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いつか花道だけを歩けるときが来る

推しが法律学科4年 𓆟
卒業論文【推しの卒業にあたって思うこと】

字数:12000字
提出日:2022年3月23日

-はじめに-
本来この卒業論文の制限字数は12000字でした。
ですが、なるべく同じような言葉を使わないように、
届きやすい言葉で紡ぐと8000字になってしまったことをまずはお詫びいたします。
そして、私はこの論文に莫大な力を注いだこと、貴方にだけでいい。
伝わっていてほしいと思います。


さて、
今回の論文は⚑にもらった言葉で、1番救われた言葉を中心に書きたいと思う。

「ちゃんと見てるから」

という言葉は僕が高校2年生のときにもらった言葉。
良い子でないと価値がないと考えていたこと、
頑張らないと置いて行かれると怯えていたこと、
出来ないことなんてひとつもない、といつも笑っていなきゃいけないと思っていたこと。
頑張り方が分からないままがむしゃらに、ひたすらに走り続けていたあのとき。
⚑がかけてくれた言葉。

僕のことを抱きしめて、
「大丈夫、全部うまくいくよ」
と、言ってくれた⚑のことが忘れられない。
僕は弱いから、そんなにいつだって大丈夫ではいられなかったけれど。
あれは無敵の呪文だった。
僕は貴方に同じことをしてあげられてはいないんだと思う。
そんな力が僕になくてごめん、
でもその分笑わせるからさ、ね。


死ぬほど努力して達成できたこととか、頑張って良い結果になったこととか、そういう成功体験はいつの間にか全部忘れちゃっていて、”自分はなんにもできないな”という心の奥にある劣等感ばかり増幅し続けていくの、
だけど、貴方は本当にちゃんと見ていてくれていたよね。
僕の腕に傷が増え始めたときも、ごはんが全く喉を通らなかった時期も、
僕が写真になにを込めているのかも、
きっと貴方はなにもかもお見通しで、なにも言わずに隣に居てくれたね。
私が泣いているときに、慰めも問いかけもせずにただただ傍に居てくれる貴方こそ、純度の高い愛情を持っていると思うよ。
大丈夫、貴方はちゃんと他人に愛情を注ぐことが出来るひとだよ。


僕が今なにに悩んでいて、なにに苦しめられていて、どうしてこんなにも憂鬱なのか、自分でもよく分かっていない。
僕がこうなった原因は幾つか思い浮かぶけれど。
それが全てとも思えなくて、ただ元々こんな人間なのだと言われると腑に落ちる。
僕は元々少しズレていて、何か欠けていて、何処かおかしいのだと。
所謂「普通」に当て嵌らないのだと。
言葉にする術が無いほどのぐちゃぐちゃした感情を、ただただ心の中で燻らせて、今日も寒い部屋でお酒を飲んでいるよ。
みんなが「普通」に持っている優しさを、自分は少しも持っていない気がする。
こんなことをずっと考えているけれど、
やっぱり僕はなんにも持っていないよね。そうじゃない?
あれ?もしかしたら君から見たぼくはほんの少しだけ優しかったりするのかな、そうだといいな。



「完璧とか、いい子でいることに囚われすぎだ」と、貴方に言われたことがある。
自分でも分かっていたけれど、それが自衛にもなっていた。
相手の求める「わたし」を演じる、家族や友人、恋人、それぞれが求める「わたし」を。
そうしないと、認めてもらえなかったから、見てもらえなかったから、愛してもらえなかったから。
案の定、僕は「わたし」を見失ってしまった。
でも、でもね、そうするしかなかった。

