この選択が正しいんだと言えるようになりたい。

私の大学では、この時期に自分の進路について自己を振り返って考え直す みたいな機会があって、10分間のプレゼンテーションを行います。
今回は、私がそのプレゼンテーションで話すことをnoteにも残しておきたいと思います。
私にとっては他人でただのクラスが同じだ、という人たちにしなくてもいい話かもしれない。なんならこの話を他人の前でするのは怖い。分かってもらえるはずがないから。
だけどね、だからこそ話した方がいいんじゃない?と⚑が言ってくれたから、人前で話すことを決めました。

突然ですが、私はごはんを上手に食べることが出来ません。
では、「ごはんを上手に食べる」とはどういうことでしょうか。
私は、「ちゃんとした時間に、バランスのとれたメニューを、おいしいと思いながら食べる」ことだと思います。
この考え方でいくと今の私は、というよりもう何年も上手にごはんが食べられていないな、と思います。
生き物として生きている以上切っても切れない「食事」という行為が、みんな当たり前のように出来ている「食事」が私は満足に出来ません。

これが一般的に 摂食障害 だと呼ぶことをみんな知っていると思います。
私は自分が摂食障害だと病院で言われてから、意外と上手にごはんが食べられない人がいるということ、
そして、摂食障害は精神疾患に分類されるということを知りました。
摂食障害という病気は薬で治るものではありません。
この病気を治すために必要なのは 食べることに対しての意識を変えること と メンタル面のケア だということも分かってきました。
私と同じ摂食障害の人を、治すことが出来るのは医者ではない と私は考えます。
栄養面においての絶対的な知識、食事という概念に社会的な信頼を持つ「管理栄養士」という存在が、摂食障害患者にとって1番近い存在なのではないかと思っています。
食べることは、おいしくて楽しい記憶になるはずなのにそう感じることが出来なくなった背景を理解出来るのは、摂食障害患者だけだと思います。
じゃあ私が管理栄養士になれば、食事が少しでも楽しいという記憶になるお手伝いが出来るかもしれない。
そう思ったことが、管理栄養士を夢にした始まりです。

先程お伝えした通り、摂食障害は精神疾患のひとつと分類されています。
精神疾患は今、こころの病気 と言われることが多いです。
具体的な治療法があるわけではありません、薬に頼ったからといって治るものではありません。
なぜなら、そうなった背景が確かにあるからです。
いわゆる体調不良のひとが訴える食べられないという気持ちとは確実に違いがあります。
普通の人はきっと食べることに対して罪悪感を持ったりしない。
生まれた時から行っている「食事」という行為を「こわい」と感じたりはしない。
誰よりも美味しいと思ってごはんを食べたいはずなのに、誰よりもごはんのことを考えているのに、どうしても食べられない人の気持ちは当事者でなければ分からない。
この感覚が普通ではない、ということも患者は自分できっと分かっています。
だからこそ私は、精神科がある病院で働きたいと思っています。
管理栄養士のメリットは「健常者だけでなく、傷病者まで診ることが出来ること」だと私は考えます。
傷病者が集まる病院という場所で、年々増加している摂食障害患者を私は助けたいと思っています。
そして、病院で働くということは管理栄養士の資格を持つだけの知識があるということです。
せっかく持っている知識も、ちゃんと伝えることが出来なければ意味がありません。
そのために、私は今、塾で講師のアルバイトをしています。
塾に来ている、ということは勉強ができないところがあるということで、伝えないといけない知識があるということです。
新しい範囲に進むときはもちろん生徒にとって新しい知識なわけです。
じゃあそれを、知識がゼロの相手に向かって何と言ったら理解が出来るのか ちゃんと伝わるのか を考えながら話をします。
生徒にとって講師とは、正しい知識を持つ人でなければならない。
管理栄養士も同じように患者にとって正しい知識をちゃんと伝えることが出来る人でなければならないんだな、と感じた時から私は、この塾でのアルバイトが いつか につながっていると思いました。
人に伝えたいことを、ずれることなく、届くように話す練習をし続けたいな、と感じています。


結局私は、誰に向けての栄養指導がしたいのかをもう一度考えてみました。
私は「食べたいけど、食べられない自分以外の誰か」に向けての栄養指導がしたいと改めて思いました。
私は、管理栄養士というものは自分以外の誰か、他人の為に存在していると思っています。
今の私は、食べたいものが思いつきません。
だけど、食べなければいけないことは分かっているし、なにかを食べたいとは思います。
しかし、食べたいと思ってもいないものでカロリーを摂取することが良い とは思えないのです。
それに何より、私は自分自身の食事に興味がありません。
だからこそ、明確に食べたいと思っているのに食べられない人が、美味しいと思って食事を吸収することが出来るようになればいいな、と思っています。

しかし、食べたいのに食べられないのには必ず背景がある、ということをずっとお話してきました。
その背景を受け止められるのは当事者だけだ、ということも。
当事者じゃないと分からないかもしれないこの考え方を否定せずに聞くことが出来る人がいる、というのが治療の第一歩なのかもしれません。
食べたいのに食べられない、という気持ちは決して悪いものではなくて、その気持ちを少しずつ「食事って楽しいんだな」に変えることが出来たらいいな、と思います。

進路について自己を振り返るこの機会で私は、自分の 管理栄養士 という選択が正しいものだったか、を考えました。
自分の食事も満足に摂れない奴が行う栄養指導になんか意味がないと言う人は絶対に居るし、他人の摂食障害を治したいと考える前に自分がまず克服しろよ、と言う人もいます。たくさん言われてきています。

でももし、私が当事者だからこそ伝わるものがあって、それでごはんの記憶が楽しいものになったとしたら、私は自分の摂食障害と向き合える気がしています。
薬なんて効かないような病気だけど「食事がいちばんの薬だよ」と胸を張って言えるような管理栄養士になりたい。
この夢を選んだ自分を認めてあげられるように、まず私は管理栄養士になろうと改めて思いました。

私の文章で人生が小さじ1杯だけでも楽になりますように、そんな思いを込めて記事を描いています。 サポートして下さった貴方と、いつか珈琲が飲めますように⋆͛☽.゚