草木は祖父の匂いがした。
初めて知っている人の葬式に出たのはいつだったか。けれど一番記憶に残っているのは父方の祖父の葬式だった。
病室で息を引き取った後の祖父は知らない人のように顔が変わって見えた。「手を握ってあげて」という母の言葉を無視して、私はその脈の止まった手を握らなかった。初めてしっかりと見る”死んだ人間”が、祖父であろうとも怖かったのだ。
祖父が入院してから私はほぼ毎日祖父に会っていた。学校から帰ったら病院まで新聞を届けるのが私の役割で、ベッドから上半身だけを起こした祖父は私にお小遣いをくれた。私はそのお金を握りしめて売店へと向かって、アイスクリームやチョコレートを買って病室で食べていた。祖父はただ私を笑いながら見つめるだけだった。私が話しているのを聞きながらうんうんと頷いて、時折その細い手で新聞をめくっていた。
一度だけ私は母に「新聞を届けるのを1週間に一回にしたい」と言ったことがある。学校から帰ってすぐに新聞を届けに行くことが私のルーティーンとして定着し始めた頃だったと思う。宿題のやる気はないけれど友人と遊びたい。習い事のない日はゆっくりゲームでもしたい。なんなら昼寝もしたい。そんな煩悩が私には沢山あった。だから、祖父に新聞を届けにいくだけの仕事が面倒になったのだ。
母は私がそう言ったのを見ると、肩を掴んで私の目を見てこう言った。「おじいちゃんは死んじゃうんだよ!?」「もう少しで心臓が止まって、死んじゃうんだよ!!」「これを聞いても行きたくないなんて言うの!?」。その時の体の強張りを私はまだ覚えている。祖父がそろそろ死ぬということを、私はそこで初めて知った。そんなこと言わなかったじゃん、と思ったことを覚えている。でもそれと同じくらいそんなこと聞きたくなかった、と思ったことも覚えている。
その日を過ぎても私のルーティンは崩れることがなかった。学校から帰ってきたらランドセルを置いて、病院にいる祖父に新聞を届けに行く。買ってもらったお菓子を食べながら今日あったことを話す。けれど私は祖父を前とは違う目で見るようになった。私は、"もうすぐ死ぬ人"として祖父を見るようになっていたのだ。
病室にいる祖父と私の間に、生と死の線が引かれたような気がした。食べるアイスはとても冷たくて、いつか祖父もこうなるのかと考えてしまう自分が嫌だった。今は生きている祖父を見ながら何度かしか見たことがないあの棺桶を思い出していた。祖父の心臓の辺りを見て、近いうちにここが止まるのだと思って気安く祖父に触れなくなった。
そして祖父は死んだ。葬式の記憶はあんまりない。ただ母に「おじいちゃんにお手紙を読まない?」と言われたことは覚えている。みんなの前で読むのが嫌で断った。そのあと、祖父の前で声も出さずに色んなことを伝えた。聞こえているのかもわからないけれど、祖父の顔は穏やかだった。死んだというのに苦しくないの?と聞いた気がする。祖父は答えてくれなかった。
この間濡れた草木の近くを通った時の匂いが、祖父の匂いだと思った。
祖父と別れる時、あの白い棺桶に入った祖父に被せられた、強く香った花々の匂い。別人になってしまった祖父の顔を包む植物の匂い。あれはまさしく私の中に残る死の匂いである。