6と5と0と10についての話
こんな、市民講座があったかもしれない。
――みなさんこんにちは。
本日の『オトナが学ぶコミュニケーション学各論』の最終講座を担当させていただきます、動的寿司と申します。
私は対外的に人嫌いを自称して通しているのですが、人と話すことそれ自体は嫌いではなく、単に自己開示が苦手で、自分自身のコンテンツ力(ちから)の弱さに自分で辟易してしまうからだったりします。
特に人間関係が極度のクロスレンジになった時、自分のぺらぺら加減に耐える自信がありません。
このような状態になると心理的には完全なパニックを来しているため、相手との距離感を見誤って、やらんでいいことして、言わんでいいこと言って自爆することがしばしばあります。
そうして負った負傷はその後10年以上に渡って私を苦しめています。最悪ですね。
みなさまにおかれましては、そんな地獄のような沙汰に陥ることもなく、つつがなく対人関係を築けていらっしゃるでしょうか。
そういう方はひとまず起立してください。
はい。そのまま荷物を持って会場の入り口よりお帰りください。ありがとうございました。
――さて、この会場に残った皆様はいわゆるエリートですね。同病相憐れむ同志達でございます。
ここで、私が人とコミュニケーションを取るときに考えている一つの指標を僭越ながら伝授します。
講座が終了したあかつきには、お手元に配布した資料はご自由にお持ち帰りください。お役に立ったならフィードバックをいただければ幸甚です。
人間関係の遠近の度合いを10段階で表してみる。
10…赤の他人
9…挨拶はする程度、名前も知らない
8…名前くらいは知ってるけれど
7…(ニュース、テレビ、趣味など)共通の話題で時間を過ごせる
6…上の状態で快適に時間を過ごせる
5…休日など余暇の時間に相手を呼びだすことができる
4…仲のいい知己。予定が空いてる休日に、とりあえず声をかける
3…親友。交際相手。
2…大親友。交際相手なら同居を考える。
1…パートナー。一日中一緒に過ごすことを当然とする関係
ここで私が主張したいのは、関係性の距離感というのは、近ければいいというものではない、ということです。
近ければ近いほど、コミュニケーションの密度は自然と増加し、『私』が開示しなければならない情報が増えます。
共通する中間的な話題から一歩進んで、自分について話さなければならないのです。あなたは自分というコンテンツに自信がありますか?
1ともなると、現在以降未来において体験するあらゆる事象を共有する覚悟が必要になります。
あなたは耐えられますか?
ご自身のコンテンツ力に自信があり、未来共有に耐えられる方は入り口からお帰りください。あ、お手元の飲み物などお持ち帰り忘れのないようにお願いいたします。
人生において最も汎用性の高い距離感とは
ならば、人様と交流するときに、どの距離感を目指せばいいのか。
ここで私が訴えたいのは、人間関係のエラー率が抜群の上昇を見せるのは、5からということです。
「休日一緒に遊べる・呑める・どこかへ行ける関係なのだからこれくらいの発言をしても許されるだろう。わかってくれるだろう」
この思い込みが、どれだけの死者を生んできたことか。
本当に、これ、危険なんです。
さらに言うと、あわよくば4とか3とかに行こうとした瞬間に、「実は彼氏・彼女がいるんだけれど」とかあからさまな牽制球を投げられて、やっちまったアアァ! と思ったことありませんか。
私はこれで3回、通りすがりの現実に刺されました。
その頃の傷跡はようやく塞がってきましたが、また刺されることがあると考えると気が気ではありません。
また、5あたりから、相手の普段の生活について知ってしまうことが増えるため、一度話してもらったプライベートな話題をちゃんと覚えていないと人間としての品格を疑われたり、一方で、自分自身のプライベートな話題を適切に開示していかないと、何を考えているのかわからないうさんくさい人物として、一気に8あたりに降格になる可能性があります。
いやあ、実に恐ろしいですね。
安心してください。
そうしたリスクを避ける、最強の距離感があります。
「6」の距離感を目指せ
結論から申し上げます。6は本当に安定しています。それ未満の距離感やそれより上の距離感の持つ微妙な距離で置いた磁石ような不安定さがまるでありません。
概して人間の距離感というのは、遠ざかるときにはより遠ざかるように動き、近づくときにはより密になるように動いていきます。
また、カップルが一度不仲になってしまうと、その後一切の音信を絶つことなどざらにあること。自他共に認める3だった人たちが、いつのまにか8になっていることも珍しくありません。
6は、関係する人間のどちら片方でもに確固とした意志がある限り、6の距離感を維持し続けます。ちょっと酔っ払った拍子にたまに4にぶれたりする5のような危うさがありません。
私はここで、あらゆる人間関係の目標地点を6の距離感で維持することのメリットを並べ立てることができます。
人生における出会いの数は有限ですが、その有限の出会いを凍結した標本のように維持することができます。
セルフイメージのコントロールが自由自在にできます。何せ、相手がどんな存在なのかギリギリ気にならない範囲の距離感なのですから、あなたがどのように自己を開陳し、その中にどれだけの嘘を織り交ぜようが相手はそもそも興味が(ギリギリ)ありません。どんどん適当なふかしを入れましょう。
6の距離感において、あなたはそのまま、あなたのなりたいあなたとして振る舞うことができるのです!!
これを私は『人間関係を6で維持する法則』と呼んで、この市民レクリエーションホールをはじめとして全国各地で講演をさせていただいております。
実践するとどうなるか
さて、以上の『人間関係を6で維持する法則』を実践し続けた結果、私の周りには知り合いと呼べる人間がいなくなりました。全くのゼロです。
話の流れからすると不思議に思うかもしれませんが、この情報化社会において、人間関係は常に精査され、取捨選択されていきます。
6の距離感の相手というのは、こちらからはともかくとして、相手からすれば切り捨てても特に問題ない人間なのです。
他のより親密な友人と会話をしたり出かける方に時間を割くのはごく当然の判断と言えるでしょう。
こうした状態の距離感のことを『自分ひとりを除いてゼロの人間関係』という意味をこめて、0と呼びましょう。
―—いやはや、これこそ、この益体もない空虚こそが、私が求めていた状態なのかもしれませんね。
まったく、この静かな無人の教室でマイクを片手に弁を振るっている私は、いったいなんなのでしょうね。
いずれにしましても、本日はご清聴ありがとうございました。
以上、0の私から、10のあなたへとお送りいたしました。
もう二度と会うことはないでしょう、ごきげんよう。