かつて過ごしたリトアニア・森の農園での気づきと思考
なんとなしに、自分が昔書きつらねていたTumblrのポストを見ていて、ふと4年前にリトアニアでWWOOFをした後の感想文が目に留まりました。
そして、これがなかなか自分の神髄に近いところがあるというか、当時の学びから今にかけて大事にしたい考え方がたくさんメモしてあるな、と思ったので、まるっとシェアしてみようと思います。
全体を通して、この時にはすでに、なんらかの形で「自然と人との暮らし方」を求めていたんだな、ということ、そしてあらゆる”違い”を受け入れようとする心持ちが感じられました。
ほかにも色々あって長いので、興味のあるところだけ飛ばしながら読んでもらっても構いません。
確かに思考の根幹は今とあまり変わりないとはいえ、あくまでも当時のわたしの考え方・気づきであるということを頭に入れて読んでくださるとうれしいです。
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(18.06.2018)
日付をずらしてみましたが、写真は昨日の。
リトアニアは、今でこそ敬虔なクリスチャンの国ですが、かつては自然崇拝がさかんで、キリスト教の普及は15世紀ごろと、かなり遅め。なので、それまでの自然崇拝の名残がぽつぽつみられる面白い国なのです。
ここは、その自然崇拝の名残がみられる森。大きな石がいくつもあり、それぞれ「座ると癒しをくれる石」「お願い事をしながら小石を載せると願いが叶う石」「バリアーを張ってくれている石」など、意味や力を見出した興味深い説明がありました(こういうのは基本、全部リトアニア語なので、ホストに訳してもらった。ありがたや)。
面白いなあ。わたしは家族が仏教信仰のため、自身も幼いころから仏教徒として生きてきた節がありますが、ある時から「あれ、なんか違うな」と思い始めたのでした。そのことは長くなるので今回は割愛しますが、いつしかわたしは半分仏教徒、半分自然崇拝者として生きています。ま、こういうハーフアンドハーフみたいな信仰具合の人なら、無宗教の国ともいわれる日本にも、実は結構いるんじゃないかとおもっている。
さて、本題に移ります。
リトアニア森の農園生活を通して思ったこと・気がづいたこと
(かなりランダムな内容。かつ個人の感想です)
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①農業は一日にして成らず。大変な力仕事・計画的作業の結集
まずはこれに尽きます。しかもこの農園、現在はリトアニア人のお兄さんがひとりでやっている。それまでは数人いたみたいだけれど、事情や折り合いがつかなくなってしまったらしい。
ま、そんな個人的事情は置いといて、内容は前回書いた通りです。とにかくひとりじゃやりきれない仕事量。わたしが来たばかりの4月下旬はまだけっこう寒くって、ほとんどグリーンハウスでの種まきや苗の移し替え作業でしたが、同時に外のフィールド作りも始めました。道具ひとつとってもけっこう重いし、もともと農業をやる環境が整っていたって、毎年畑を整えて、種をまいて、定期的に雑草を抜いて、収穫して売るんだから、文字面だけでもかなりのプロセスを経ていることが見て取れます。
そしてわたしが個人的に感心したのは、ホストが野菜の種まきする時期や場所などを計画表として作成し、順番に行っていたこと。アメリカやヨーロッパの大手会社の農園みたいな広さには到底及ばない、限られた範囲内をふんだんに活用して野菜を育てるべく、それぞれの適切な時期なども加味しながら、同じフィールドでどれだけ効率的に野菜を育てるかを、少なくとも彼はちゃんと考えている。
それに、毎年同じ気候条件とも限らないので、時には植えた苗が冷害などでダメになっちゃうことも。そうすると、その分の収穫量が減ってしまう。
