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そもそもなぜ今リトアニアへ行こうとしているのか 再考してみた

前回の記事でも書いたように、(無事にビザが下りれば)わたしは来月からリトアニアへ渡航することにしています。


でも、日本ではいまだにあまり馴染みのない国、リトアニア。友人知人には、今までも「これからリトアニアへ行く(または、もう行った)」という話をすると、十中八九「それ、どこ?」と聞かれます。

そして、知っている人もたまにいるけれど、それはそれで「え!リトアニアへなんて、いったい何をしに行くの?」と言われます。


そんなこと言われちゃう国って一体、どんなところなのでしょうか。


そして、そもそもなぜわたしがリトアニアへこだわるのか?も含め、今一度「わざわざリトアニアへ行こうとしている理由」を再考してみようかな、と思って。自分のためにも、ちょっと書いてみます。


そもそもリトアニアってどんな国?

すでにご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、リトアニアは”バルト三国”と呼ばれる国のうちのひとつ。

フィンランドの真下あたりに、タテに3つ仲良く並ぶように位置していて、上からエストニア、ラトビア、そして一番下に位置するのがリトアニア。


分かりやすく”バルト三国”なんて名前もありますし、かつてソ連の一部だった経緯もあり、東欧のグループにカテゴライズされることも多いですが、一応、国連のグループ分けでは、リトアニアを含むバルト三国は北欧ということになっています。


でも、歴史的には、リトアニアはエストニア・ラトビアとは少し異なる道を歩んできていて、中世の時代はベラルーシやポーランドの一部あたりまでを含むその辺一帯(ざっくり過ぎ)を支配する、リトアニア大公国でした。それがいつの間にやらポーランドと連合国を作ることになり、やがてロシアの勢いに飲まれてその支配下に置かれてしまったり。

WWⅠあたりにやっと独立した、と思ったのもつかの間、今度はドイツに支配されちゃったり。それからまたしばらくの間はソ連下に置かれてしまい、不遇の時代が長く続いたのです。


そんな過去もあり、リトアニアの人たちは自分たちの言語や文化への愛がとても強い。

リトアニア人は、ラトビア語と並び、インド=ヨーロッパ語族グループのひとつ「バルト語」に属するリトアニア語を母国語としていますが、その言葉の構造の古めかしさたるや、ものすごい化石のような言語なんだそうです。


余談ですが、わたしはかれこれ5年以上前に買ったリトアニア語のテキストが手元にありますが、いまだかつれ読破できた試しがありません。だってホントに難しいんだもの~(言い訳)。特に、名詞・動詞・形容詞それぞれに語形変化があり、これらは日本語のてにをは的な役割を果たす部分があるのですが、これがまた複雑でややこしいんだな。覚えちゃえば便利なんだろうけどね。


ああ、そうだ。そして人口はおよそ300万人。あれ、そんなにいないかも?全然調べてなくてすみません。詳しくはご自身でお調べください(雑)。

国土は北海道くらいで、緯度は北海道よりはちょっと上。なので、気候のイメージは、おおよそ北海道です。でもリトアニアは他のバルト諸国に比べると内陸部分が多いので、全体的に北海道よりは少しばかり寒いかもしれません。


ちなみに、東京の人口はおよそ1,300万人と言われていますので、リトアニアがどれだけ小さな国なのかは、なんとなく想像できるかと思います。リトアニアで5歳の女の子に東京の人口を教えたら、めちゃ驚かれたよ。


リトアニアに惹かれた理由

では、なぜ、わたしがわざわざその”小さな国”に赴こうとしているのでしょうか。

これは、個人の感情も書き連ねるとなかなかのロングストーリーになりそうなのですが、できるだけ手短に書いていけたらと思います。


わたしが恐らく初めて「リトアニア」という国の名前を意識したのは、大学生の頃。


当時所属していたゼミは芸術系で、ゼミの時間に扱う文献や資料は幅広く、絵画や彫刻はもちろんのこと、舞台芸術系や写真・映像、美術館やギャラリーと鑑賞者の関係性について、ファッション、デザイン、サブカルチャーなど、本当に多岐にわたるものでした。

そして4年生になって卒業論文を書く際も、お題は自由。そのとき自分たちが書きたいもの(学科は哲学科だったのですが、哲学することから大きく逸れなければ何でもよかった)を書くというスタイルでした。


