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受け入れてもらいたいと思う過程でふつうに食べられなくなったひとたちへ

ごはんを食べるの、しんどくなってきてしまいました。
美味しく食べられていたはずなんだけど、
怖いというか、食べた後に後悔してしまうというか、やめとけばよかった、って思うことが増えてしまったの。

誰かの為にごはんを作るのは楽しくて、
美味しいって笑ってくれるのが嬉しくて楽しいんだけど、それを自分も食べるとなるとちょっとえっ、っとなってしまう
飲み物のカロリーを気にしてしまうようになった、これぐらいなら大丈夫かなって思い始めていた揚げ物も、味の濃いものも、

1口ぐらいなら変わらないけど、この1口が終わりの始まりになるかもしれないってこと私はよく知っています。

やっぱり小エビのサラダをバカみたいに時間をかけて食べて、ストレートティーを飲むのが安心する外食だったりする。
職場の人と飲みに行くこと、たまにあるけど
帰ってきて必ず食べたものを思い出して震えている自分もう嫌なんだよなぁ


そんなときに必ず私は貴方のことを思い出す。
食べられない私を誰よりも知っていて、
普通に食べられていたころの私も知っている貴方は絶対に、
絶対に もっと食べや、なんてことは言わない。
私が食べたいものよりも食べられるものを優先してしまうこと、きっと貴方は誰よりも知っているから。
だから私は
「貴方がごはんを食べているのを前で見守る会」
という会を定期的に開きたくなってしまう。
だってさ、去年まではあんなに頻繁に一緒にバカやってたじゃん
貴方が美味しそうに食べているのを前で見ているただそれだけの時間がいかに大事だったのか、
それに私がどれだけ安心していたのか
そんな時間を失ってから気付くとかダサいことしてんなよ自分
「よく頼むメニュー」だとか「映像作品の小ネタ」だとか、
そういう貴方との共通言語にまだ縋ってちゃだめかな



でもさ、
貴方も今きっと強いフリが出来なくなっているんじゃない?
私は貴方が思っているより貴方のことを見ているし気にしているんだよ
いつまでもいつまでも気持ち悪くてごめんね
私が貴方に愛されるとかそんなこと望んでるわけないの寧ろ愛されてなんかなくていいの、
しんどいことがあったときちょっと思い出してくれるだけで
ひとつも悲しいことが起きないでほしい、
夜はしっかり眠れてほしい、
マクドのポテトはいつでも揚げたてであってほしい、
お鍋の豆腐は崩れないようによそってあげたい、
ただただずっと 幸せでいてほしい

だからね、宣言するよ
これからもずっと全肯定するからね!


貴方はいつか誕生日のとき、私のことを
”必要なときにほしい言葉をくれるひと”だと言った。
なぜかって、それは貴方がいつも
ほしい言葉をほしいときにくれるからだよ。
私がみっともないぐらいボロボロになってもきっと貴方は私を見捨てないと思ったもう離れていかないと思ったから安心して横でけらけら笑っていられるんだろうね


あ、あとね
私が妥協して物事を決めようとしているときに
「お前はほんまにそれでええんやな」
って言ってくれるところ
私の原動力になっていること、こっそり伝えさせてね。



貴方が居なくても生きてはいけるけれど強くは生きられないんだろうな
生きてるだけでいいって言ってくれるけど貴方が生きているということがどれほど大きなことかどうか分かっていてね

私の文章で人生が小さじ1杯だけでも楽になりますように、そんな思いを込めて記事を描いています。 サポートして下さった貴方と、いつか珈琲が飲めますように⋆͛☽.゚