また、収穫するにしても、植えたものすべてが収穫・販売できるわけではないのです。小さすぎたり、虫や鳥に食べられて売り物にはならなかったり。そうなると、個人的裁量でいえば、収穫率は70%ほど、販売できるものは50%ほど、といったところでしょうか。
有機野菜だし、ほとんどが手作業なので、本来ならば価値あるもののはずなのに、実際はそこまで高く売れないのも現状。マーケットでのお客さんの反応を見ていると、値段重視でお買い物している人は内の野菜の値段を聞くやいなや「高いわね」と捨て台詞を履いて去ってしまいます。まあいいよ、そういう人は栄養分スッカスカの化学肥料たっぷり野菜を食べればいいさ。それがどんなものかも知らずに生きるってのも、なかなか残酷なものですが。
ちょっと話はずれますが、知らされることのない情報って結構世の中にあふれていて、自分で興味をもって真相を追求しない限り、知る由のないことって結構ある。それが特に、自分たちの命に係わる食べ物のことだったりするから尚更。なんだかなあって思うけど。
それに、大手会社の大量生産の野菜を卸して売るだけの人ってのもけっこう多いもので、マーケットに出ている野菜を見ればすぐわかる、とホスト言っていたけれど、まさにそう。ただ、そういうのは破格ではない。
むしろ、趣味で家庭菜園している人がマーケットに出していることがあるのだけど、彼にとって野菜の販売はメイン商売ではないので、めっちゃ安い値段で売ってしまう。人によるけれど、たいていは業務用の農薬なんて使わないので美味しいのです。でもそうすると、本業でやっている農家さんたちは価格競争に負けてしまうので、値段を下げざるを得なくなってしまったり。だから見た限り、あまり儲かっているようには見えません。
ここの農園はマーケット出店を週に一度、そして同じ日に配送サービスもやっています。こっちは農園側が選んだ野菜を一律価格でお届けしているので廃棄のリスクはありませんが、距離が遠ければ遠いほど、お客さんにとってはお得なサービスかもしれない。ガソリン代、人件費、配達代などを考えると、そのコストの方が多いのではないかと思ってしまうほど。
というわけで、少人数規模で農業一本でやっていくのって、けっこう過酷だなあと思ってしまいました。
②でもわたしは日本に帰ったら農業やりたいと思った
いきなり矛盾したことを描いているように見えますが、それでもわたしは自然に囲まれて、野菜やハーブを育てながら生活したいなと思いました。
だってまず美味しい野菜を食べたいし、外で働くって気持ちがいいもの。丹精込めて育てた野菜は美味しく食べたくなるものだし、何より自然の恵みをいただくという感謝の意を忘れずに生活できる。
個人的に、ファームステイを始めて驚いたのは、めっちゃお通じがよくなり、肌のトラブルが激減したこと。特に初日と、週末ひとりでどこかへ行って帰ってきた翌日は、もう1時間おきにトイレ行っていた気がする。わたしはペスクタリアンなので、ときどきは魚を食べる菜食生活をしているものの、やはり旅路で口にするものすべての出どころなんて把握できるわけもなく、またバランスよく食事をとることもできていなかったので、やっぱり身体の調子はくるっていたと思います。
日本やオスロに住んでいたときでさえ、生活上の様々なストレスから暴飲暴食をしてしまったり、必ずしも自炊できていたわけではなかったので、今回のファームステイでの食生活の効果を改めて実感したところ。
あと、農作業って結構疲れるので、夜は早めに寝る。ぐっすり眠れます。適度な運動、野菜中心の食事、十分な睡眠という、健康的な理想生活の要素をすべて満たしているのです。すばらしい。
まあ、そういう自分中心的な思惑があるのは否定しませんが、そもそも日本に帰ってまた会社勤めを続けられるのかと言われれば、それはないな、というのが率直な感想です。もともとそういうのは向いていないなと思っていたけれど。もし信念のあう組織があれば、そこに行くことは十分にあり得ますが、そうでもない限り資金をためて、早めに森に囲まれた農園を作って暮らしたい。