そこでわたしは「現代デザインとアートの関係性」というテーマで書くことにしたのですが、そのテーマに行きつくまでに色々な候補を考えていました。

グリム童話、写真、ヴィンテージファッション、工芸、など。自分がその時好きだったもの・気になっていたことなどを挙げていきました。


そのうちのひ「ヴィンテージファッション」とか「オーガニックな素材」というテーマを考えるきっかけになったのが、ヴィンテージ服の歴史を紐解くとよく目にしたり、あるお店でよく見かけていたリネンの衣服でした。

リネンって、その名前はよく見かけるけど、どこで作られているのかな?そう思って調べたところ、MADE IN LITHUANIA の文字を目にしたのでした。


それで、なんとなく気になってリトアニアリネンを扱うお店を調べたりしているうちに、リトアニアの手仕事に関する記事や雑誌を見つけて読んだりしたり、別の文脈でたまたま見つけた「ヨーロッパ人に人気の旅行先」のひとつになぜかリトアニアの名前があり(同じヨーロッパなのに!)、だんだん行ってみたくなったのです。最初のきっかけは、これだけだと思う。


さて。初めて学生旅行でいったリトアニアは、かつての通貨リタスからユーロに変わってまだ数日しか経っていない頃。1月のリトアニアは既に雪が降っており、クソ寒くて暗かったです。それが第一印象なので、そんなにいい思い出がないというね。

けれど、それでも地図を頼りに訪れた首都のヴィリニュス旧市街の美しさや、あちこちに佇む教会の数々、素朴だけどボリューミーでおいしいリトアニア料理(このころはまだ肉を食べていた&じゃがいも大好き人間にはリトアニア料理はたまらないのです)、そして何より露店に並ぶ手編みのミトンや丁寧に彫られた木製のカトラリーなどに心惹かれ、今度リトアニアを訪れるときは、別の季節に行こう!と心に決め、たった数日の滞在を終えたのでした。


そう、つまり、街の景観や観光も楽しかったのだけど、わたしにとっては何よりその手仕事の面白さに、一気に心惹かれてしまったのです。


その数年後、わたしはノルウェーに住むことになるのですが、同じ北欧にいるのをいいことに、またリトアニアを訪れました。ちなみに、他の国にも沢山訪れた中で、リトアニアだけはこの1年で二度行っている。

初回はヴィリニュスからちょっと外れた場所にある丘での夏至祭を観に(これが最高にいいのです!)、二度目は年に一度のお祭り・カジューカス祭で行われる手仕事市を訪れるために。

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↑リトアニアの夏至祭では、こんな風にみんなで歌って踊っている。1年で最も日の長い夏至のお祝い。


その後、ノルウェーを出た後には東欧諸国を旅しつつ、またリトアニアへ、今度は観光ビザギリギリの期間で滞在。その間、滞在費を少しでも削るための手立てとしてWWOOFを利用し、ある森に佇む農園で約2か月ちょいお世話になりました。

このWWOOF、最初は本当に”長期滞在のための手段”のように考えていました(なぜならリトアニアのWWOOFは登録料が無料だった)。加えて、今までもずっとオーガニック農業の実態を垣間見ることができればいいな、とは思っていたので、ちょうどいい機会といえばそうだったのです。


けれど、ここでの滞在が、またわたしの価値観をガラリと変えることに。

つまり、周りは草原と森しかなくて、目で見える範囲には他の家もなく、家のドアを開けてから公道に出るまで徒歩10分以上かかるようなこの場所での暮らしは、本当に自然との付き合い方を再考させてくれるいい経験となったのでした。

そして、実際にリトアニア人のお宅に滞在させてもらうことで、食べ物や暮らしの習慣を体験することができました。同時に、今までお祭りの露店や町のお土産やさんなどでしか見たことのなかった手仕事品が、実際の暮らしの中でも本当に寄り添っており、ああこの国の手仕事は今でも本当に人々の暮らしに根付いているのだな、と深く感心させられたのでした。


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↑小さなハーブガーデンで摘んできた、ミントやキャットニップは、籠に入れることで植物の呼吸や水分を保ってくれるらしい。


身のまわりにに自然がごくありふれていることで、その恵みを少しいただき、暮らしの道具に変えたり、または野草などを摘んでハーブティーにしたり料理に取り入れたり。そういう「人と自然が寄り添う暮らし方」を身をもって体感することができ、自分もこんな暮らしをしよう!と強く思うきっかけにまでなったのです。

