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概念の更新

国立新美術館で開催された

「Art, Health & Wellbeing ミュージアムで幸せ(ウェルビーイング)になる。英国編」

に参加しました~。

何事も、メモするのが好きです(手書き派)。
よく「達筆ですね」と人から笑いかけられる

私の文字。


アホなのでそのままウケとっています、

そうか~
ボク、字うまいみたいだわ。


しかも、笑いかけられる、

誰かを幸せにしてるってことなんじゃ?

うれしい。

作家の京極夏彦さんは、

ノートを取るのが嫌いと前に話していました、

教科書にそのままメモ書きみたいに書き込んだ方がいい、、と。

その話を10代で聴いて以来、本を読んでても、
本の中に色々書き込むように、
なりました。

本いつもぐちゃぐちゃで、
読み返せないですが、

しかし、

読み込むにはとてもいいのです、自分の意見をそこに
書いていって、

ページが進むごとにそのテーマについての様々な考えが、どんどん更新されていく。


概念が更新されていく。


概念の更新。

思考の軌跡。

アイデアのあしあと。

「Art, Health & Wellbeing ミュージアムで幸せ(ウェルビーイング)になる。英国編」

では、

イギリスの美術館による文化的処方、社会的処方等の事例に学び、

ミュージアムが果たしているウェルビーイング、ヘルスケアについての様々な実践事例が紹介されていました。

素晴らしい学びになりました。


実践の「前提」「土台」となる、

「概念」についての、

その「更新」を考えることも、

とても大事なテーマなのだと学びました。

既存の価値を見直す、再評価する。

という視座も。

社会の中で必要性のあるケア、エッセンシャルワーク等が低く評価され、

軽んじられ、

ブルシット・ジョブと呼ばれるような、本当に必要なのか分からない仕事への報酬が高かったりする世の中。

しかし、これからはケア仕事の時代。

この本で1つ問われていたのは「公平性」でしょうか

さて話を、

「Art, Health & Wellbeing ミュージアムで幸せ(ウェルビーイング)になる。英国編」に戻して、

イギリスの実践事例に学びながら、

企画が進んでいきました、

それぞれの方の思考回路や、言葉の使い方、意識のあり方も社会課題に望む姿勢として、大変勉強になりました。

実践事例を紹介する方々に共通していたように感じた1つの意識は、

「公平性」への問いの姿勢と、その配慮でもありました。

今回の講演で来られてた方々は、本当に社会課題を解決するために必要なことを深く深く探求されていて、

「イギリスの先行事例を教える」なんてことではなくて、

日本は文化を大切にしてるし、高齢者を敬う文化があったりと、

イギリス側も日本から学ぶことがたくさんあり、

「私達は一緒に学んでいるんだ、という姿勢を大事にしたい」と、

話されてました。

うーん、さすが過ぎるお言葉でした。

何事も、そうですもんね。

真の多様性や公平性を目指す意思を感じて、

素晴らしいお話もたくさんあり、

難しい社会課題で未来は不安定だけど、

とても希望を感じるお話でした。

こんな素晴らしい実践があるならば、

未来を諦めずに取り組んでいきたいと、
感じますよね。


特に子ども達へ明るい未来が待ってることを示せないといけないなと。

あまりに絶望的な未来予測ばかりの世の中なので。


さて、

アート・ミュージアムと、ウェルビーイング・ヘルスケア等の繋がりについて、

イギリスではかなりのところ一般的な概念になってきているけど、

日本ではまだまだ一般的ではない状況かもしれませんが、

こうして国立の美術館で語られるようになってきたようです。

その中で、イギリス等で「健康の概念」が「更新」されていることが、

アートや美術館と、医療福祉が連携していく実践において、

社会からその実践への合意が得られている重要な部分なのだと話にありました。

従来の「健康」の概念というと、身体の健康とか、生活習慣とか、

医学モデル的な個人因子に基づいたような「健康」という捉え方が一般的だと考えますが、

現在、「健康の概念」はそうした従来の考え方とは異なり、

