見出し画像

あの薬指で煌めく幸せのエネルギーを、私も

婚活の記録を綴ろうと思っていたのに、お見合いをする前段階まで書いて飽きてしまっていた。ここからが"婚活"だというのに…!
もう1年も前になってしまったけれど、きっといつか思い出したくなる経験なので、忘れないうちに、気分が乗ったらまた書きたいな。
ただ、今日は指輪を買った話をする。

---

婚約指輪を自分で買った。正しくは、婚約指輪をもらわなかったことへの後悔の念を鎮めるための"鎮魂指輪"を買った。

7月に結婚相談所に入会し、月末にプロフィールが公開された私は、18人のお見合いと5人の仮交際(お見合いで双方よいと思った人とLINEをしたり食事をしたりして関係を深める期間)を経て、あれよあれよと9月の頭にはのちの夫と真剣交際(結婚を前提としたお付き合い)を始めていた。

私が利用していたIBJというプラットフォームでは、プロポーズをして/されて"婚約する"ことが成婚退会(結婚相談所からの卒業)の定義だった。

私はロマンチストとは対極なところにおり、というか、ロマンチックな状況に置かれた自分を想像するとなんだかゾワゾワするような、想像するのも烏滸がましいというような気持ちになってしまい、そのためプロポーズや婚約指輪にあまり興味が持てなかった。最終的に結婚してくれること、その結婚生活がうまくいき続けることが目的なのだから、その過程についてはあまりにもどうでもよかった。
また、ライフスタイルを考えるとジュエリーを身につける機会が少なく、高価な指輪をもらっても箪笥の肥やしになるだけだろうと(当時は)感じていたので、指輪のために高いお金を使ってもらうのはなんだか不相応だと思っていた。

一方夫はもとより装飾品に一切興味がない。現に夫は結婚指輪を含むアクセサリーを日常的に一切つけないし、時計もネクタイもしない。ベルトは特定の形のものしかつけず、交際当初は「これ高校生くらいから使ってるわ」というボロボロのものを使っていたくらいだった(何かのタイミングで似たような形で似たような色のものをプレゼントしたら今はそれしか使っていない)。そのくらい装飾品全般に興味がなく、むしろ煩わしいとさえ思っている人だ。

そんな私たちだったので、婚約指輪はいらないという結論で双方合意した。

仲人の加賀さんにプロポーズの希望をヒアリングされる場面もあったが、「場所は…レストランとか人がたくさんいるところは嫌だしまあホテル…?(ホテルである必要あるか…?)指輪はいらなくて…花…花も世話ができないから特に…まあもらったら嬉しいかも…?手紙…はもらったら嬉しいかもしれないけれど…(自分自身が書くのが苦手でカウンターレター:プロポーズ時にお手紙をもらうことを想定して書く、返事や自分の決意を表明するための手紙、私が活動していた相談所では推奨されていた:を書くのが嫌だから別にいらないな…)」と思っていた。
おそらく夫も同じような気持ちだった。私たちは「演出された場で演出に没頭できず俯瞰して冷めてしまう」捻くれた2人なのだ。

結局加賀さんのヒアリングは虚しく、私たちは家デートのときにサクッと"結婚しよう"と言ってもらったそれを"プロポーズ"とし、相談所を退会することに決めた。
一切の甘美さはないけれど、その後ちゃんと入籍しているし、全てのエピソードが私たちらしいとさえ思っている。

プロポーズ前もプロポーズ時も入籍時も、それから少しの間も、婚約指輪が欲しいと思ったことは一度もなかった。婚約指輪はいらないけれど結婚指輪は絶対欲しいものが欲しい!と買ってもらった憧れブランドの結婚指輪をつけるだけで心が満たされていたし、鎮魂指輪を買った今も夫に買ってもらった結婚指輪が一番大切なジュエリーであることに違いはない。

---

さて、入籍から数ヶ月後のある日、私は活動していた相談所"ナレソメ予備校"の「成婚パーティー」に参加した。そこで、多くの女の子たちが薬指につけているソリテールを見て、初めて「可愛い!羨ましい!私ももらっておけばよかった…!」という気持ちになった。
羨ましい、と思ったのにはもう一つ理由があった。パーティーには総勢160名(仲人やスタッフ含む)が参加していたが、そのほとんどがパートナー参加していた。我が家は夫がナレソメ以外の相談所を利用していたこと(パーティー自体は片方がナレソメであればカップルで参加可能)、パーティーなど人が多い社交の場が好きではないことなどから私一人で参加していたし、初めから夫が来ることに期待もしていなかった。はずだったのに、パートナーと肩を並べ、談笑し、グラスを持つその左手の薬指に光る一粒のダイヤモンドの眩しさにほんの少しジェラシーを感じ、私はそのジェラシーから目を背けることができなかった。