ついでに言うと、わたしはここで初めて草木染めを自発的に(いわゆる染め体験、とかそういうのじゃなくて、ってこと)始めました。村のマーケットでおばあちゃんに譲ってもらった毛糸などを使って、農園のまわりの草原や森で採れた植物や地衣類などで染めたりして楽しんでいました。

たぶん、手仕事ってこういう風に「楽しむこと」も多いに関係しているんだと思う。そして何より、それを自分たちの暮らしに取り入れることで、自分たちが自然の一部であることを自覚するための営みでもあるのだと思う。



改めて、リトアニアへ行こうとしている理由

そんな風にして、今まで数度のリトアニア滞在を過ごしてきました。


この流れの中で、わたしはだんだんと自分の今後の方向性を見出していき、日本に帰国してからも千葉県のエコヴィレッジみたいな場所に住み込みで働いてみたり、暮らしの隙間に手仕事をかじったしりながら、何とか今に至っているというわけです。

そしてその間、日本に長くいる意味を見出せなく様な出来事があったり、逆に今なんかは実家にいさせてもらう中で、やっぱり家族や大切な人たちと共有する空間・時間も大切だな、と思うこともあったりしています。


けれど、今このタイミングで(しかもこのご時世で)リトアニアへ行く、という選択をしたのは、自分がワーホリに行けるタイムリミットがだんだんと迫ってきていること、そして日本でも土地を転々としながら暮らしてみて、日本の気候(特に夏の湿気!!!と自然災害の多さ)が合わないと感じていること、今だに言語を自由に操れない自分がなんだか情けないと思う瞬間に多々出くわしており、また日本の外で暮らしてみたくなったこと、そして30歳という節目を前にして(まだ2年ほどあるんだけどね)現時点で考えている自分の暮らしのビジョンを再考し、今後の生き方を本格的に考えていこうと思ったこと、などが大きいように思います。

その次のステップを踏む場所として、自分に縁のあるリトアニアを選んだ、というわけです。


正直なところ、自分に言語センスがあるとは思えないくらい語学学習が苦手なタイプなので、英語もそない得意じゃないのにリトアニア語が母国語の国で果たしてワーホリビザの期間めいっぱい暮らせるのか・・?という不安はいまだに大きいのですが、まあノルウェーに行ったときなんか英語1ミリくらいしか喋れなかったのに(ものすごい強運とご縁により)なんとか1年間生活できたし、リトアニアはさすがに行き慣れているので前回のワーホリ時に比べるとあんまり焦っていない。

それに、リトアニアではノルウェーの時とは違い、積極的にフルタイムの仕事を探そうとは思っていないのも大きいかもしれません。あれ、本当にプレッシャーだったからね。もしかしたらその時が来るかもしれないけれどね。


もちろん、今回書いていることばかりではなく、リトアニアは楽園というわけではありません。実はEUの中で最も自殺率が高かったり、経済的にものすごい安定している、というわけでもないし。物価が安い分、日本に比べるとお給料も低く、失業者もそれなりにいるという話は聞くし。こういう理由から、リトアニアで出会った友人やその現状をよく知る人々からは、それなりに安定している日本をわざわざ離れることに疑問を持たれる様子。

けれど、そういう現状も理解しつつ、それでも今のわたしにはリトアニア渡航は必要なプロセスだということなのでしょう。他の国へワーホリすることも、それはもう何度も考えましたが、やっぱり一番しっくりくるんだな、ここが。


そんな感じで、ざっくりとこれまでのことや今の自分の考えを踏まえながら、なぜわたしが今リトアニアへ行きたいのかを書いてみました。

ま、一生日本を出る予定は、今のところないんですけどね。どうなるかは分からないけれど。でもだからこそ、ちょっとワンクッション、みたいな気持ちで、外に出るのもいいもんです。

それに、一度母国を離れて、第三者的な視点で自分の国を見つめる機会って、けっこう大事だったりする。今のわたしは、色々な状況を踏まえ、それが必要な時期なんだと思っています。


もし、今ちょっと自分の生き方に迷っている、とか、これから何をしようか?どこへ行こうか?なんて思っている方が、この記事を読んで何かしらお役に立てれば嬉しい限りです。

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2020年〜2021年、ワーホリ制度を利用しリトアニアに滞在していました。そこで見たこと、体験したこと、感じたことなど。 ときどき思い出し…

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