なにか失敗するたびに「ほらね」と思っている

あの頃と比べて感情のコントロールが上手くなったかなと思ったけど全然だ、
結局変わらないんだな思考って

肝心な時にいつも たすけて と言えない

私も好きで自分を蔑んでいるわけではないのに、それでも否定ばかりしてしまう
そうやって、自分を守ってきたのだと思う。
うまく言えないのだけれど、
私は自己肯定感が低いということによって自己肯定感を保っている気がする。
積極的に自分をだめだと思うことで本当にだめな自分を守っているような、

なにか捨てなきゃ重量オーバー
貼り付けた笑顔とか、経験値で背負い込んだもの
捨てていいよ


周りがやすやすと乗り越えていくことにいちいち足を取られ、
無用なところだけ逞しくなって肝心なところは弱いまま、
大袈裟に傷つく割には妙に鈍感で、まわりに迷惑を掛けて、心配をかけて、

どうしたって言葉に出来そうもないことを、なんとか言葉にしたくて生きている。
「黙っていても伝わることがある」なんて、
そんなことは思わない方が身の為。


「全部だいじょうぶになりた~い!!!!」という気持ちと
「全部だいじょうぶになったとて~!!!!!」という気持ちの間で反復横跳びをしている人生
ひとつでも選択肢を間違えるともう生きていけない気持ちになる



ごはんを美味しいと思いながら食べたい、
夜は夢にうなされずに眠り気持ちよく朝に起きたい。
好きなことや趣味を楽しいと感じたい、
夜に今日もなにもせず生きてしまった、と自責したくないし
明日なんて来ないで、と願いたくない。
朝に今日もまた耐えなくちゃいけないことに絶望したくない。
そんな毎日を繰り返したくない。
精神が壊れる前の昔の自分なんてもう覚えていないし、あの頃には戻れない
そういうものなんだよな
一番つらいことは、
私のつらいことは結構な割合で自分にも責任があるということ。
はぁ、「繊細だね」とい言葉に込められた無意識の皮肉にも気づいてしまうよ、繊細だから。


頑張ろうと思っても続かなかったり、頑張りすぎてつらくなったり、
毎日そんなことばかりだけれど、それでもただ地道に歩き続けるしかないのだと思う。
立ち止まったとしても振り出しに戻ってしまう訳ではなくて、振り返れば歩いてきた道があると信じたい。


今頑張っているひとも、頑張るのをおやすみしているひとも、
調子の良いひとも、力を出し切れていないひとも、
みんな大丈夫、きっとなんとかなる。なるようになるよ。

うまくいかなくて焦ってしまうこともあるけれど、どうせならご機嫌に過ごしたい
頑張るのは大変だけど、頑張らないことで楽になることは私には出来ない。
だから、ごちゃごちゃ考えないときめた!!出来ることをやっていこう、ね

私の文章で人生が小さじ1杯だけでも楽になりますように、そんな思いを込めて記事を描いています。 サポートして下さった貴方と、いつか珈琲が飲めますように⋆͛☽.゚