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ただそこに ちょこん と風

ただそこに
ちょこん
と風

山下清展がはじまりました!
新潟県立近代美術館にて

新潟県 長岡市にあります

展覧会場、撮影は禁止ですが、↑は撮影可でした。代表作『長岡の花火』!

山下清と言えば、長岡の花火。

浅草生まれで、震災で一時期両親の実家の新潟に疎開して、また浅草へ、

その後、

全国放浪の旅のち画家

山下清の背景とめちゃ親和性のある私

めちゃスゴ技巧の貼り絵作品や、

ユニークなペン画、

あまり知られていない油画

(山下清の油画の絵肌が凄く独特でおもしろかったです、凄く好き)、

陶器への絵付けの作品などなど。

素晴らしい展覧会でした、すでに大盛況~

山下清が存命時に行われた都内での個展が、

モナリザが日本へ来た時の動員数に匹敵するほどだったと展覧会の説明にありました!

作品も素晴らしいんですけど、

一緒に「日記」も展示されていて、

作品1つひとつに。


絵と、その絵の場面の日記の言葉が展示されていて

絵日記のような展示になっています

その独特で、顔がニコニコしちゃう日記も、
凄く楽しいんですよね!

モナリザ来日の観客動員に匹敵した、
山下清の作品の魅力。

とっても、かろやかなんですよね。

どっしりでなく

ちょこんと

不易の地に立って

流行にあそんで

この世界を軽やかに生きる

松尾芭蕉の「かろみ」の美学。

松尾芭蕉が晩年たどり着いた境地だと、

かろやか。

松尾芭蕉の『奥の細道』とか、いろいろ旅したわけですよね、

そして、かろみの境地に達する。

山下清も全国を旅した、放浪の旅。
あこがれます。

山下清は、べつに意図せずとも、

かろやかだったでしょうねー

DoでなくBe

描く、表現する、、、

でなく、ただあり方として。


山下清の「じかん」。あり方、生き方。

自分がいまどの位置に立っているのか?

それを知ることは非常に重要だと、アートにしても、私はそう習いました、

歴史を知って、自分がその文脈上のどの立ち位置にいるのか?を知ること。

そうして、伝統を継承しつつも新しさやオリジナリティが作れる。

「不易流行」を知ることから、はじまる。

不易に立ち、流行を知る。

不易とは時の大地であり、

流行とはそこに降り積もる時の砂のようなもの。

あわせて、、、、不易流行とは時間の積層。


「不易流行」も松尾芭蕉の言葉ですが、
「かろみ」も時の概念。

不易に立ち、流行にあそんで、
かろやかに生きる。

山下清の自由きままな旅は、きっと、

己の時間軸に基づいた不易流行。

その時間軸から生まれる表現には、

素直でよどみのない、かろやかな表現が

おのずと現れる。


描く、表現する、、、
でなく、ただあり方としてだけ。

山下清、現代美術ですよね、めちゃ先取りした。みんな大好き、誰からも愛される。

展覧会カタログ、クリアファイル2点。

レイアウト(置いただけ)コラージュ~

かろやかに

ただそこにちょこんといる

どっしりではなく、ちょこんと

そして、また
風のようにかろやかに移ろう

そうやって生きて、死んでいきたいなぁ~と

思います


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