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ダブ、色の残像、、ファントムペイン「レジリエンスの研究」

ジミー・クリフのドキュメンタリー映画を観ました。

ジミークリフファンの皆さんお待たせしました~
(私が言うことじゃないけど)

ボンゴマン!

ポップで独特なリズムのレゲエ。

ポップリズムなロックスタイル。

ジミークリフカッコイイ。

文化的な背景の魂がのってる曲って、めちゃしびれますよね、

やっぱり文化的背景の魂がのった本物の迫力に、、、圧倒されるんです。


偏見とかあからさまな差別への反抗というよりも、

無視とか無関心とか、そうした社会の冷たい沈黙を

ぶっ壊すもんじゃないですかね、

ロックって。


小2からロック聴いてるロックをこよなく愛するわたしの意見

こちらでも↓「沈黙をぶっ壊してやろうぜ」って唄ってまっすね~

これロックの本質、、、

直感的に、、、大好きな『みんなエスパーだよ』のオープニングで感じたもんですよ~懐かしい。唄ってるのは髙橋優さんですね。

↑サイレントマジョリティ
みんなエスパーだよバージョン

「セックスピストルズは愛を唄わなかった、、、」めちゃカッコイイです、ロックです。

ロック、、レゲエ、、

そして、ファントムペイン。

ファントムペインとは?

事故や病気などで、失われた四肢等の、

その失われたはずの部位の痛みを感じる症状をファントムペインと呼びます。

現代アーティスト

カディール・アティアのドキュメンタリー映像作品『記憶を映して』は、このファントムペインがテーマになっています。

作品では、失われた身体の部位だけではなく、

文化の破壊や差別、親しい人を亡くした悲しみ等、喪失体験にたいしてもファントムペインの思考を広げて、

そのレジリエンス(立ち直る力)を考えていくヒントが示唆されています。

作品の中では、、失われた身体の部位を可視化する治療法も紹介されています、

また、トラウマは遠ざかれば遠ざかるほどに大きくなる、それは精神医学の知見であることが医師達から語られます、

トラウマから遠ざかるほどに、、痛みが成長してしまう

それを、、、見ないようにするというよりも、

もうその痛みはないのだということを受け止めていく、

そのために、トラウマも可視化してみる
(これ1人でやるのは辛いので、仲間を集めてですね)

ジミークリフのドキュメンタリー映画のなかで、


ジャマイカの貧しい経済状況、音楽制作から生まれた、

レゲエから派生した新しい音楽(いまでは一般的)

「ダブ」がでてきました

何曲も、曲を収録することはできない。

そんな当時のジャマイカ音楽の逆境の中から

生まれた

ミュージック=『ダブ』

ダブとは?

レゲエから派生した音楽

そのレゲエの「ダブ」ですが、

現代アーティストのカディール・アティアの
ファントムペインをテーマにした
『記憶を映して』

に登場します。

『記憶を映して』のなかで、

ファントムペインと、レゲエの「ダブ」の手法に興味深い類似点があることが語られるシーンがあるのですが、、、

ジミークリフのドキュメンタリー映画のなかでも、ジャマイカのレゲエ、そして「ダブ」が出てきて、

『記憶を映して』のファントムペインのことを思い出しました。

そうだ、レゲエのダブとファントムペイン。

『記憶を映して』は愛知国際芸術祭で観たんです。


『記憶を映して』を観てメモったことダブ編

ファントムペイン。

脳は失われた身体との関係を保ち続けている。

レゲエ、ダブの手法に興味深い点が。
ジャマイカ。

レコードのB面がエコーなどによって、まったく新しい形で出力されていく。

輪郭だけ残す。「音の幻」だけが残る。

2つの音符の間に新しいスペースが生まれる。

カディール・アティア『記憶を映して』にて


音の幻。

輪郭だけが残る。

痛みが残る。

ファントムペイン。

音楽と、身体の感覚。

レゲエのダブはまず、

レコードのA面とB面の関係性と、ジャマイカの音楽制作の貧しさから生まれています。

レコードにA面もB面も一曲ずつ音楽をいれる

そして、A面のオリジナルの楽曲と同じ音楽が、B面にも入っていて、

そこからボーカルとか特定の要素を失くして、エコー等をかけてアレンジした楽曲が、ダブではB面に入っている、、、、、

(オリジナル楽曲のダブバージョンとして)

