国立近代美術館で開催していた『ガウディ展』の最後のコーナーは、
ガウディが残したものを研究し、その知見を幅広い分野で受け継ぎ、発展させていくには?
そんな問いのあるコーナーでした。
近代建築は一個一個の既製品のパーツが連続重なり、そこに生まれた「機能」が形態を作る、、
一方で、現代アートは様々なもの、物質だけでなく概念も含めて、、おもちゃ箱のように混ざり、カオスで、エントロピーが増大、乱雑さが広がる程に既存の形を壊しながら、それぞれの関係性が化学反応し「未踏」が生まれ、、、
なんて仮説を書きましたが、、
ガウディの建築は、ただ単にアール・ヌーボーとして分類されるものというよりも、その時代の潮流に深く学んだ上で、さらにその先の進化を観ていたのでしょうか?
その後、近代建築では、装飾はなくなっていく方向性ですが、、、、
ガウディは装飾に植物のような曲線を採用しつつ、さらに建築造形そのものを自然曲線で設計し、、そこに1つの生態系のようなものを創造していくビジョンがあった?
篠田太郎さんは造園を学んで現代アーティストに。
先にガウディを観てから、篠田太郎さんの『ドローイング』を観たのですが、
篠田太郎さんの不思議なドローイングの中の、
絵の1つひとつ、草むらやキノコ、岩、水等の色や形は一般的なイメージのものが多く、、、、
1つひとつは既存の色や形だけど、、
その組み合わせで、1つの生態系のようなものが。
この記事で考えたことは、当然更新して、さらに前へと進まねば(もちろん、「仮説」なので、その繰り返しが前提ではありますが)。
自然(じねん)こそオリジナル。その1つひとつが有機的に関係し合って生まれる持続可能な生態系。