ダブ、色の残像、、ファントムペイン「レジリエンスの研究」
これロックの本質、、、
直感的に、、、大好きな『みんなエスパーだよ』のオープニングで感じたもんですよ~懐かしい。唄ってるのは髙橋優さんですね。
↑サイレントマジョリティ
みんなエスパーだよバージョン
「セックスピストルズは愛を唄わなかった、、、」めちゃカッコイイです、ロックです。
ロック、、レゲエ、、
そして、ファントムペイン。
現代アーティスト
カディール・アティアのドキュメンタリー映像作品『記憶を映して』は、このファントムペインがテーマになっています。
作品では、失われた身体の部位だけではなく、
文化の破壊や差別、親しい人を亡くした悲しみ等、喪失体験にたいしてもファントムペインの思考を広げて、
そのレジリエンス(立ち直る力)を考えていくヒントが示唆されています。
作品の中では、、失われた身体の部位を可視化する治療法も紹介されています、
また、トラウマは遠ざかれば遠ざかるほどに大きくなる、それは精神医学の知見であることが医師達から語られます、
もうその痛みはないのだということを受け止めていく、
そのために、トラウマも可視化してみる
(これ1人でやるのは辛いので、仲間を集めてですね)
ジミークリフのドキュメンタリー映画のなかで、
ジャマイカの貧しい経済状況、音楽制作から生まれた、
レゲエから派生した新しい音楽(いまでは一般的)
「ダブ」がでてきました
ミュージック=『ダブ』
『記憶を映して』のなかで、
ファントムペインと、レゲエの「ダブ」の手法に興味深い類似点があることが語られるシーンがあるのですが、、、
ジミークリフのドキュメンタリー映画のなかでも、ジャマイカのレゲエ、そして「ダブ」が出てきて、
音の幻。
輪郭だけが残る。
痛みが残る。
ファントムペイン。
レゲエのダブはまず、
レコードのA面とB面の関係性と、ジャマイカの音楽制作の貧しさから生まれています。
レコードにA面もB面も一曲ずつ音楽をいれる
ジャマイカでは、お金がなくて何曲も音楽を作り出すことができなかった、、
そこで、A面に収録されたオリジナルの楽曲をベースに、そこからボーカルとか一部要素を失くして、
DJが、
B面にエコー(音の反響)やディレイ(遅くする)等のサウンドエフェクトをかけて、オリジナル楽曲をリミックス(再編集)した、
これが「ダブ」。
レコードのA面とB面の関係性から生まれた、
音楽。
ダブでは、レコードのA面のオリジナル楽曲の「面影」が感じられるのだけど、
オリジナルとは異なる音楽としてリミックスされている。
ダブには、オリジナル楽曲の音の幻が反響する。オリジナルの輪郭だけが残っている。
とても辛いですよね、、、
わたしは、カディール・アティアの『記憶を映して』を観た時、
、、、
色彩学における「色の残像」との類似性も、、
感じました(それはのちほど)。
レゲエのダブは素晴らしい音楽手法です、
ダブのその手法に、ファントムペインとの興味深い類似点があることが指摘されている、
レコードのA面のオリジナル楽曲から特定の要素を失くしたものをレコードのB面で、
エコー等をかけて、
オリジナルの、その本質の輪郭、音の幻、残響・残像のようなものを残して音楽を作っていく、
そして、
ここから色彩の話に転じて、、
色の残像について、、、
その前に色彩学。
色彩学というと、科学的にはニュートン、
芸術詩的にはゲーテ。
ニュートンは色を光と、
ゲーテは色を闇と、
ゲーテの色彩学は感覚的で、詩的で、
わたしも色彩は闇派、というか網膜的機能にだけよらない派、
日本の陰翳も余白もそうです(仮説)
※そうした日本伝統美術がある上で、村上隆さんのスーパーフラットにおいては、アートにおいて支配的な西洋美術に見せていくために、輪郭線のなかに空間との関係性を描かなきゃで、スキージワークをしていることがこの動画で語られていますね。マジ凄すぎて、圧倒的コンセプトですけど。