ファームステイ中、野菜はほとんど買わなかったので自給自足で生活できる。でも少し多めに作って売るのもいいなって思っている。それでもっとたくさんの人が美味しい野菜の魅力、自分たちの体に気を遣うことに気付いてくれたら嬉しいな、とも思うので。
③森のそばで農園をすることで、余暇活動にも力を入れられる
わたしの場合ね。前々からやりたかった草木染めを、ここにきて何度かやりました。
時々は街へ出かけるので、その時にウールの毛糸を仕入れ(リトアニア価格なので安い)、森の植物を採集して染めていました。今までやったのは、地衣類、シダ、ビルベリーの枝葉、リンゴの樹。どれも北欧ぽいチョイスにしてみた(いちおうバルト三国も北欧なのですよ。豆知識)。これを日本の森で採れる植物を使って、農業をしつつ染めもやりたいな~と。
本当は、糸をつむぐところもやりたいので羊を飼いたいな、とも思う。けれど買う環境を整えるのに少々時間がかかる気がする。し、植物性の面、麻なら挑戦しやすいんじゃないかなと。あと日本の藍のすごさをここに来て実感し始めているところなので、藍も育てたいなあ。
というわけで、植物染めをやることと、農園をやることは、妙にマッチしているなと感じたのでした。
そうでなくても、一緒にいるアメリカ人のお手伝いさんは、いつも本を読んでいたり。ホストはわたしたちの仕事が終わっても、やり残した仕事などをずっとやっているときもあるけれど、今日はケーキとパンを焼いていました。そういう感じで、農家として生活していても、やれることは沢山ある様子。
④飲食関連の仕事経験がある、もしくは食や自然に興味があるほうがよい
なんでかっていうと、まずは農業が面白いと感じられる方が、楽しく充実した時間を過ごせるからです。興味がないと、ただの力仕事、きつい作業にしか感じられない場合もあると思うから。実際、いまいるアメリカ人の彼は、わたしよりも力仕事を任される機会が多いせいか、けっこう不機嫌そうにやっているときがある。自分のイメージとのギャップがある場合も、そう感じることがあるんだろうけれど。
あと、食事作りを任されることが多い。うちの場合はそうです。いつもじゃないけれど、特にわたしとホストしかいなかったときは、朝ごはんだけホスト、お昼と晩ごはんはわたし、っていう日も少なくありませんでした。でもわたしは辛くなかった。料理をすることは元々好きだったし、飲食経験のあるおかげで限られた食材でも調理方法や味付けでバリエーション豊かに料理することができたから(ただし限度はあります)。特にはじめのうちは、日本の調味料もなかったのですが、スパイスは豊富だったので、カフェのメニューなどを思い出しながら再現してみたりして、マンネリ化を防いでいました。これがホストに喜ばれ、けっこう料理を任されることに。
でも、別に料理が上手じゃなくってもいいのです。誰かと料理を、食事の時間をシェアするって大切で、そうすることで料理のモチベーションも上がるでしょうし、会話のきっかけにもなります。実際、わたしは英語がいまだに苦手なのですが、作ったものや材料の話で盛り上がることも少なくありませんでした。映画の手法でもよく使われる「食事を共にすることで仲良くなる」は本当だと思います。
あと、うちの場合は、農作業中にちょっとはじいた野菜とかをごはん作りに使ったりするので、この材料がないと作れない・・!という人にはちょっと困るかもしれません。でも大丈夫。有機野菜は野菜本来の持つ甘味があるので、たいていはシンプルな味付けで充分おいしいです。それに、一汁三菜という日本独特の考え方は持たず、ちゃちゃっと1~2品作れたらもう完璧。そこにパンかパスタ、ごはんなどを添えればもう立派なごはんです。ピザとかでもいいし。大体どのおうちにもオーブンはあるし(まあ農家によってはないかもしれないけど)。そない緊張するこたあないさ。
