期待を捨てよう
こんな世の中だからこそなのか、自分の成熟に伴う気づきなのかは分からないけれど、最近よく思うことのひとつに「期待を捨てる」というのがあります。
正確にいうと、数年前にヴィパッサナー瞑想に参加して気が付いたことでも、ある。けれど、よりこの「期待」に期待しないことで、もっと生きやすくなるんだなという気付きは、実はごく最近のように思う。
わたしは普段から、その場のノリで動いているように見えるらしいのだが、実はけっこう”あらかじめ考えている”タイプだったりする。
自分の内側では相当考えを煮詰めて、結論を出してから行動に移してきたので、結果的に周りから「突然どうした」みたいな反応を受けてしまうわけですが。
そんな感じなので、自分で立てた計画がうまくいくかどうかは、もっぱらの心配事でした。当然、そのプランをやり遂げるためのプレッシャーも大きく、期待通りにいかないとイライラしたり、がっかりしたり。
つまり、いつでも心は緊張しているし、気持ちのふり幅も大きいっていう、なかなか疲れる生き方をしてきたのです。
でも、ある時に気が付いた。まあ、なるようになればいいんじゃないかって。
誰にも、何にも期待をしない。そもそも期待って自分の理想を押し付けることに近いと感じるし、目的の達成にはあんまり必要ないもんだしね。
それからは、すっと生きるのが楽になったような気がします。この「気がする」レベルは年々増していて、今でも細かなTo Do listは仕事や日々のタスクとして作ったりするけれど、あくまでも目安。
同じように、月単位、年単位でも「どうしてもやらなきゃいけないこと」以外は、そんなにしっかり決めていない。
まあ、だから、何となく心の中で「これやりたいんよな~」と思っていることを、未だに達成できていないというのも、かなりある。
でもだったら、その時チャンスが巡ってくるまで、機が熟すまで、待ってみたっていいわけだ。むしろ、そんなにやる気でもないのに「やらねば・・」という方が、長い目で見てストレスだし、後から振り返っても「それ本当にやりりたかったんか?」という疑問を抱く結果になりかねない。
少なくとも、わたしにとってはそうなのである。
だから、無理はしない。最初から自分の人生に期待をしない。そうやって「期待を捨てる」ことで、肩ひじ張らずにのびのびと生きられることだってあるもんです。身近な人たちにも期待をしないことで、怒りやイライラに無駄なエネルギーを使わなくて済むし。
とはいえ、まだ先のことは分からないけれどね。これは現時点でのわたしの人生における、あるひとつの結論としよう。
そんな風に考えていた年末年始、突然わたしにとっていくつかのチャンスが舞い込んできている。前提として、やりたいと思うことには想いを馳せてみるもんだし、チャンスを得るには自分からアクションを起こすことが大切だとは思うけれど、このチャンスを掴むまでの時間やプロセスに対する期待もまた、ない。
でも、それくらいのほうが、気持ちが楽かなあ。とりあえず動いてみたんだし。自分ではどうにもならないことなら、後は運しだいってところかしら。
まあまあ、生きていればいかようにも舵を切ることはできるさ。のんびり、楽しく生きましょう。