オリジナル楽曲から特定の要素を失くして、

そこにエコー等のサウンドエフェクトをかけて
作ってくダブ。

ジャマイカでは、お金がなくて何曲も音楽を作り出すことができなかった、、

そこで、A面に収録されたオリジナルの楽曲をベースに、そこからボーカルとか一部要素を失くして、

DJが、

B面にエコー(音の反響)やディレイ(遅くする)等のサウンドエフェクトをかけて、オリジナル楽曲をリミックス(再編集)した、

これが「ダブ」。

エコーとかディレイとか、リミックスとか、いまだとけっこう一般的な感じもしますが、

簡単に言うと、原本をアレンジしたわけですよね、

ジャマイカ音楽のレゲエから始まった新しい音楽手法。

レコードのA面とB面の関係性から生まれた、

音楽。

ダブでは、レコードのA面のオリジナル楽曲の「面影」が感じられるのだけど、

オリジナルとは異なる音楽としてリミックスされている。

ダブには、オリジナル楽曲の音の幻が反響する。オリジナルの輪郭だけが残っている。

『記憶を映して』では、このレゲエのダブの手法に、

ファントムペインとの比喩的な類似性があることを指摘するシーンがあります。

ファントムペインは、何かしらの喪失体験から、

痛みの幻、オリジナルの痛みの影のようなものが

身体に残っていて、

エコーのように反響し、時に痛みが成長してしまう。

とても辛いですよね、、、

わたしは、カディール・アティアの『記憶を映して』を観た時、
、、、

色彩学における「色の残像」との類似性も、、

感じました(それはのちほど)。

レゲエのダブは素晴らしい音楽手法です、

ファントムペインの原理を解明するために、

そして、そこからレジリエンスを見出だしていくために、

ダブのその手法に、ファントムペインとの興味深い類似点があることが指摘されている、


レコードのA面のオリジナル楽曲から特定の要素を失くしたものをレコードのB面で、

エコー等をかけて、

オリジナルの、その本質の輪郭、音の幻、残響・残像のようなものを残して音楽を作っていく、

そこにオリジナルのレゲエの魂を乗せていく。

ここにレジリエンスの1つのヒントがあるように感じるんです、

元の楽曲の幻影を残しつつも、そこから新しい音楽を作り出す、、

カディール・アティアはそう言いたかったのだろうか、、、

なにかが失われても、本質は変わらず、

過去も含めて未来の姿も含めて、

現在のエッセンスから、エフェクトやリズムを変えてみて「いま」の自分をリミックス(再構成)していく、

そんな自分の新しい可能性の膨らみこそダブであり、レジリエンス。

それまでのエッセンスに、新しいエフェクトやリズムをのせて、生まれ変わる。

そして、

ここから色彩の話に転じて、、

色の残像について、、、

その前に色彩学。

色彩学というと、科学的にはニュートン、
芸術詩的にはゲーテ。

ニュートンは色を光と、
ゲーテは色を闇と、

ゲーテの色彩学は感覚的で、詩的で、

わたしも色彩は闇派、というか網膜的機能にだけよらない派、
日本の陰翳も余白もそうです(仮説)

だから、物質の線が日本伝統美術は輪郭の強調なのです、

デッサンをやってモチーフを見つめ続けていると、

輪郭線として現そうとしていたモチーフの形が、実は微細なトーンであることに気付きます、

そのあたりの輪郭線を背景の空間に同化させて輪郭線を消してくのが
(モチーフに現れている微細なトーン=空間との関係性。に輪郭線を変換していく)、

3次元を2次元に表すために1つやる仕事です、3次元の空間を2次元にする、それはモチーフを描くってより、「モチーフと空間の関係性を描く」こと。
「空間」であるということがやはり大事かなと思うのです、伝統的な写実の西洋文脈って。 