またすこし話はずれますが、飲食業ってけっこう低給料・社会的立場や優遇が不利な場合が多いですが、実際はかなり生活に使えるあれこれを身に着けることができるし、さまざまな人との出会いもある(特に接客の機会があればね)ので、カフェやレストランでの仕事を蔑視する人もいますがわたしがオススメします。あとサービス業全般も。これは世間を見るのにいい機会だと思うから。地位やステータスってばかばかしいなってなるよ、本当に。
さて、そんなわけで、飲食経験のある人・食や自然に興味のある人は、ぜひともファームステイをしてみて下さい。知らない野菜や調味料、調理方法も学べるし、文化交流にもなるし。わたしはそうでした。
⑤他人の家に住まわせてもらっているという意識を持って生活するということ
ファームステイってのはつまり、人のおうちに住まわせてもらうってこと。そうなれば、お互いが快適に生活するためにルールを共有する必要がある。
それに暮らしている以上は料理も掃除も洗濯もするでしょうし、身の回りのことは自分でやる必要があります。共同スペースは清潔にしておきたいもの。
まあ、ステイ先の状況にもよるとは思いますが、とにかく言えることは「自分だけの家ではない場所に住む(国が違えば文化も習慣も違う場所に住む)」ということ。家の掃除、洗濯、料理など、ホストや他のお手伝いさんと分担して行う必要があります。これを任せっぱなしにしてしまうのでは、いくら農業の労力のためにステイしているとはいえ、アンフェアーなのではないでしょうか。
日本人ゆえの性格なのか、職業病なのかは分かりませんが、わたしはキッチンはキレイに保っておきたいし、掃除もちゃんとしたい。というか、住まわせてもらっている以上は、こちらにも快適に住むための責任がある。ホストもけっこうきれい好きなようで、初めてここに来たばかりのときは、料理のあとは作業場をしっかり水拭きしたり調理器具も細かく洗っていたりして、けっこうマメな人なのだなと思いました。なので彼のルールがある場合は、それを守るようにしている。
そんな感じで、人のおうちにお邪魔している以上は、その人たちのルールや習慣は理解に努めるべきだと思うわけです。あまりにも意見が違えば、もちろん話し合ってお互いが譲歩するなり解決に努めればいいと思いますが、まあファームステイの期間はそう長くないことの方が多いでしょうから、基本はおとなしく守ったほうが安泰かもね。
これを、日本で実家暮らしだった状況からいきなりファームステイを始めると、きついなと感じるケースもあり得るんじゃないのかなと思った。異文化理解に努められる人、どこでもだれとでも暮らせる人は大丈夫だと思うのですが、日本にはシェアハウスの概念ってあまりない以上、ファームステイでは慣れないことも沢山起きえると思うので。
一人暮らしの経験がある方がいいかも。身の回りのことをきちんとできる方がいいていう意味で(もちろん実家暮らしであっても出来たほうがいいに越したことはないけど)。もしくは、シェアハウスの経験。ってのは、他人と暮らすことに慣れている方が色々と楽だから。
先ほどの項目と合わせていうならば、一緒に住んでいるアメリカ人の彼は生活度が低いように思う。って悪口みたいになっちゃっているけれど、そういう意味ではなくて。
つまり、あまり掃除や料理をしない(たぶん、家事をすること自体に慣れていない)。指示がない限り手伝わない(ときどき後ろで料理の様子をじっと見ていたり、本を読んでいたりする)。たまにやってくれる食器洗いもキッチン掃除も中途半端のまま部屋に戻ってしまう。共有スペースの掃除をしない、など。
これって、人と暮らす上では基本的なことだと思うのです。っていうか、わたしがちょっと生理的に嫌な気持ちになる部分でもある。身の回りのことはもちろんだけど、人と暮らすってことに意識が向かない人とは結婚したくない。だから日本の「男は仕事!女は家事!」みたいなのが昔から本当に好きじゃなくて、共働きが普通になった今でもその意識がいまだにはびこっている状況が本当に信じられない。無理。