「完璧じゃなくても、いいこじゃなくても、君は君でいい」そう声をかけてくれたひとがここに居る、嬉しい、嬉しかった、安心した、ただ、ほんの少しだけ、今まで頑張ってきた僕を否定されたような気持ちになってしまった。
擦り減らした心は、きっともう戻らない。
それだけ頑張ってきた、だから、わたしを否定しないで欲しい。  なんて、貴方は僕のことを否定したことがなかったね。
過去のわたしも、今のわたしも、
こんなのワガママだと分かっているけれど。
いつか、わたし自身、わたしを受け入れて許して抱きしめてあげられる日がくるのだろうか。
否定されたように感じてしまったけれど、その何倍も救われていたこと、ちゃんと伝わっているといいな、
僕は、貴方のこの言葉に何回も、本当に数え切れないくらい何回も救われてきたのです。

僕に居場所をくれて本当にありがとう。
1度「人間性の方向性の違い」で離れたけれど、向き合うことから逃げなかった貴方が本当に強いと思ったし、そんな貴方だからこそ僕は救われたのだろう、と心底思っています。
距離を縮めることには、どうしても「複雑になること」が付随する気がします。



貴方は本当に優しいひとだから、それがいけなかった。
「貴方はとても優しいひと、それがいけなかったのね」というback numberの『助演女優症2』のように。
僕は貴方のなんでもないけど貴方のなにかになりたいと思ってしまうことがありました。
この関係性に名前が付けば楽になれるし、悲しくもならないと。
だけど僕は自分でこの関係性に名前を付けないことにしたのです。
関係性に名前を付けると終わりがくること、痛いほどに分かっているから。
優しいひとほど他人の傷つけ方を知っていると思うのです。
他人に傷つけられるかもしれない、傷つけられるという選択肢があるのにも関わらず、それを選ばないからこそ「優しいひと」なんだと思います。
貴方はもっと周りのひとの強さを信じていいと思いますよ。
貴方が関わってきたひとは全員しっかりと、ちゃんと、強いです。


僕にとって貴方は、いつだって笑顔で、
真っ向から向かっていく、格好いい戦い方をする勇者だ。
だから僕は、貴方と一緒に居れば、
いつだって無敵だ。
断言するよ。



「似た者同士はうまくいかないんだよ」
これは私が高校2年生のときに、同じクラスだったあの子に言われた言葉。
今でも私は⚑に似ていると言われることはあるね、
𓆟が真似してきたんやって貴方は言うけれど、似てるって言われ始めたのは最近じゃないって気付いてた?
なにが似ているのか教えてくれたことはないけど、初めて会ったひとにも前から知っているひとにもなにかが似てる、と言われていた。
僕は似ていると言われる度、嬉しかった。
だって貴方は私の中でずっと憧れのひとだから。

貴方が僕にとっての正義で在り、良心で在り、道徳の全てで在ったりする。
貴方がご機嫌に笑ってくれる選択が私のやるべきことであり、貴方を悲しくさせないことが私の生きる道標になるんだろう。
君はちいさなかみさまだよ。ありがとう。
でも、勝手にかみさまにしてしまってごめんね。


似た者同士はうまくいかないんだよ、と言ったあなたは知らないでしょう?僕がなんでずっと憧れているのか、貴方がなんでいつまでもずっと輝いているのか
絶対に教えてあげない、どうせうまくいかないと思っていたらいい、
僕は絶対に私が守りたいものを大事にして幸せに生きてやる。
どうしても譲りたくない守りたいものを胸張って大事にするんだ僕たちは。
なんにも間違ってなんかいないんだから。
僕たちの「好き勝手生きる」の中には、「大切なひとたちを不安にさせない」が含まれているんだと思います。


そういえば僕は貴方の「マクドに行くといつもあれを食べるなぁ」とか「スタバのあの飲み物が好きって言ってたな」とか、
自然に記憶に蓄積されてくる『好き』を重ねるのが好きです。
それだけ同じ時間を過ごしてきたんだなぁって思えるじゃないですか。
僕はかなり忘れん坊なんだけど、
貴方の好きなものとか、貴方が話してくれたなんでもないこととか、
全部全部覚えていたい、ってずっと思っているんだ。