なので、光の効果として、モチーフの形の輪郭線はないんだけど、

けど、それはあくまでも「網膜的機能に基づいた捉え方」であって、この「網膜的機能」という言い方はマルセル・デュシャンの現代アートのはじまりを意識して使っていますが、

日本の伝統美術は、輪郭線で表していて、村上隆さんが西洋美術文脈のフィールドにおいて、日本画を持ってこられて、
スーパーフラットという概念を提示されていますが、まさに発展的継承、やっぱり圧倒的に凄い、到達点。

陰翳から生まれる色彩、本質から派生する余韻、輪郭線の存在が空白を想像力で埋めていく

※そうした日本伝統美術がある上で、村上隆さんのスーパーフラットにおいては、アートにおいて支配的な西洋美術に見せていくために、輪郭線のなかに空間との関係性を描かなきゃで、スキージワークをしていることがこの動画で語られていますね。マジ凄すぎて、圧倒的コンセプトですけど。

闇と色彩

ゲーテ

ただ、単にトーンを少し下げると鮮やかさが増すとか、そういうことではなく、

光の操作(陰影)としての色彩ではなくて、闇、暗やみ(こころ)のあり方としての色彩。

※くらやみの速さはどれくらい?科学的には笑い話?いやいや、本質をついてませんかね。


いまのワークショップデザインや、

共創の元祖では?とも言える建築家・造園家のローレンス・ハルプリンも色彩は闇派?なんですよ、

第二次大戦も経験したハルプリンは、人間の心の暗闇をしっかり理解して、

デザインしなきゃならないと著書で述べてます、色は暗やみのなかでこそと(たしか『都市環境の演出 装置とテクスチュア』だったと思います、うろ覚えすみません。絶版の多い伝説のデザイナーローレンス・ハルプリンの本なので日本語訳はなかなか手に入らないかもしれません、読みたい方は大きな図書館へ)。

ハルプリン、人間の心、クオリア、、、。

科学的には、というか目の「網膜的機能に基づけば」、色が光なのはそうなんですけど、、

マティスやデュシャンも、ゲーテ派でしょう、

てか光と闇、どっちも派、

「光だけではない」。

まえおき長くなる脳の体質ですが、

色の残像とは、

ある色を見続けたあとに、別の色や白い背景を観たときに、その見続けたある色と反対の色が見える現象。

反対の色が見えるので「補色残像」とも言いますが、

つまり、補色関係、
「赤」を見続けたら「緑」が、
「青」を見続けたら「オレンジ」が、
「黄」を見続けたら「紫」が、

見えてくる。

↓こちらで詳しく、色彩学の歴史や、補色残像の実験もできます

では、

色の残像と、レゲエのダブは?

ダブは、元の楽曲から特定の要素を失くして、エコーとか新しい音楽をリミックスしていくこと、

ダブにおいては、、元の楽曲そのものは存在しないが、その本質、エッセンスが別の形に変化して、オリジナル楽曲の幻影を残しつつも、新しい音楽として生まれ変わっていったもの。ファントムサウンド。

色の残像は、ある色を見続けたあとに、
別の色や白い背景を観ていると、
そのある色の反対の補色が視覚に現れる現象。
その見続けていたある色が、そこに直接的には存在しないのにも関わらず、見つめ続けたある色の幻影が補色として現れる。ファントムカラー。