と、本気で嫌なことなので強めに書いてしまいましたが、住む場所をシェアしているっていうか人のおうちに住まわせてもらっているんだから、目的が農業とはいえ普段の家事にも加担するのが自然だと思うのです。まあさすがに、いつでも共同スペースは清潔に!とかホステルのルールみたいにバチっとしていなくてもいいと思うけど(その辺の清潔度が気になりやすいのが日本人のサガだとは自負している)。むしろ、本当に農業のお手伝い以外に何もせず生活しているけど、何も思わないのかなとすら疑問になるほど。
何人かお手伝いさんがいるところでは分担表を作る場所もあるみたいですが、うちは気づいたらやる、みたいな感じだから積極的に動かないとダメな部分も確かにあるけれど、彼の場合は直接言われない限り料理すらも本当にやらないので、ちょっとなあと思ってしまう(ホストは平等を期してなのか、Who wants to cook lunch / dinner? と聞くことが多いけど、たとえ間が空いてもわたしが手を挙げない限り終わらない。一度、彼に直接どうする?って聞いたら、僕はホストの手伝いを続けるから君が作りなよって言われた。ま、いいけどね)。何ならホストは、わたしたちが自由にしている時間でも働いていることが多いのに、しばしばごはんを作ってくれたり掃除をしてくれたり要望を聞いてくれたりするので、いつものんびりしててごめんねってすら思う。
話は逸れましたが、とにかくみんなで同じ家に住んでいるので、キッチンや共同ルームに行けば誰かに会うわけだし、食事も一緒にするので、常に自分勝手ではいけないってこと。でも気を使いすぎると疲れちゃうから、やりすぎは注意だけど。誰も見返りは求めていないので、気楽に、でも感謝の気持ちをもって生活できるといいよね。
⑥英語はせめて会話がある程度理解できたい。最低限のことは理解し、話せないときつい
これはいまだに自分への課題でもあります。が、よく思うのは、去年の自分だったら絶対に無理だったな、ということ。
つまり、超最低ラインとして、ファームステイをするうえで最重要なのは「相手の指示を理解できること」。これが出来ないと、ただの足手まといです。
ただし、だからといって農業用語が分からないとまずい、とか、そういうわけでもないかなあ、と。まあ、ホスト側はもちろん異国から来た人を受け入れる上で、それなりの覚悟は持っているでしょうし理解できるように言葉を言い換えてくれたりもするでしょうが、それでも英語をあまりにも理解できない人とは仕事もしづらいでしょうし、こちらも全然手助けにならないのでは、そもそもファームステイの意味がない。
わたし自身、まずもって見知らぬ野菜もあったし、道具の名前なんぞ知りませんでした。でもそこで大切なのは、何これ?とか、どういう意味?と聞き返して確認できること。英語で会話することにある程度慣れていない、もしくは聞き返すことを怖がってしまうと、相手の指示を理解できずに仕事にならないので、必要なことだとおもいます。
仕事以外でも会話はします。基本的な自己紹介というか略歴は必ず聞かれるでしょうし、お天気の話、農園の話、予定、その他雑談もするでしょう。わたしのホストはおしゃべりなので結構自分からババーッと喋ってくれますし、わたしの分からない言葉の意味(特に野菜、農業に関すること)はきちんと説明してくれます。
で、大切(というか最低限必要?)だなと思うのは、会話を理解し反応できること、質問には答えること、分からないことや要望は必ず伝えること、かなあ。もちろんわたしは全く持って流暢ではないし、話が分からないことも多々あります。最初のうちは、自分の英語力の低さを露呈するの、ちょっとやだなあとすら思っていました。
でも逆に言えば、それすら分かってもらえれば、向こうも会話の仕方を模索してくれるでしょう。わたしも理解に努めます。分からないことがあれば聞きます。自分なりの言葉たらずな英語で説明しても、とりあえず言葉を発すれば向こうは推測してくれます。英語が出来ないからって恐れないこと。わたしもよく自己嫌悪に陥るけれど、やらないことには何も起こらない。