ところで、話は変わりますが「MBTI診断」というものをしたことがなかったんだけど、貴方が言っていたのでやってみました。
私は『ISTJ』(管理者タイプ)

自分の行動には喜んで責任を取り、仕事に誇りを持っていて、目標に向けて作業する際は、時間とエネルギーを惜しみなく費やし、各関連業務を根気強く正確に完了させる。
物事を仮定して考えることはそれほどなく、代わりに状況を分析して事実を確認し、実践的な一連の行動を見い出すことを好む。
生真面目な性格で、意思決定すると、目標を達成する上で必要な事実を周囲に伝え、他人が瞬時に状況を飲み込み、行動することを期待する。
優柔不断な人には我慢できないが、自分が選んだ方針が空理空論で対抗されると、さらにすぐに苛立ってしまう。
特にその異論が重要な詳細を無視している場合はなおさらで、だらだらした無駄な議論に持ち込まれると、締め切りが近づくにつれ、怒りを露わにする。
頭の回転が速く、事実に基づき物事を考え、人や物に頼るよりも、自立した環境の中で、自主的に物事を進めることを好む。
人に頼ることは弱さの表れだと考えることが多く、義務に対する情熱を持ち、誠実で非の打ちどころのない人格者である管理者型の人達が、そうした落とし穴に陥ることはない。

とのこと。他にも色々と記載されていたがどれも納得する結果だった。

そして貴方は『ISFP』(芸術家タイプ)

独自の価値観、情熱や美学を持ち、心の調和を求め、誠実で真摯な生き方をしたいと思っている。
 飾り気がなく、誰かの真似をするでもなく、素直に自分の感じるままに従い、表現と行動の自由を求める。観察力があり、周囲の様子や環境の変化に敏感。 また行動力があり、チャンスを逃さず素早く対応する。
 他者の様子についても、明敏な観察力が働き、優雅に振る舞い、また、よく面倒を見る。
困っている人間がいれば、心痛を感じ、親身になって考え、できることなら援助の手を差し伸べたいと思っている。
 もし、自分自身の方に余裕があれば、具体的な行動によって支えようとする。
空想的で、夢見がちなところもある一方で、 地に足をつけて、現実的な考え方をする。 目の前の課題に一つ一つ対処してゆくことで、 現状を乗り越えてゆこうとする。
誇張する言葉や冗長な表現は使わず、説明は簡潔で率直。

とのこと。確かに納得できる。

相性を調べてみました。
『教師と生徒のような関係』と言われていました。
その通りすぎてゾッとしました。
私が出来ないことが出来る貴方を無意識に尊敬しているんだって、えぇ、、たかがインターネットに見抜かれてしまったんだが、、
私が貴方のことを底なしに褒めるのはもう運命なんだと思っていてください。



さて、僕が疾患を沢山抱えてしまったように、
貴方も、僕と同じくらいの時期に同じような疾患を抱えてしまっている。

死にたくなってしまうくらい心が弱いんじゃなくて、
生きてんのが死ぬほどつらいのに、それでも必死に生きているから、
本当は貴方はめちゃめちゃ強いんだよ。
見えないものと戦っているひとは強いんだよ。
貴方が優しいひとだから好きになったんじゃない。
貴方の容姿が整っているから好きになったんじゃない。
都合がよかったから好きになったんじゃない。そんなことは考えたことはない。
僕の不安を貴方がなんでも包み込んでくれたから好きになったんじゃない。
僕は、「貴方が貴方だから」好きになったんだよ。

苦しくてもつらくても、それでもどこかに少しでも前向きさを残す貴方。
美しいです。

きっと何度も伝えていることだと思うけれど、貴方は誰かの笑顔について考えられるひとだと思うんです。
誰かの笑顔について考えられるひとは、きっと強くて優しくてしあわせになれるひとだって信じてる。


