよ。今は庭園南の〈そよ風と光輝の広場〉に迫り出す恰好の、巨きな舞台を造っているんです」
「ふうん」
興味なげに脚を組み替える。
「お時間も空いてますし、これからご覧になってはいかがですか? 今ならマリミ姫もおりませんし」
さすが第二秘書。俺が姫君を敬遠気味なのを熟知している。
「おや、かのご令嬢はもう散歩の時間か。もっと遅かったはずだが」
「道順を変えたと伺っておりますが」
「そのせいか。大方新しい安売りの店でも見つけたんだろ」
「さあ、そこまでは」
遠くで時刻を告げる鐘楼の、重厚な音が鳴り響いた。
さてと。
そろそろ動くとするか。
「出かけてくる」
「姫君にお会いなさるんですか」
「違う」
「夕方には戻ってきてください。文化庁の方との会食がありますので」
曖昧に頷いて部屋を出る。さすがに、この恰好で忍び込むのは自殺行為だ。仮面を被った上で、服も着替えておく必要がある。
にしても、真っ昼間から変装か。それもこの廷内で。面白くないと言えば嘘になるが、見つかったら一大事だ。議長の沽券に関わるし、ここはいつも以上に注意深くいこう。
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