見出し画像

優しいひとだけが宿せる言葉の温度ってあるよね

あぁなんか、色々経て今を生きている自覚はあったけれど、
予想以上に色々あったなと改めて思ったら今の生活がどんなであれ心底恵まれていて、手放したくないと思ってしまうね。


楽しくて仕方がないって思える時間はあまりにも一瞬で、でもその一瞬のおかげでまだ頑張ろうって思えてる。

大丈夫なフリをするのが上手なみなさん

「見ているひとは、ちゃんと見ているよ」という言葉に何度、
救われてきたか
わたしも、ちゃんと見ているよ
大切なことをひとつも取りこぼすことなく、
ずっと大切にしていられるだけの器量が欲しいのです。
誰にも気づかれないような小さな優しさをずっと重ね続けることが出来るひと、になりたいよね。

貴方には貴方だけの苦しさがあって、わたしにはわたしの苦しさがある。
比べるものじゃないよ。

適当でもなんとかなる、他人は思っているより自分のことを気にしていていないんだと思う。
ひとは誰しも欠点があるって、周りのひとのそれは気にすることも無く付き合っていけるのに、
どうしてか自分の欠点だけは許すことが出来ない。
もうこれを何年言い続けているんだ。
そしてどうしてなんにも変われていないんだ!!!!


なんかさ、
それらしい音楽をつければ感動する人生だって実物は泥臭く足搔いていたりするわけで、
わたしの生きている姿なんて見せ方と捉え方でころころ変わるものなのです。
自分の信念に反したことには十分自分が悔いているので、
誰かにとっての信念で心を殴られることには慣れていないのです。
知ってる?
何があってもなくても、世界はめちゃくちゃに広いんだぜ?
なんて世界の終わりの始まりのようなことを言ってしまった。
でもなんかさ、
ひとは特に、健気に生きているだけで誰かを救っていることがあるんだよ忘れないでね


私はたまに自分のnoteを読み返すことがあるんだけど、
ずっと同じような不安を抱いていてさらに不安になったけど少し安心した
私はずっと変わってしないし変われていない
過去の自分がわたしの味方

貴方に自分の気持ちを伝えるとき、
自分にぴったりな適切な言葉が湧き出てくるその度に描くことを諦めなくてよかったと思う

苦しくないように。
今しんどくても、ちゃんと貴方が報われて、
貴方があたたかさに包まれていますように、とずっと願っています。


愚痴をこぼしても大丈夫だと思ってもらえたこと、
大切な休日を自分の為に使ってもらえたこと、貴方の明日に自分に居るかもしれないということ
ひとつひとつは小さくても確かに貴方に選ばれていた期間があったって事実が自分を強くしてくれている。



つらい、頑張れないにも順番があって
これは私の場合なんだけど、
本が読めなくなる→漫画を楽しめなくなる→映像を楽しめなくなる→音楽まで楽しめなくなる
です
自分の生き甲斐である文章がまず描けなくなり、読むことさえできない、頭から文章がすり抜けていく。
暇があったら、暇でなくとも、四六時中音楽を聴いている私が、音楽がうるさいと思ってしまう。
この状況は本当につらい。
何処にも逃げるところがない。
なのに、生きたくないのに、終わってしまっていいのに
明日は皆と同じように来てしまう。
眠れなくて段々明るくなっていく世界を目の当たりして絶望する。
眠ることが出来て毎回悪夢で飛び起きてしょんぼりする。

今日がどうであれ明日が来て、明後日はあるかないか分からないけどきっときてしまって。
いろんな感情の中息をして、目を閉じて、肌で温度を感じて、
誰かの声が聞こえて、
あぁ、今日も私はここに居て生きてしまっているのか、と感じてしまう。


考え過ぎ!気のせい!って言われるのが怖くてなんにも考えていないフリをしていたらなんにも考えられない人間になってしまった
笑えない
もう考えるのやめよう!考えない、考えないよ
今の私に出来るのはなんにも考えないことと目の前にあるしあわせのカケラを取りこぼさないように慎重に生きること!


こんなに暗い事ばっかり考えているけれど、
人生はなんとかなると思っています。
というか、なんとかなってくれないと困るんです。
なんとかなるし、なんとかするって覚悟と根拠の無い自信を持っているときの自分は随分と強い
いつでも思えるわけじゃないけどね、どうにかしてみせるよ

私の文章で人生が小さじ1杯だけでも楽になりますように、そんな思いを込めて記事を描いています。 サポートして下さった貴方と、いつか珈琲が飲めますように⋆͛☽.゚