「全人的なもの」として捉えられるように変化していきているとのお話でした。


健康の概念が「全人的なもの」として更新されてきている、

その全人的であるとは、1人ひとりの人を、身体や精神等の個人因子からのみ捉えるのではなく、 

その人の人格や社会的な背景、環境的な因子も含めて、

多面的に、包括的に1人の人への理解を深めていくことでしょうか。

こうした健康の概念の更新の視座自体は何年も前からあるものだと考えますが、

概念の更新が、社会へ浸透してきたことは凄いですね。

これはまさに、医学モデル(個人因子)と比較して語られることの多い、

「社会モデル(環境因子等)」の視座も内包したもの。


1人ひとりの人を多面的に。

健康の概念の更新。

「健康は、その人個人よりも、社会的な要因で決定されるもの」

それを支えるものとして「アート」がある。

アートは尊厳を支える。

そこで美術館の役割が変化していく。

メモメモ。

健康の概念の更新に関連した話のメモ書きです。

このように「健康」という概念を「更新して捉えてみれば」、

医療福祉と、社会・文化・様々な価値とリンクしているアート・ミュージアムが連携していくことは、とても自然な流れであると感じます。

「健康という概念」を「全人的に捉えて考える」。


現在の様々な難しい社会課題に挑む際に、

その前提となる土台・共通認識として重要なもの。


従来の「概念の更新」「既存の価値の見直し」
をまず行っていくことが、

とても重要なのだと学びました

健康の概念の更新。

障がいある人のアートが現在多方面で盛り上がっていますが、

この取り組みも、現在の展開としても歴史的背景としても、「健康」の概念の更新は繋がってくるように感じます。


「障がい」という固有名詞を社会環境から押し付けられ責められて、失われた人間性の回復。

レジリエンス(回復力)としての、アート表現。

社会から一方的に決めつけられた「障がい者」とか、様々な固定観念、

そんな作られたイメージとは異なる自分へ、アート表現を通して自分を転じさせる。脱構築。

その社会から決めつけられた自分とは、異なる自分への広がりを持つこと、拡張させられること、それをレジリエンス(回復力)として捉えることができる、と。

障がいある人のアート表現の歴史的な展開の根本にあったものでしょうか。

けっして、レクリエーションとしてのアートとしての意味だけではなく、社会制度をより良く変化させる人権保障に繋がっていく意義のあるもの。



「障がい」という固有名詞が先行して人間としての人格まで、決めつけられてしまう。

ここに全人的な健康を損なう、仕組みがある。「障がい」は社会が作り出している。

「障がい」だけでなく、様々な差別や偏見も同じ。

あらゆる差別や偏見、不公平に繋がる。

全人的な健康を損なう、この社会の仕組みに対して、

アート表現はその人自身の人間性の発露を通して、その尊厳を支え、社会から奪われた人間性を回復し(レジリエンス)、

その人にとっての事実、いろんな側面があるものだと思いますが、その1つひとつの発露を通して社会と繋がっていく、

アクション。

そのような思考を巡らせていました。

大変素晴らしい学びでした

嬉しい悲鳴ですが、学びがたくさんありすぎて全てを書くことは出来ませんが、

メモ書きしたことを最後に連続して載せます。

自分の意見と経験が尊重してもらえる場。

文化的処方の場。

モノが会話の糸口に。

ハッとした時に記憶が呼び戻される。

ミュージアムのコレクションで、モノとの出会いで、認知症のコミュニティへ長期に渡りコミットする。

ミュージアムは記憶を守っていく専門家。

モバイルミュージアム。デジタルの力。

テクノロジーとアプリ。孫と一緒に思い出を辿れる。

認知症の人を敬っている人々は、世界中同じ価値を持っている。

まずは文化機関として現場に学び、そこからキュレーションを作っていく。

ケアラーと共に考える。

コンテンツを所有している我々は、テクノロジーに対して、より高度なことを求めるべき。

高齢者の人はテクノロジーを使えないと思われがちだが、そうではなく、使いやすい開発をしていくことで使えない人はいなくなる。ハウスオブメモリーズのアプリを使えない人はいない。

なぜミュージアムと記憶か?

