よく「社会のせいにしても…」という言葉を聞く。半分間違ってて半分正しいと思う。事実その人が存在してる環境が行先をある程度決定してしまうということ。それは大抵金持ちが労働者を搾取することによって成り立つ。もう一つは、私たちは、あなたは、絶対にかわいそうな存在ではないということ。
春よ早く終わってくれ〜と思うのは、忙しないのに宙に浮いたような感覚が不安定で落ち着かなくて、自分がどこにいるのか分からなくなるからだと思う。 環境が変わったり、仲間が増えたり別れがあったり、引き継ぐことがたくさんあったり、普段以上に気を引き締めておかないと、すぐにどこかでつまづいてしまう。 だけど、春の鮮やかな景色やポカポカとした陽気は、そんな緊張を一気にときほぐしてしまうのだ。 やっと地に足がついた感覚になるのは5月、下手したら6月ごろなのかもしれない。 春を迎える
京都で行われた『金福童』(2019, ソン・ウォングォン)上映会に、後輩に誘われて行ってきた。 日本従軍慰安婦犠牲者として1991年に表に立って証言を始めた女性の活動、そして一人の人間としての生き様を追ったドキュメンタリー映画。この記事では、映画を観て感じたこと、考えたことを記録していこうと思う。 慰安婦問題。慰安婦少女像。日本の加害の歴史は、学校教育の中でほとんど扱われないか、教員の裁量によって触れることもあるか。とにかく国家としては覆い隠し続けている。自分が日本
昨日は夕焼けが綺麗だった。 炎のような空だった。 ちょっと加工してるけど。アプリは使ってない。 また傘を無くした。 今回は遮光100%の折りたたみ傘。 「わたし昔から傘との相性悪いんだよなー」 出先に置いてくる、盗られるはもちろん、自転車に巻き込んでぐちゃぐちゃになったこともある。 傘とは仲良くなれない。 多分今回はこの前乗った高速バスに落ちちゃってんだけど、まだ電話してない。電話って一踏ん張りいる、デジタルネイティブ世代 でもこれ、傘に限ったことではなく、私はと
あなたのことをあなた、とは呼んだことないけど、どの媒体で言うのもなんか違うなーと思うので、ここで言うことにします。いつか気づけ 唐突にも程があるが、私はあなたが死んだら、どんな死に方であっても一生怒り続けると思います。来世まで怒っていると思います。怒りすぎておかしくなると思う、一生泣いて怒っている、だから死ぬな、死のうとするな。 中学生の時とか、私はだいぶ子どもだったので、あなたにとっての何者かになりたかった、昔はね。 でも今はもうほんとそういうのいい、何にもならなくて
久しぶりに文章を書く、自分のためだけの文章。少し緊張する。 私も大学を卒業し、働くようになった。大学時代からの支援活動をつづけながら仕事の日々。想像していた以上にあちこち走り回ることになっているけど(仕事柄もあり)、なかなか挑みがいがあって楽しい。 学生時代はこうやって文章で表現したり、写真を撮ったりすることが日常の癒しだった。お世辞にもうまいとは言えないけれど、何かしらの形で表現できる場があることが救いにもなっていた。 日々を過ごす中の感覚はあまり変わっていない。オレ
5/17、「入管法改正案」の実質的廃案が決まった。 今国会での法案の採決が取り下げられた。 世論が勝ったんだ、「絶対に負けない」と誓いつつも、こうして形になることでその力、社会の声の力がドン、と胸に迫ってきた。 5/16、私は初めてデモに参加した。 そして、壇上に立たせていただいて、TRYとして約3分ほど、お話しする時間をいただいた。 今日、名古屋ではウィシュマさんの葬儀が行われています。支援者として、心から哀悼の意を表明します。 私たちは、彼女の死を絶対に無駄にして
2ヶ月前、名古屋入管に収容されていたスリランカ人女性が亡くなった。33歳だった。 日本が好きで、日本の子どもに英語を教えたくて、大学卒業後、日本語学校に留学した。夢は叶わず、入管の狭い収容部屋の中で独り、息を引き取った。 被収容者が入管収容所内で亡くなる事件は今回が初めてではない。なんなら昨年にも、長崎県の大村入管でナイジェリア人男性が餓死する事件が起きた。 当時、大村入管で面会する支援者はほとんどいなかった。私も、この事件が発生して初めて大村入管に面会に向かったうちの
予想していた以上に心をえぐられて、一息で読み切ることができなかった。これまでもこれからも、「自分が女である」事実は一生変わらない。この本の中で一瞬も主人公が救われたと感じる瞬間が見当たらなかった。 だけど、描かれていたのはごく普通のどこにでもある日常だった。 「82年生まれ、キム・ジヨン」 ちょうど、個人的な経験がきっかけで何年も悩まされ続けてきた痛みがぶり返しているタイミングだった。たった一言のひっかき傷で、それも悪意のないひっかき傷で未だに苦しんでいる自分にうんざりし
知らない間に1日が終わっていくな、と思う。 時間というものが、誰の人生にも関係なく切り離された概念として淡々とまっすぐに伸びた線の上を進んでいて、自分はその様子をしっかり見ていたつもりなのにいつの間にか、眠ってしまっていたような。これまでと同じ長さの時間を過ごしているはずなのに、なんとなく繰り返している日々が長くも短くも感じられる。あれ、そもそも生きるってこんな感じだったっけ。 それをいいとも悪いとも思わなくて、というより、自分が何を感じて何を考えていてどうしたいのか、よ
いつのまにか作り上げられてしまった世界の中で その世界の動きの歯車を回し続けるべく 無数の光のうちの一点が今日もあくせく働く 世界はこんな壮大な空に覆われていることも知らずに あの光は今どんな気持ちなんだろう どう思ってるの、なにを感じてるの、 まだ生きているの どこまでも細やかで どこまでも鮮やかな世界に殺された君の最後の声が きっとこの世界に影を落としますように 光と影の間でこの歯車がどこかでかけ違えますように 夜の