何度も言うが、それまで一度だって婚約指輪が欲しいと思ったことはなかった。むしろいらないと思っていた。ただ、私も含めそこにいる女の子のほとんどは婚約あるいは新婚期間なので、無論ハッピーオーラを纏っており、その中でキラッと輝くソリテールたちにはとてつもないパワーがあった。私はあの幸せ空間の中で煌めくダイヤモンドとそれを纏う女の子たちから放出される圧倒的なエネルギーを、どうしても忘れられなかった。

帰宅してすぐ、夫に一連の感情の動きを伝えた。夫は「いや、今更何を…?」という反応で、それは想定済かつ納得のできるものだった。本当に、今更何を…?である。
そうは言っても私はもう"指輪が欲しい側"の人間になってしまったのだ。あの薬指で煌めく幸せのエネルギーを、私も身に纏ってみたいとどうしたって思ってしまったのだ。

買った後に「えっ何それ…」と言われたくなかったので、「ダイヤの指輪を自分で買おうと思う」と宣言した。装飾品にお金をかけることに対してネガティブな夫の反応は案の定ネガティブだったが、「まあ自分のお金で買うなら…」と承諾してくれた(ありがたい)。

その日から私の鎮魂指輪探しの旅は始まった。

せっかく自分で買うんだし、普段使いしやすいデザインにしよう。相場は分からないけれど、勝倉さん("ナレソメ予備校"の代表)が婚活男性に向けて「向こう50年のご機嫌代だと思って100万円までなら黙って払え」というようなことを言っていたので、私も100万円までなら黙って払おうと決めた。

とはいえこの指輪は夫が生活費の多くを負担してくれているために貯まったお金で買うのだから、実質夫が買ってくれたのと同然だと思っていた。夫よありがとうという気持ちを胸に、隙を見つけては宝飾店に行き、試着を繰り返し、あれもいいしこれもいいなと思う日々を送った。

ある日、結婚指輪をつけながらソリテールを探していることの違和感に自分自信が耐えられず、「婚約指輪をもらうときは本当にいらないって思ってて、でも友人がつけているのを見たら欲しくなっちゃって、今更夫にもらうのも変だなと思って、だから自分で買おうと思って探してるんです」と聞かれてもいないのに説明、というか言い訳をした。
宝飾店の方は、「欲しいと思ったときが買うタイミングですよ」と言ってくれた。本当は今更ダイヤの指輪を買おうとしていることに少し後ろめたさがあった。でも、私には"今"だったのだから、自信を持って指輪を買おうと思えた。ような気がした。本当はちょっと後ろめたい。納得できる物語と、納得できる指輪を探していた。

宝飾店をまわっているうちに、ソリテールではなく、エタニティリングを買おうと心変わりしていた。当初は「婚約指輪(に代わる指輪)が欲しい!」ということしか考えていなかったため、ソリテール以外候補になかったが、あるお店の方に「"婚約指輪"に拘らないのであれば、重ね付けしやすく使いやすいエタニティにするのはどうだろうか」と提案され、試し、すごくしっくりきていた。
これなら入籍後の今買っても違和感がないし、デザインも普遍的で飽きがこない、結婚指輪を引き立たせるためのダイヤモンドリング、その役割の全てに納得感があった。

情報収集する中で、気になるジュエリーサロンを見つけた。有名なブランドではないけれど、口コミやSNSから、適正価格で信頼できるものを作ってそうだなと感じていた。

---

7月に結婚式を行なった。
私は100万円単位の支払いを控え、少し頭がおかしくなっていた。大きなお金を動かすことへの抵抗感が減っていた。
加えて以前より気になっていたジュエリーサロンから、金の高騰により価格改定(値上げ)するというお知らせがあった。
指輪を買うなら今しかない、と思った。

私はいつだって石橋を叩いて叩いて駆け抜ける。夫とのお見合いが終わった瞬間「この人と結婚する」と(勝手に)決め、そこから30日後には婚約し、「親に言いづらいから形式上半年くらい付き合いたい…」とか言っていた夫を、結局初対面から4ヶ月で入籍まで持ち込んだ女なのだ(相談所にはもっと速い人も全然いるけどね)。

そうしてこのたび、念願のハーフエタニティリングを手に入れた。少し前に指輪が出来上がった連絡があり、郵送で自宅に送ってもらった。夫が出張でいない日を指定して送ってもらったので、夫は私が本当に指輪を買ったことをまだ知らない。今のところわざわざ知らせる予定もないが、気づかれたら言うつもりではある。

いつ開封するか迷っていたけれど、プロポーズ1周年の日にしようと決めた。家でサクッと言ってもらっただけなので"記念日"というほどでもないけれど、この指輪を開封するのに相応しいのはその日しかないだろうと思っていた。そう思っていたのに、記念日の2日前に友人の結婚式があり、私の薬指にはダイヤモンドが煌めいていた。
結婚式に来ていた友人たちはみんな既婚者で、その薬指にはソリテールが光っていたけれど、私の心が乱れることはなかった。婚約指輪に熱烈に憧れる私の魂は無事鎮まり、私はもう"大丈夫"になったのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?