それでも、英会話力は出来るだけ上げていくことが前提です。お互いが心地よく生活するための手段ですからね。
⑦学べることは野菜や農業だけではない
もちろん滞在する国・場所によって環境は異なると思います。でもわたしのいたところは、周りが完全に森。お隣さんの声や音楽(爆音)はときどき聞こえるけれど、なんせ森の向こうにお住まいなのでお目にかかったことがありません。つまり、かなり自然豊かな場所。
これまでに見た動物を挙げると、鳥(普通の雀やちょっとカラフルなものから、燕、カッコウ、キツツキ、マガモ、白鳥、コウノトリまで)、鹿、ムース、キツネ、ウサギ、リス、ヘビ、カエル など。もちろん虫もめっちゃいます。よく見るような虫もいれば、ちょっと気持ち悪いムカデやクモ、ハッと息を呑むような美しさの蝶やトンボなども。もうキリがないほど。中にはきっと、この土地ならではの種も沢山いるのだと思います。植物もしかり。
面白いのは、ホストがけっこう自然の生態について詳しくって、たとえば鳥の声がすれば「これは〇〇だ」と教えてくれるし、植物の種類にもけっこう詳しいし、森に生えているあれこれを採っては「食べてごらん」と味見させられたり。でも、おかげさまでかなりの知識がつきました。
あとはちょっと違うけど、自然の中のおうちに生活しているので、わりと普通に森ダニとかいる。猫についている場合もあれば、ちょっと草むしりしたり、外で長く座っていると、いつの間にか噛まれていたり、腕などにかみついている場合多数(奴ら、小さいけど顔を肌に突っ込まれている様子はちょっと不気味。小さければ引っこ抜けばいいけど、大きくなるまで放置すると大変らしい)。
蚊やハエ、ハチも多いけど、一番衝撃だったのは、ある夜おうちの池のそばで焚火をし、そのまま就寝したら夜中に体中が痒くって起きたこと。はじめは右肩周辺だけだったのでちょっと掻いて寝たのですが、起きたら背中、左肩、ちょっと両腕とお腹あたりまですごい量のボツボツ。決定的だったのは、すべてのボツボツに噛み痕が2つ。ダニの仕業でした。シャワーを浴びるまで止まらなかった痒みの拡大。恐ろしや。ま、そんなこともありえるよって話。
農業に関しても、野菜の特徴やどう調理するか、どの部分まで食べられるか、など教えてくれたし、仕事を通して学んだことも多いけれど、ファームステイはそれだけではなかった。多くの自然について、リトアニアの文化や習慣について。そして出会った人々を通して彼らの考え方や理想像を聞いて。どこにいてもそうですが、その地へ足を運ばない限り得られないことって、ほんとうにいっぱいある。かげがえのない経験をさせてもらったと思っています。
⑧文化や習慣の違いは付き物だ、とドーンと構えている方が結果的に人生が楽しい
最後にもうひとつ、アメリカ人の彼を見ていて、大丈夫かなあと思ったこと。
週末はマーケットに出店したあと、大抵どこかへお出かけします。って言っても遠出っていうよりは、車でたたーっと移動して、町や自然の中を散歩するんだけど。みんな朝早いのでちょっと眠いんですが、わたしはこのアクティビティが好きです。なぜなら、リトアニアの自然ってほんとうに美しいのだ。見たことのない植物や生き物もたくさんいるし、リトアニア語でよく分からないキャプションをホストに全部説明してもらえる。まずもって普通の旅行ではいかないような場所へ行くのだから、これほど貴重な経験はないと思うのです。
