お母さんが旅立つ9ヶ月前、何年ぶり?かの喧嘩をした。 妹の出産の当日。里帰りする妹の事で喧嘩になった。 私は姉として妹の為に母を責める口調で話した。母は声を荒げて怒り、ドアをドーンバッタン!と凄まじい勢いで帰って行った。 直接的に母を責めたわけでは無い…けど、間接的には責めた。 そしてそれを私は詫びる事はなかった。むしろ、母が私に謝るべきだと3ヶ月ほどろくに口を聞かなかった。 その間に母は少しの期間再入院するのやけど、ほとんど会いに行かなかった。葬式にも出たく無いと
近所に、並外れた旨さの手打ち蕎麦屋がある。夏場は開店後30分で営業終了になる程の人気店。この店にはかれこれ二十年近く通っている。 初めて訪れたのは父の会社で働いていた時。感動して毎日のように開店時間に合わせて通い詰めた。注文はいつもザル蕎麦大盛り。 父はいつも豪快に蕎麦をすする。そして、カッターシャツに汁が飛ぶ。あー旨い!今日の蕎麦はどこの小麦?と聞く。よく笑った。良い思い出の店。 その蕎麦屋に妹が臨月の時4人で行った。 私と父はザル蕎麦大盛り。妹は何か忘れたw 母は
お父さんお母さんが息を引き取った時、手を握って、ありがとうと何度も言った。 大粒の涙で前は見えなかった。 痩せ細った手を握り返して欲しくて強く握ってしまってたかも。痛くなかったかな あの時、走馬灯とやらを見たのは間違いなく私。 私の名前を笑顔で呼ぶいろんな瞬間のお母さんとお父さん。幸せをありがとう。それしかなかった お父さんお母さんは、どんな走馬灯を見たんやろう。 私が死ぬ時は走馬灯にお父さんお母さんは出てくるのかな。 今日はとても寂しい気持ちになってるのは雨の