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「ありがとう」と「ごめんね」が言えたから今日ははなまるにする

何度でも同じ話していいよって言ってくれるひとが人生に居るだけで結構変わるよね。


「一緒にごはん食べたい」って超愛だと思うんだけどきみはどう?

はぁ、
行きたい所、浮かぶのきみばっかり
こんなんじゃだめなのは分かってんだけどな
これはきっと、依存を超えた後の執着なんだと思う。
さみしさを埋める為だけに利用されていても、全然いい、きみならば、ね
ちょろいと思われたっていい、
今すごく好きだという事実だけでどこにだって行ける気がするよ

なんかさ、こんなに期間が空いても忘れられないひとがいるって、
希望でもあるし、絶望でもあるし祈りでもあって呪いでもある。
実に困る。


またきっと居なくなってしまうとか、離れられてしまうとか、
こころの居場所が、こころを置いておける場所がなくなるのが怖くてまた離れられなくなってしまっているんだと思う。
あのときの感情が蘇るってことは自分はまだ自立出来ていなくてなにかに寄りかかっていないと立っていられないということ。


なんだかなぁ、本当に分かんないんだけど
強くなったきみも素敵だけど強くならざるを得なかったきみの弱ささえも抱きしめられる存在になりたいと思ってしまうよね。
前も描いたことがあるけどさ、
会いたいと言われたいよね、存在に意味があると言ってほしいお願いだから
なんかね、思いの丈を打ち明けるときどこからどこまで話したらいいのか分からない
まぁきみならなんでもきいてくれるんだろうけど


出会い方がいくら最悪だったとしても、私にとっては最高の出会いで、お互いに頑張って生きてきたご褒美みたいなところあるよね
思い出したときに嬉しくなるというのが好きということなのだろう
きみのその言葉ひとつひとつにこころ揺さぶられたら好きなのかもしれない
わたしに会いたくて会いたくてたまらない耐えられない夜がきみにもあったらいいな って

「運命はある」と思うとき、私は救われたような気分になるし、だけど同時に絶望もする。
私の手では掬いきれない出来事を掬ってくれる運命は私の大事な手から大事なものを引き離してしまうから。

私はあの頃のことを全てすべて覚えておけるわけではないけれど、まぁ実際都合の悪い記憶は消してしまっているんだけどね
「忘れたくない」思った記憶のことは憶えているんだなぁ
「”このひとのことを好きになれて幸せだ”って恋は自分から手放してはいけないよ」って知っていたのに



「君の欲しい言葉は全部分かっているけれど敢えて言わないんだよ」なんて言ってきたきみのことまだ好きです、ばかですねぇ

私の文章で人生が小さじ1杯だけでも楽になりますように、そんな思いを込めて記事を描いています。 サポートして下さった貴方と、いつか珈琲が飲めますように⋆͛☽.゚