でもアメリカ人の彼は元々あまり体力がないのか、それとも日中の暑さに弱いのか、お出かけすると結構すぐに疲れて不機嫌になってしまう。疲れるのは仕方ないけれど、不機嫌な態度があからさまに出ているときなどは、こちらも困るものです。ホストも何とか機嫌を取ろうと冗談を言ったり頑張ってくれるけど、もうお手上げになってしまうと全員気まずい、みたいな。まあお出かけの行き先がここのところ多めなのは、わたしの残り少ないリトアニア生活を想ってホストがたくさんアクティビティを考えてくれていたのもあったと思うけどね。途中で疲れ切って「僕はここで休んでいるから、君たちだけで行って」と言われるので、じゃあってことでホストとわたしだけで歩みを進めたりもする。ま、それはそれで楽だけど、後からホストに「彼とても疲れているね。どうする?帰る?」と相談されたりする。ホストはホストだけに、wwoofer みんなの気遣っているので疲れると思う。だからといって無理されるよりはマシだろうけど。ただ、アメリカ人の彼が問題に見えるのは、ネガティブやなあ~~と思う場面にしばしば遭遇するから。
オスロに住んでいたとき、北欧人はみんないつも穏やかですごいなと感心していたら、友人に「北欧の人は自分で自分の機嫌を取っているんだよ。不機嫌な態度をあからさまに出すことは子供っぽいし、周りにとっても不快でしょう」と言われたことがあった。超分かる。わたしもせめて人前では常に穏やかでいたいなと思う。というのも、不機嫌な態度を取ったところで、自分にも相手にもメリットがないから。むしろ向こうの気持ちも沈んでしまうし、気を遣わせたりしてしまったりするし、今後の関係も気まずくなってしまったら悪循環。それに不機嫌になったり起こるってことはエネルギーを使うし、冷静な人に口論しても勝てないと思うのです。
どこにいてもそうだと思いますが、ファームステイほど異文化密着型の生活ってなかなかないような気がする。シェアハウスとかだと、みんな普段は仕事や学校に行っているわけだし。でも農園はここが仕事場。
だから、あらゆる場面で性格や意見の違いってのは露呈してきます。初めは驚くこともあるかもしれません。憤りを覚える場合だってあるかもしれない。でも、負のエネルギーってのは放出したところでお互いが疲れるようにできているようで、例えば宗教的な理由などは解決の糸口が見えない場合もあったりして、「異文化への怒り」はわたしには意味を見いだせない。
宗教的な話でいえば、アメリカ人の彼(何回目だよ)はちょっとヒンドゥー教が入っているらしく、ごはんを食べる前は毎度ヒンドゥー語で何やら呟いています。でも、ホストもわたしも嫌がったり不審に思ったりはしない。むしろわたしは興味と尊敬の意を持って「今のは何語?どういう意味?」と聞いたりしたし、彼は彼で快く応えてくれた。少なくともリトアニアはキリスト教が主流だし、宗教というものは地方へ行くにしたがって保守派が多い傾向にありますが、思うにマッチングサービスやボランティアを呼んで農業をやっているような場所だと、そういうのは結構寛容なんじゃないかなと思います。
外見や言葉の違い、宗教や文化の違いがもたらすズレやトラブルってのは、一度起こると修正不能な域まで行ってしまうことも。戦争が絶えないことの理由にはならないけれど、人々の争いを引き起こす要因になっていることは事実。が、ファームステイにおいてそういう「ズレ」の意識は、怒りや苦しみを通り越して、もはや何でも「ウケるw」くらいに捉えた方が気楽に生活できると思います。あ、真面目な場面ではだめですよ。もちろん。どうしても理解に苦しむ場合は、自分の立場をいったん捨て、相手の立場になって考えてみると、案外ふっと楽になることもある。
大体、人間の性格ってものは、お国柄な部分、生活環境(自分以外から得たものすべてと思っていいかもしれない)から影響を受けた部分、そして元々の本性っていう分類が出来ると思うんですね。相手のこの言動は、どこから来たものなのかを推測し、理解に努めることで、ああ、あのときのアレはそういうことだったのか、と思えることも出来るのではないかと。
まあ、日本の外でも中でも、相手の理解に努めるための手段としては一緒だけれどね。つい気にし過ぎちゃうって人も多いと思うし自分もそうですが、とりあえずポジティブな思考に転換させる方法を身に付ければ、自分が楽です。周りにとっても楽です。人生、なんでも運とタイミングなんだから。楽しく生きようよ。