ちょっと脱線しますが、

ダブと脱構築についても考えたいです、

エッセンスが別の形に変化する。

「ヱ?センス」な転生。

やはりロックとレゲエっす。

ダブが貧しさとか、逆境における創意工夫から生まれたのも大好きです、

わびさびにリンクする。

ジミー・クリフも言ってた、

この国(ジャマイカ)に来て、人々を着ているものとか持ってるもので人を判断しないでくれ、

「心をみてくれ」と。

レコードのB面、裏面を、それは直接触れてみないと分かり得ないことですよね、
そのエコーにどんだけの背景がのってるのかということは。

やっぱり、直接会ってない人とか、そうした人に固定観念をはめて、面白おかしく貶めたりとかですね、

人種差別とか障がいある人への差別とかみんなそうだと思いますが、

会ってもいない人に、実際に観ていない人に、それをやるかやらないかにその人の本質、人間性が現れてるような気もします。

凄く真摯で心から心配してくれる人もいれば、遊び半分の悪意がある場合もある、

まぁ、それって悪意があるってか、意地悪で、底意地悪いじゃないですかね、そういうのって(笑)

気をつけたいことですよね。
ダブは音楽の形で、
色の残像は視覚の形で、
ファントムペインは痛覚の形で、

元の本質が、また異なる形で残り続けている。

ファントムペインの場合、その痛みをケアしていく必要があります、

辛いです、痛い。心の痛みも。悲しさも。

ダブの手法に学べるのは、元のエッセンスをいまの形に変える、

自分の信念とか、本質、

そのエッセンスをのせて、エコーとか新しいエフェクトつけて、

「いまのあなたから」あなたらしく生きてく

自分だけのリズムや色で。

そーじゃないですか。

先日、祖母が亡くなり、

父や叔母が悲しみにくれる姿を見ました。

わたしも悲しみがある。

半年ぐらい前には、建築家の叔父が突然の事故で亡くなり、

わたしの父にとっては弟が、叔母にとっては2番目の兄が亡くなった形でした。

本人の判別がつかず、

父が、叔父が生まれつき足にある小さなアザを確認しての本人確認でした、、

叔父の遺影は、わたしが父に頼まれて、

むかしの写真からPhotoshopで作りました。

むかしの叔父の写真を観ていて、

叔父には叔父の人生が、叔父の人生の物語の一部を、あらためて知りました。


今回、祖母が亡くなったことで、再び家族のむかしの写真を観ることになりました、

赤ん坊の頃の、ほっぺが真っ赤なわたしの兄が叔父や叔母に抱っこされてる姿とか、

わたしは生まれてないから当然観たことがないのですが、

それぞれの人生の、異なる時間がそこにあった、当たり前ですが不思議な気持ちです。

故人の遺品やむかしの写真にも、

いまはもう亡くなっているんだけど、

本人の本質、面影を感じる、

しかも、観たこともなかった叔父や祖母のむかしの姿にも 、

祖母が10代の頃の、少女の洋服着ている白黒写真も観て、不思議な気持ちになりました。

ダブは音楽の形。
色の残像は、視覚の形。
ファントムペインは、痛覚の形。

故人の遺品からは、記憶の形。

そこに本質が残り続けている。記憶の残像が反響する。

亡くなった人の遺品は、
その人がたしかにそこに生きていた証。

残された遺品、、
遺された遺族や友人達にとっては、その人との関係や共有した時間を伝えるもの。

遺品をとおして、
物理的にはもうその人はそこにいなくとも、
その人の記憶や作り上げた精神が、遺された人達の心に生き続ける。

ダブのようにそのエッセンスを継承して、

新しいエフェクトをつけたり、リミックスして
新しい形に生まれ変わる、

そんな伝承されるものを作っていくのも故人への敬意になると考えます。

故人の遺品を観ることで、悲しみや喪失感、懐かしさや人生の儚さ、いのちの尊さを感じる。

ダブ、聴覚
音楽リズム

色の残像、視覚

ファントムペイン、痛覚

そして、記憶を通じて、

私たちは、失われたものを感じ、思い出して、

「新たな価値」を見出だしていくことができる、

その可能性は無限に広がっている。


その人のなかで生きつづけている。

親しい人を亡くした人へ、

きっと、見守っててくれますよ、

なので、

そこに見出だした新しい価値を、故人にも、

見せつけていきたいっすよね~

こんな形で生きてるぞと。


ダブの手法みたいにエコーとか新しいエフェクト開発しちゃうのもいい、やるだけっす。



レジリエンスの研究(つづく~)

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