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なぜ #入管法改悪反対 なのか。

2ヶ月前、名古屋入管に収容されていたスリランカ人女性が亡くなった。33歳だった。

日本が好きで、日本の子どもに英語を教えたくて、大学卒業後、日本語学校に留学した。夢は叶わず、入管の狭い収容部屋の中で独り、息を引き取った。

被収容者が入管収容所内で亡くなる事件は今回が初めてではない。なんなら昨年にも、長崎県の大村入管でナイジェリア人男性が餓死する事件が起きた。

当時、大村入管で面会する支援者はほとんどいなかった。私も、この事件が発生して初めて大村入管に面会に向かったうちの1人だった。支援者側から大村入管に対して「再発防止」を求める申し入れを行なった。

その翌年の、この事態。
私たちの見えないところで亡くなるはずのない生命が毎年のように失われている。





今回の名古屋入管死亡事件。
あまりにも、入管の対応は酷い。まるで「人の生命が失われた」という意識がないとしか思えないような対応ばかりだ。事件から2ヶ月以上が経過した今でも死因は「不明」、ご遺族に対する説明・謝罪も一切無し。提出された中間報告の中身は、「私たちに問われる責任がない」ことばかりを主張した、誠実さのかけらも見られないものだった。

ウィシュマさんは、亡くなる直前まで支援者との面会に応じ、彼女の状況を話してくれていたそうだ。あるときから、彼女は吐く用のバケツを持って面会室にやってくるようになった。そのときの彼女は何を口にしても吐いてしまい、何も摂取できる状態ではなかった。当時面会していた支援者によると、週2~3回のペースで面会しても彼女が日に日に痩せ衰えていく様がはっきりと分かった、ということだ。彼女は「点滴を打ってほしい」と何度入管にお願いしても入管は応じることはなかった。支援者側も面会を通して彼女の容態が明らかに異常であると判断し、入院、点滴の必要性を入管側に何度も申し入れていた。入管は「ちゃんとやっています」「大丈夫です」の一点張りだった。彼女は面会している間もバケツを手放すことができず、時折吐きながら、面会を続けていた。

1月下旬、ウィシュマさんは吐血した。入管はようやく重い腰を上げ、外部の病院で検査を実施した。しかし、言い渡されたのは「異常なし」という結果だった。おかしい、と支援者側が追求した暁に、「点滴を打つことについても話があったが、長い時間がかかり入院と同じ状態になるので」点滴を打たずに彼女を入管に連れ帰った、と職員が打ち明けた。支援者は入院、点滴させることを再度要請した。

2月に入ると、もう彼女は歩く力さえ失っていた。車椅子で面会室にやってくるようになった。

「トイレに行きたくて職員を呼んでも、部屋の前に来るだけで何もしてくれない。一人でやってと言われ、自分で立ち上がってしようとしたら転んでしまった。それでも助けてくれず、起き上がることができないまま床に倒れていた。女性の被収容者が私を抱き起こしてくれた」「唯一、経口補水液は摂取することができるが1日600mlしか渡してくれない。もっとほしいと言っても渡してくれない。」「私は歩くことができないのに、リハビリで介助なしで歩け、と言われた。壁を伝いながら歩いたが何度も転倒してしまった。」
支援団体STARTの面会記録より)

これらは彼女が面会を通して支援者に話してくれていたことだ。彼女の死後、このほかにも様々な事実が明らかになってきている。入管は彼女を「詐病」扱いしていたこと、発表された中間報告の中で彼女の体温が37.0度を超えていた日の記録はそっくり抜け落ちていたこと、同じく中間報告に「医師から点滴や入院の指示がなされたことはなかった」との記載に対して実際にはその指示がなされていたこと。あげればきりがない。





こういった入管の対応もまた、今に始まったことではない。
これまでずっと繰り返され、脈々と受け継がれてきた。
受け継がれてきてしまった。

私は普段、大阪入管に面会に行くが、この事件では「名古屋入管だから起こったこと」では決してないと思う。もしウィシュマさんが大阪入管に収容されていたとしても、入管の対応は同じようなものだっただろう。早急に治療や手術が必要であるのに治療もされず、仮放免も認められていない人、同じように車椅子で面会に来る人、1回に10錠以上の薬を服用している人。そんな人たちが何ヶ月も、何年も、収容され続けている。私が大学生になってから、暴行事件も起こった。大阪地震が発生したとき、閉じ込め事件も起こった。繰り返すが、この入管の体質は今に始まったことではないのだ。

そんな中、「入管法改正案」なるものが採択されようとしている。入管は「長期収容解消のため」としてこの法案を提出してるけれど、問題の根本原因を「送還忌避者の増大」に置いているところからそもそも間違っている。いま、帰国を拒んでいる、つまり在留を希望している人たちは「帰ることのできない事情を抱えた」人たちだ。各メディアでも繰り返されているように、退去強制令書が発付された人のうち、約9割の人は送還に応じている。残り1割、日本に家族がいる(送還に応じると二度と日本に入国することはできない)、日本にしか生活基盤がない、国に帰ったら殺される―――。

では仮に、帰ることのできない事情を抱えた人を無理矢理にでも送還すれば、「長期収容問題は解決」したとでも言うのだろうか?物理的に収容所内に人は減るだろう。送還された人は?現地で命の危険にさらされ続ける。それでも帰ることができず刑事罰の対象になる人は?どのような思いで生きていけばいいのだろうか。





私たちは、いま大きな岐路に立たされている。これは果たして難民の、外国人だけの問題なのだろうか。難民条約を批准し、難民議定書に加盟している「難民受け入れ国」という立場にある日本が、その掲げている看板とは真逆のことができるようになろうとしている。それも国家権力によって。私たちは日本社会に生きる一人の人間として、また学生として、こんな社会になることを容認してしまっていいのだろうか?

「外国人」「難民」とくくって、彼らに対する偏見でもって差別する。人間として扱わず、自由に生きていく権利を奪う。いま、私たちの社会で起ころうとしていること、いや起こりつつあることは、そういうことだと思う。

もう既に、私たちは多くの外国人の方と暮らしている。そして私たちの生活の一部は彼らに支えられ、これからも支え合って生きていく。ただ、彼らの人権について今まであまりに議論されてこなかった。

彼らは単なる”労働力”ではない、人間なのだ。

私たちと同じ、家族がいて、友だちがいて、夢があって、意思がある人間なのだ。このことを決して忘れてはいけないと思う。

いま私たちに問われているのは、日本社会に生きる一員として彼らの人権が奪われ抑圧されること、それが国家権力によって行われようとしていることに対してそれを容認するのか、ということだと思う。

ウィシュマさんの遺族は、私たち日本人に「どうか彼女の死を無駄にしないで下さい」と切に訴えた。絶対に、彼女の死を無駄にしてはいけない。今度こそ、今度こそは二度と繰り返してはいけない。私たちにはその責任がある。





だから、私は #入管法改悪に反対します。








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