答えが決まっている学校の問題じゃないからさ、
生き方や価値観の正解はだれも教えてくれないし、教科書にだって書いてない。
貴方の思うことが1番正しいことなんだから、
だから貴方は好きなように生きていてほしい。
周りのひとと意見が合わなくても、
貴方がそんな自分を嫌いじゃなかったらそれでいいと思うの。
僕は貴方のそういうところがすごく好きだ。
僕は僕で居るから、貴方には貴方で居てほしい。
なるべく、他の何者かにならないように。


着たい服を着て、したい髪型で、好きなように生きることは何も間違っていなくて、でもそれを貫き通すにはあまりにも敵が多すぎたりして
ずっと強くなんか居れないじゃない、
貴方は全然弱くないんだけどでも弱い自分は悪くないのよ。
だからずっと強くあり続ける必要はないよね。
弱さってね、今より強くなれるということで、
強さっていうのは、元から備わっているものではなくて、貴方が乗り越えてきた全ての弱さだと思うんだ。
事実の正しさなんて重要じゃないでしょう、
大切なのはその時の貴方がちゃんと自分であったか そうじゃなかったかだよ。
「このひとは何を喜びにするか」を見抜ける貴方や、「このひとは何を侵害されたら傷つくのか」に気付ける貴方がちゃんと貴方のままでいられることがなによりも大切でしょう?
誰に何を言われようが貴方の◯◯したい、という思いに勝るものは無いしそれを発信するのは何も間違っていない。
僕は貴方が言葉を用いて発信するときがとても好きだな、
言いたい文をより正確に伝えるのは接続詞だし、
想いをより強くするのは貴方の選ぶ単語だし、
整っているのは知性だし、
珠の余白は貴方の覚悟、
読みやすさには敬意が込められているんだと思うよ。
今までを相当な覚悟を持って選択してきた貴方だからこそ書けることがある。
「これを言ってあなたがどう思うか」を考えられる貴方が図るコミュニケーションには意味がある。
一緒にいる相手を不愉快にさせない、というのは別にルールじゃないけどそれはマナーとモラルの話で、約束とか契約とかがなくてもそこに信頼があるなら破っちゃだめじゃん。
それが分かっている貴方は本当に優しいひとなんだよ。分かってね。
貴方は本当に最高だから他人の言葉なんかマジで無視してなにも考えずに自分の好きな着たい服着てくれよ。
貴方の容姿を揶揄してきたり服装にどうこう言うやつは僕が背後からアレしておくから。

どんな間柄だろうと貴方の努力を馬鹿にしたり、
貴方の存在を否定するような奴は敵と見做していい。
これは覚えていてください。


僕はやっぱり、所作や言葉が綺麗なひとにどうしても惹かれてしまうな。
そう、君とかね。
生まれつきのものではなくて、貴方が貴方の人生で得てきたものだから。




死んでしまいたい、と思うことはきっと生きている限りもうなくならないのだと思います。
1度そう思ってしまったら。考えることがなかったころのことなんて思い出すことが出来ない。
僕も貴方も一体いつまで生きているのでしょう。生きていることが出来るのでしょう。いつ諦めてしまうのでしょう。
そんなの分かんないよね、今日かもしれないし、3年後かもしれない。
もしかすると80歳まで生きているかもしれない。
僕は、今は出来るだけはやく死ねたらいいな、と思っているけれど、
本当に自分勝手だね。
貴方には出来るだけ長く生きていてほしいと思ってしまうんだ。
この世界がどれほど汚くて救いようがないくらい惨めになる瞬間があったとしても、根拠は全く無いけれど『貴方なら大丈夫』だと思ってしまうから。
その時に僕がもう死んでいたとしたら、僕が今まで綴ってきた言葉を思い出してほしいと思うし、僕が今まで撮ってきた写真を見てほしいと思う。
これは自慢だけど、僕が撮った貴方ってすごく素敵な表情をしていると思いませんか?
貴方が「この写真いいな」と言ってくれる1枚は僕の中でも自信作です。
あたたかくて、やわらくて、貴方の魅力が詰まっている。
貴方の走馬灯に私の写真が1枚でも登場したら嬉しいな、


