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普通のフリしてるだけでぜんぜん動悸がする

ひとは誰しも自分の選択を正解だと思いたいわけだけど、
それが覚悟か執着か分かる自分でいたいなと思う。
ま、執着なんだけど


うまく言えないのだけれど、私は自己肯定感が低いということによって
自己肯定感を保っている気がする。
積極的に自分をダメだと思うことで、ほんとうにダメな自分を守っているような

優しいねって言ってもらえることがあるけれど私はそうすることで自分の存在意義を確かめたいだけなんじゃないかと思う


自分の感情を言語化するのは、自分自身への癒しであり、相手への思い遣りだと、強く信じて生きている。 だから私はどんな時でもそれを放棄しないし、放棄するわけにはいかない。
傷ついている自分のことを無視してはいけないし、
逃げ道は塞がなくていいし、
もっと自由に、自分勝手に生きていい。


「死にたい」が「死のう」「死ぬしかない」に変わったときがいちばん怖いと思っている。
生きている、というより今の自分は耐えている だな
誰かを救うことで救われたかった、誰かに責められたわけじゃないけどずっと申し訳ない気持ち
理不尽なんですよいつだってこの腐っている世界は、良きている限り
狂いそうな不安とずうっといっしょ!!!!!
希死念慮のない朝をもう覚えていない。
受け入れるしかない現実、認めざるを得ない自分の弱さ、やり直したくても戻れない過去、過去立ち向かえなかった壁、
今になって全部苦しい。

でも、一昨日は本当に死にたくないと思った。思えた。



ちょっと待って、こないだ一生分のストロングゼロは飲んだって言ったばっかりじゃないか
なんで昨日も今日も片手にはストゼロ???
煙草もやめるのは難しいっていうけど、お酒も十分難しいよね。
私も何回お酒をやめようと思ったか、
何回繰り返しているんだろうな
でも流石に一気に3缶は飲めなくっちゃったけどね、流石に


何に対して反応して、なんで、どんな感情を抱いているか を言語化し始めて6年目になった。
自分の感情を分析するって結構な体力が必要で、
しんどさが強いときには難しかったし、場合によっては余計につらくなった。
それでも諦めたくなくて、辞めたくなくて、
これだけでも続けられている自分でいたくてしがみついている。
苦しいことを苦しいとことばにさせてくれる場所が私にもまだあるから私はまだ生きていける、と思う。
息が詰まりそうな毎日もそれだけでも生きていようと思えるから

だいじょうぶ、
わたしのした選択、全部正解にするから。
でもつらいことが起きるたび、
でも私の人生ここからじゃない?って思ってる。

最近知ったんだけど、ひとって悪口を言うとき
「自分が言われて1番つらかった言葉」を無意識に選んでしまうんだそうです。
なので、もし”傷つく言葉”を言われたときは「そっか、このひとはそう言われて苦しかったんだな」と思ってみると良いですよ。


私の文章で人生が小さじ1杯だけでも楽になりますように、そんな思いを込めて記事を描いています。 サポートして下さった貴方と、いつか珈琲が飲めますように⋆͛☽.゚