上手く生きていけないのはあたりまえなんですよ、人生1回目なんだから

あたりまえなんですよ、1回目なんだから
そう思いたくて私はこの言葉をタイトルにしました。
私は今、決して上手く生きられてはいない。
だけど、生きることを諦めたらだめだと思っています。
今の私にとって、生きることを諦めずに今日も生きるということは、とてもハードルが高いことで、
毎日毎日涙を流しながら生きているんです。
生きているだけなのにその”生きる”ことが1番つらくてしんどくて、
だから、今日を生きられたひとに がんばったねえらいね とはなまるをあげたいのです。
他人にとってはあたりまえのことでも、私にとってはあたりまえじゃないこと、というのはたくさんあります、
学校に行くことだったり、毎日生きていくことだったり、
でもそれが出来たからといって誰も褒めてくれなかったりして、なんだか悲しいなぁなんて思ったり、
だから、今日もそれが出来た貴方を、自分で自分を褒めてあげてほしいんです。
足りない分は全部私が褒めるから、
貴方は今日も世界で1番いいこだよ、

それに比べて私は、
手首の傷の深さや、一夜で空けた缶、飲んだ錠剤の数、
そんなものでしか自分の存在を証明できない人間です。
自分が頑張っている、と自分だけで認識することが得意ではありません。
ただ、自分が頑張っている と言えるのは自分を傷つけているときだけかもしれません。
この自傷行為というものは、リストカットであったり、OD(オーバードーズ)、過食や拒食に限ったことではなく、自分の気力の限界まで働き続けたり、寝ることをやめたりすることも立派な自傷行為に当てはまると思っています。
自分で自分を追い詰めて、傷つけるのは本当に苦しい。
苦しいし、つらい。痛い。
大体のひとは、苦しかったりつらかったりすることは苦手だと思います。
一般的にひとが避けるような酷いことを自らやり遂げることでしか、自分は頑張っていると感じられないんですきっと。
でもじゃあ何故そこまでして「自分は頑張っている」という意識、自分で自分を認めることを求めているのか、というと
それがないと他者からの評価が正しく機能しないからだ、と考えています。
自分で自分のことを認めて、「自分は頑張っている」という核を少しでも築き、他者からの「貴方は頑張っている」という評価を核の周りに貼り付ける。
貼り付いていくことであらゆる自信や自己肯定に繋がっていくんだ、と。
だけど、そもそもの核が無ければ他者からせっかくもらった評価も空のなかに落ちていくだけになってしまう。
核が無いのに「貴方は頑張っている」という言葉をかけてもらっても、それはそのひとにとっての主観であり、ただの気遣いであり、正しい評価ではない。
なんてことをひとりでまた考えて あぁまた他人に気を遣わせてしまった、とひとりでずっと落ち込んでいます。
だから私は、他人が避けるようなことで、自らを痛めつける方法でしか自分の存在を認められない。
とりあえず今日を生きるために自分を傷つけているんです。
貴方には分からないかもしれない、いや分からなくていいんです。
貴方はこんな気持ちを一切感じずに明日も生きていてほしい。
こんなことに頼らなくても生きていられる貴方は数千倍かっこいいよ、そう思います。

なにかに依存して生きていてはいけない、
ひとに幸せにしてもらおうとするから他人に依存してしまうんです。
自分の幸せを人任せにしたらだめだよ。”それ”がなくなったとき、本当に生きられなくなるから。
私はもうあんな思いはしたくないよ。
私がこう思う理由はまた今度描こうと思います。


あぁ今日も死ねなかった、もう去年から1年中死ぬことばかり考えているのに結局今年もあと2か月、今年も生きてしまったねこの死に損ないが、
なにやってんだよ空気の無駄遣いだよ、って何回思えばいいんだよ
自分で自分のこと歩くゴミだなんて思いたいやつはきっといないよ、
生きるべきは私じゃなくてあの子なのに、って思いながら布団に入って
今日も死ねなかった本当は生きていたらいけないのになって思いながら眠って
目が覚めてまだ死にきれずに朝が来たことに何回絶望したら満足に死ねるんだ
死んだ方が他人の為にも自分の為にもいいのに、頼まれてもいないのになんで今日も生きてしまったんだろう
なんであの子が死んで私が生きているんだおかしいだろ
だめだね、情緒はいつまで経っても不安定だし希死念慮なんて言葉じゃ抑えられなくなっているね
自分で自分のことが分かっていないから、なにもかもが分からなくなっているんだ
生きることを諦めたらだめだと言いつつ、すぐにでも諦めてしまいそうだ
本当はこのままで生きていく自信も理由もない
生きるの疲れたな、元気でいるのも疲れたな、頑張るのも疲れたな、
でもいつも笑顔でいたいのに、もっと強くなりたいのに
限界なんだ、
弱いままの私でも許されたい、受け止められたい、支えられたい、強がらなくてもいいんだよと言われてみたい、毎日大丈夫なふりをしなくてもすきでいてほしい、どんな私でもいいんだと言われてみたい、死ねなくてもどうか叱らないでほしい、
何もできない私なのにこんなことばっかり願ってしまってごめんね、できるだけはやく死ぬからね、

今夜こそさ、明日が来るのが怖い、とか生きていたくない、だとか
そういうほんとうにいくら考えたって答えがでないようなことをずっとずっと考えながら泣き続ける夜が
貴方にも私にも来ないといいな、
貴方のつらさ苦しさ痛さはぜんぶぜんぶ私が受け止めるから、どうか眠るときぐらいはすべて忘れて、貴方が穏やかでいられますように
明日も私の大好きな貴方がどうか、笑顔でいられますように

私の文章で人生が小さじ1杯だけでも楽になりますように、そんな思いを込めて記事を描いています。 サポートして下さった貴方と、いつか珈琲が飲めますように⋆͛☽.゚