自由に我儘を言わせてくれる貴方がすごく好きだ。
叶えてくれるかどうかは重要じゃなくて、
聞いてくれるというのが嬉しい。
僕の無理難題や小さな欲張りをその困った顔で笑ってくれるのがものすごく嬉しかったの。
「好き勝手生きる」ことがこんなにも不安でない関係性が存在するということに気付かせてくれてありがとう。
生きているだけで私のことを面白がってくれて、ありがとう。
ほんとうに、ほんとうにありがとう。

僕がアルバイトに行きたくないとぐずぐずしていたとき、貴方はいつだって怒らなかった。
貴方は同じアルバイト先で働かせてくれた。
たとえ仕事が出来なくたって、僕の少ししかないいいところを見つけて声に出してくれた。
僕が正社員になると決めたとき、貴方は絶対に無理やりにでは無く、後ろからあたたかく応援してくれたね。
こんなにも心が弱い僕を、
余計なものまで勝手に抱えて、勝手につらくなって泣き出してしまう僕を、
貴方はいつだって“言葉“で支えてくれた。
はじめに言った通り、貴方は本当に「ちゃんと」見ていてくれるんだ。
絶対的な大丈夫は確実に僕の力になっているよ。
今だってほら、こんなにも大丈夫だから。




僕が貴方とこんなにも長い間同じ時間を過ごすことが出来ているのは気を遣わないから、ではなく 気の遣い方が同じ だからだと思う。

哀しみや不条理さ、理不尽さ、を知ってしまっても
それでも尚、他人に優しくあろうと出来る。

幸せになろうと努力しているひとは必ず報われることを僕らは知ってる。


お願いだ、貴方はもっと軽率にしあわせになっていい。
これからの人生、楽しい時間が長い方がいいに決まっているじゃないか。
きっと苦労なんてわざわざしにいくものじゃないよ。


例え、僕の体重がどれだけ増えようと、どれだけ減ろうと、
化粧が濃かろうと薄かろうと、それを落とした素顔の造形がどうだとか、
どうしても消えない傷の跡だとか、
そんなことじゃなんにも動じない貴方が僕はものすごく好きなんです。

僕の大切なひとが嫌な思いをせずに苦しむことなく悲しむことなく毎日しあわせに過ごせたらいいな、って本気で思ってる、本気で願ってる、笑われちゃうかもだけど
貴方の未来に僕が居ても居なくても貴方だけはしあわせで居てほしい。

今もすごくすごく大事なひと、
僕のことを名前で呼んでくれていたんだけど、
そのときはとびきり自分の名前が好きだったな。

⚑が何に悩んで、何を大事にしたくて、自分の人生になにが必要なのか、僕は全部は分からない。
でもすこしは分かる、と見栄を張らせてほしい。

僕は貴方の友達である以前に貴方の大ファンなんです。


例えば、ショートケーキのいちごを喜んで差し出すくらい、
貴方のことが好きなのです。
分からなくていいから、どうか信じていてほしい。
そして、貴方を救ってあげるだなんて軽々しく口にはできないけれど、
貴方が最初に救いを求めるのが僕であってほしいなとは思ってるよ。


そんなに冷たくされたって、振り向いてくれなくたって、僕のことを好いてくれなくたって、
会えたら嬉しいひとが貴方だ。
会えるように頑張ろう、と思えるのが貴方だ。
しあわせになってほしい、と願えるのが貴方だ。
例え叶わなくたって出会えたことが嬉しい。
貴方に出会えたということは、今日も人生でかけがえのないもので在り続ける。

約束する。僕は一生かかっても、
君に恩を返すよ。


私の文章で人生が小さじ1杯だけでも楽になりますように、そんな思いを込めて記事を描いています。 サポートして下さった貴方と、いつか珈琲が飲めますように⋆͛☽.゚