ただ、単にトーンを少し下げると鮮やかさが増すとか、そういうことではなく、
光の操作(陰影)としての色彩ではなくて、闇、暗やみ(こころ)のあり方としての色彩。
※くらやみの速さはどれくらい?科学的には笑い話?いやいや、本質をついてませんかね。
いまのワークショップデザインや、
共創の元祖では?とも言える建築家・造園家のローレンス・ハルプリンも色彩は闇派?なんですよ、
第二次大戦も経験したハルプリンは、人間の心の暗闇をしっかり理解して、
デザインしなきゃならないと著書で述べてます、色は暗やみのなかでこそと(たしか『都市環境の演出 装置とテクスチュア』だったと思います、うろ覚えすみません。絶版の多い伝説のデザイナーローレンス・ハルプリンの本なので日本語訳はなかなか手に入らないかもしれません、読みたい方は大きな図書館へ)。
ハルプリン、人間の心、クオリア、、、。
科学的には、というか目の「網膜的機能に基づけば」、色が光なのはそうなんですけど、、
マティスやデュシャンも、ゲーテ派でしょう、
てか光と闇、どっちも派、
「光だけではない」。
では、
色の残像と、レゲエのダブは?
ダブが貧しさとか、逆境における創意工夫から生まれたのも大好きです、
わびさびにリンクする。
ジミー・クリフも言ってた、
この国(ジャマイカ)に来て、人々を着ているものとか持ってるもので人を判断しないでくれ、
「心をみてくれ」と。
レコードのB面、裏面を、それは直接触れてみないと分かり得ないことですよね、
そのエコーにどんだけの背景がのってるのかということは。
ダブは音楽の形で、
色の残像は視覚の形で、
ファントムペインは痛覚の形で、
元の本質が、また異なる形で残り続けている。
ファントムペインの場合、その痛みをケアしていく必要があります、
辛いです、痛い。心の痛みも。悲しさも。
ダブの手法に学べるのは、元のエッセンスをいまの形に変える、
自分の信念とか、本質、
そのエッセンスをのせて、エコーとか新しいエフェクトつけて、
そーじゃないですか。
先日、祖母が亡くなり、
父や叔母が悲しみにくれる姿を見ました。
わたしも悲しみがある。
半年ぐらい前には、建築家の叔父が突然の事故で亡くなり、
わたしの父にとっては弟が、叔母にとっては2番目の兄が亡くなった形でした。
本人の判別がつかず、
父が、叔父が生まれつき足にある小さなアザを確認しての本人確認でした、、
むかしの叔父の写真を観ていて、
叔父には叔父の人生が、叔父の人生の物語の一部を、あらためて知りました。
今回、祖母が亡くなったことで、再び家族のむかしの写真を観ることになりました、
赤ん坊の頃の、ほっぺが真っ赤なわたしの兄が叔父や叔母に抱っこされてる姿とか、
わたしは生まれてないから当然観たことがないのですが、
それぞれの人生の、異なる時間がそこにあった、当たり前ですが不思議な気持ちです。
ダブは音楽の形。
色の残像は、視覚の形。
ファントムペインは、痛覚の形。
故人の遺品からは、記憶の形。
そこに本質が残り続けている。記憶の残像が反響する。
亡くなった人の遺品は、
その人がたしかにそこに生きていた証。
残された遺品、、
遺された遺族や友人達にとっては、その人との関係や共有した時間を伝えるもの。
そして、記憶を通じて、
その人のなかで生きつづけている。
親しい人を亡くした人へ、
きっと、見守っててくれますよ、
ダブの手法みたいにエコーとか新しいエフェクト開発しちゃうのもいい、やるだけっす。
レジリエンスの研究(つづく~)
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