ミュージアムのコミュニケーション能力の高さ。

ミュージアムにおいて、一般の方が恩恵を受けることが出来なければ、ミュージアムは何の意味がある?

モノはストーリーを語る。モノはまるでタマネギかのように、1つひとつストーリーを探れる。これはハウスオブメモリーズの手法。

コンテンツをデザインする。

クリエイティブラーニング。オープンにアートと出会うことによって、豊かな体験を提供できる。

アイデアがとても大切。

ここ数年で「ケア」という言葉が、しっかりと使われるようになってきた。コロナパンデミックでより使われるようになった。「ケア」という言葉が響いていた。

ケアという言葉は、文化的にどのような意味を持っているのか?

ミュージアムはケアを活用できるのか。特に組織的に。

ケアというものは我々が仕事に向かうエートスとして持つものだが、スキルとして持ってやれるものではない。

だから、文化施設の中におけるケアは、パートナーシップが重要。

地域性の反映を大切にする。光を当てることにしている。

アートと文化的体験がケアワークをどう強化できるか、拡張できるか?

ミュージアムスタッフは、快適な空間を提供するためにいる。

ミュージアムに入るための敷居をいかに壊していくか?

ミュージアムは「場所」と「コレクション」、それらが全ての人にとって機能していくことが必要。

リソースをどのように外へ出したらいいか?そこでポイントになるのが「ケア」。

ケアをどう捉えるか?

ミュージアムは記憶をケアする専門家である。

ミュージアムがしていくべき「ケア」とは?ミュージアムの壁の外まで広げる。

若い世代はもっとケアを求めている。

ミュージアムに若い人達の生きた経験が反映されることを求めている。

若い世代。人間として共感していくこと。

パートナーシップがいかに重要か。

そこに息づいたもの、よりその人が回復していく、レジリエンスしていく。

健康格差をなくしていく、画一的なアプローチではなく。

ケアは地元のニーズに基づいて作っていくことも大切。

未来は常に未知の可能性に満ちている。アートも同じ。まだ見ぬもの。不確実性。

心理的安全性、話を聴いてくれる他者の必要性。

社会課題を子どもでも知っている時代。若いうちは色々やれと言われるけど、将来不安の大きい現代では難しいのも現実。

地球規模でミュージアム。更新された役割。コミュニティにもコミットしていく。

社会的処方・文化的処方は、医学的処方よりも時間がかかる。

私達は一緒に学んでいるんだという姿勢を大切にしたい。

みんなが共通している、人類としての共通性から生まれていること。

「レジリエンス」私達のコミットが必要。すべてを共有して。

どんどん変化を重ねる、対話を重ねる、絶対にあきらめない。医療とアートを繋げる。

価値を再評価する。

分野にまたがった「健康」という概念をどう考えるか。

様々な繋がりが一緒になって、ウェルビーイングが達成できるか?

「ケア」の概念、「ヘルス」の概念が更新されてきている。

最終目標を「これ」と決めない。

アート、アーツの翻訳はあってるのだろうか?「術」がついてるから、芸術は難しいと思われてしまう?距離が生まれる?

絵に描いた餅と言いますが、モチの絵は描いた方がいい。そちらの方が夢は夢でなくなる。

一言一句正確ではありません、
私のメモ書きです。


登壇者の方々の発言をメモさせていただきました。

誰の発言かは表記していませんが、

この場の機会で、みんなで共有されていた言葉として記載します。

読んでいただき、ありがとうございます。


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