感想:『ダイヤモンドの功罪』 才能という名の灼熱 もういい、全部燃やせ、綾瀬川
私はグラップラー刃牙などの少数の例外を除いて、スポーツ漫画をまず読まない。いや、グラップラー刃牙はスポーツ漫画じゃないか…闘争漫画…?
とにかく私自身がスポーツに親しまないのと同様、創作としてのスポーツ漫画にもあんまりピンと来るものがないまま当歳まで過ごしてきた。
それでも生きてるとこっちの瞳孔が限界まで拡がるような作品と出くわすことがある。野球漫画『ダイヤモンドの功罪』は間違いなくそれだった。
主人公は綾瀬川次郎という小学5年生の男の子だ。
彼はテニス、体操、水泳と習い事としてのスポーツをしてもどれも長続きしない。
飽き性だから?そうではなく、才能が圧倒的過ぎるのだ。
小学5年生で166センチという恵まれた体格に、超一流の運動神経、一を聴いて十を察する理解力。
出生の時点でとりあえずスポーツ関連のパラメータを最大限雑に盛られてしまった100年に一度クラスの逸材、それが綾瀬川次郎という男だ。
圧倒的な資質がゆえに、どんな習い事でも飛び入りで参加して同年代の子どもが何年もかけて積み重ねてきた努力をあっさりとぶち抜いてしまうので、指導者たちは"よりよい”選手への筋道を用意しようと綾瀬川を優遇する。
Q.その結果どうなるか?
ただしこの綾瀬川次郎という少年は、めちゃくちゃ優しい心を持っていて、彼自身の願いは「みんなと楽しく◯◯(その時挑戦しているスポーツ競技)」をしたいという点に尽きるのだ。
綾瀬川は基本的に誰かと競おうなどという意識はまったく持ち合わせていない。運動において競うほどの相手が同世代で見当たらなかったからでもあるし、彼の気質も本当に優しいのだ。
圧倒的な才能とみんなで楽しく過ごしたいという本人の願いのミスマッチ、この要素が過去様々な才能のかたちを描いてきた(たぶん。何しろあんまり読んだことないので)スポーツ漫画というジャンルにおいて、『ダイヤモンドの功罪』の特異性のひとつだと思う。
(筆者はスポーツ漫画の天才って才能を自覚してないタイプか才能を自覚して世の中ナメてるタイプか才能を自覚しつつ全力で取り組んでるタイプの3パターンくらいしか知らないのだ。でも大体この3分類じゃない?)
冒頭で少し触れたように『ダイヤモンドの功罪』は野球漫画である。
が、現在までの連載において試合でのバッターとピッチャー綾瀬川の駆け引きはほとんど描かれない。
基本的にここまでの連載においてすべての試合は綾瀬川が本気を出すか、本気を出さないかで勝敗が決まっている。
綾瀬川の図抜けてる描写の一例として、まともに試合形式で野球をしたことがなかった綾瀬川が「攻撃回が長くて守備回が短いほどチームにとってはいいテンポで戦えるから、投球ひとつひとつの間隔はあえて短くするように調整した方がいいんですか?」みたいな視点で監督に質問するシーン。
小学五年生が眼の前のバッターを討ち取るのみならず、自分の挙動がチームに及ぼす効果まで考え及んでるのもはや怖くないですか。
スポーツ指導者にとって夢のような才能を持つ少年、綾瀬川。
関わった野球少年や野球指導者たちの瞳を、大脳辺縁系をスパークさせながら、ダイヤモンドの上で煌めく金剛石はどこへ行くのか。
掲載誌ヤングジャンプと、単話購入ができるアプリの更新が行われる毎週木曜日(最近単価が値上がりしたので単行本派になりそうだけど)を心待ちにしている。