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暮らしを通して「自分ごと」にする

たしか、リトアニア帰国時の投稿で「これからのこと」として、やりたいあれこれについて少しだけ綴りました。
その中に植物療法を挙げていたのですが、最近ようやく学ぶチャンスが巡ってきたのです。

リトアニアにいる間から、いやずっと前からも、植物、とりわけ野草やハーブといわれる類の神秘や効能について、本や話をする中で「ああ、もっと体系的に学び、暮らしの中で活かしたいな」と思うようになっていたのでした。

それは単純にお茶やチンキという形だけでなく、わたしのライフワーク(といっていいのか?)である草木染めに対してもそうで。
以前から最近にかけて、草木染めやアーユルヴェーダ染めを生業にしている方々とお話しする機会があり、そこで「服用」、つまり布を通して植物の効能やエネルギーを取り入れる方法というのに、とてつもなく惹かれたのでした。

だから、植物療法を通して知った植物たちのパワーを、草木染めの中で上手に取り入れて、色だけでなくそのエネルギーも感じられるような暮らしの道具を作れたらいいなって。
その面では、伝統的なものづくりという形というよりは、本来の民芸に近いのかもしれない。つまり、名の知れた工芸家や美術家・職人ではないけれど、見た目も機能性も美しい、いわば実用の美なるものを求めたいな~と。ま、素人がそんな大それたことをのたまわってもね、という感じではあるけれど。まあまあ、そこは精進してまいります。


・・・そういう、ちょっとした「手に職を付ける」という面以外にも、暮らしを通して個人の知恵や自然の恵みを取り入れ、地球で起きているさまざまな事象を「自分ごと」にするヒントって、実はいっぱいあると思っています。

たとえば、手を動かして、ものをつくる、そしてなおすこと。
わたしが出来る範囲でいえば、衣類やちょっとした小物を自分で編んだり縫ったり染めたり。
破れたりほつれたりしたら、また直して。色が褪せてきたらまた染めて。
そうやって、布あるいは自然からいただいた繊維そのものを、長く大切に使う知恵というのは、いくらでもあるもんです。

わたしたちが普段、何気なく手にしている「もの」って、基本的にすべて地球の資源からできている。それを「使わせてもらっている」ということ。
今ではもののサイクルがどんどん短くなっているけれど、魔法みたいに、どこからかぽ~ん!と生まれるのでもなければ、捨てたあとはスーッと消えてしまう、なんてことも絶対にないのです。

自分たちの身体の仕組みがそうであるように、何かを生み出すにも、消化するにも、地球は膨大なエネルギーを費やしているわけだ。
今その仕組みに、人間の行き過ぎたあれこれによるアンバランスが生じているから、地球に負担がかかって環境破壊が起きたり、難民や貧困が生まれてしまっているという事実もある。

だから、服1着にしても、綿棒1本、ビニール袋1枚にしても、本来はそうたやすく使い捨てるものではない。なんなら、ものを安易に手にすべきでもないとわたしは思っています。
使う以上は、ものが地球の資源によって作られていることを意識し、感謝する。そして長く使う。手放すときにも感謝を忘れずに(ポイ捨て厳禁!)。
さすがにビニール袋や綿棒を長く使うのは無理があるかもしれないけれど、そもそも使い捨てアイテムを手にしないことはもちろん、服やちょっとした道具なら、自分で出来る範囲で直せるものは多くあります。それが難しければ、お直しをやってくれる人たちもたくさんいる。

そうやって、ひとつのものを大切にするだけでも、地球はずっと楽なはずだし、わたしたち自身も実はけっこうハッピーに生きられるものです。


またあるいは、家のどこかにコンポストボックス/エリアを設置して、野菜の皮や切れ端、ひいては身体から出たもの(耳垢とか爪とか)を自然に還すこと。
(コンポストの話は、こちらで書いています。よかったらぜひに)


できるんなら、トイレをコンポスト式にして、自分や家族・ペットの身体から出たものを土に還すのが、もっといい。

伊沢正名さんの本『葉っぱのぐそをはじめよう』に書かれているように、動物のうんちは菌にとってはごちそうなのである。同じように、野菜の切れ端や人の髪の毛・垢みたいなものだって、自然界ではぜ~んぶ「誰か」のごちそう。
いうなれば自然界は「うんち」と「ごちそう」で循環している。なのに、わたしたち人間ときたら、なんでも自分たちの身体に取り入れられなくなった途端に「ごみ」や「汚いもの」と決めつけて、しかも水に流したり火で燃やして土に埋めたりしている。

けれどそれって、ものすごく不自然なことで、今すでに地球に大きな負担をかけてしまっているのです。日々の小さな積み重ねが気候変動の大きな原因になっているのはいうまでもないけれど、日本の埋め立て地なんて、あと20年以内になくなっちゃうと聞けば、ずっとこの不自然な行為を続けてはいられないでしょう?


なんだか「そんな大げさな」とか「意識高い」と思われる方もいるのかもしれません。けれど、すべての事象はひとつの線で繋がっているもの。
だからこそ、暮らしを通して、あらゆる問題を「自分ごと」にとらえ、地球やそこに生きるすべての存在を思いやりながら生きる、という選択肢もあるはず。
めちゃくちゃ草の根かもしれないけれど、結局はそれが気候変動や諸々の社会問題への解決・平和な世界につながるんじゃないかなって。
理想だといわれればそれまでですが、ひとりでも多くの人が実践すれば、必ず世の中が変わるだろうとも信じています。だから、その人口をひとりでも増やすために、微力ながらもこうして言葉を紡いでいるのです。

あ、あと、植物療法や菜食・地球にやさしい暮らしというワードを聞いて、お金がかかりそうってたまにいわれます。
でも、これに関しては「やり方次第だし、基本的にお財布にやさしいよ~!」と、声を大にして言っておきます。万年貧乏なわたしがいうんだから間違いありません。

もちろん、市場に出回っているアイテムやサービスに頼れば、それだけお金がかかるでしょう。
けれど、わたしが思う「地球にやさしい暮らし」や、自分の求める「自然と人とが寄り添う暮らし」というのは、自分が暮らす地を拠点に、出来る範囲で実践するもの。なので、身のまわりにある素材・アイテムを使えばいいと思うのです。

たとえば、植物療法で使うハーブに関しても、西洋や熱帯地域から採れた値段の高いものではなく(もちろん必要に応じて使うべきですが)、日本の野草、蓬とかドクダミとかスギナとか、代替できる、いや代替以上にすばらしい効果を発揮してくれる植物を使えばいい。
野菜や果物・穀物も、テレビで話題のスーパーフードじゃなくて、自分の暮らす地域や国でつくられた、栄養もエネルギーもたっぷり詰まった在来種を育てたり食べたりすれば、それで十分。

そうやって、あれこれ手を出して世界中からものを集めるのではなく、物理的にも金銭的にも手の届く範囲でやってみることも、また大切。それが地球への負担を減らすことにもなり、世界中のあちこちで起きている戦争や貧困に加担しないための手段でもあるから。

そして、こうした話を書くうえで、やはり自分が思う暮らし方を体現していることもまた大切だな、と思わされるわけです。
これからまた忙しくなりそうですが、まわりの人や植物の力を借りながら、日々穏やかに、そして楽しく生きたいと思います。

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rie nochu|sumiyas
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