◎道後温泉クリエイティブステイ日記①
【道後日記:滞在1日目】
以前、新幹線の中ではじめて「皆様の中にお医者様はいらっしゃいませんか」というアナウンスを聞いた。おおこれがあの有名な、と思ったのもつかの間、再びアナウンスがあった。
「皆様の中にドイツ語を話せる方はいらっしゃいませんか」
その言葉から、私はドイツ語を話す体調不良者の元に、医者と、ドイツ語を理解できる人が駆けつけるところを思い浮かべた。人々は自分の力を尽くしてその人を何とか助けようとするんだろう。
いいなあ、と思った。こうやって、困っている人を自分の力で助けられる人はカッコいい。私はどちらのスキルも持っていない。つまり、今車内で助けを求めている人には、自分はまったく役に立たないということだ。
じゃあ、自分には何ができるのか?
どんなことで困っている人になら、自分は役に立てるのか?
「アーティストを招いて一週間滞在してもらったら、皆さん何をするんだろう?というリサーチでもあるんです」。
道後温泉クリエイティブステイの説明会の折に、担当の方がこう言うのを聞いて、私は「なるほどなあ~」とある意味腑に落ちた。
というのも、【みんなの道後温泉活性化プロジェクト】の一環である「道後温泉クリエイティブステイ」には、成果発表が必須でない。アーティストの滞在プログラムでは最終日に作品をお見せしなければならないことがほとんどなので、こうした内容での募集は非常に珍しかった。
そこにたまたま採用していただき、こうして私は道後温泉で滞在することになった。しかし、ひとつの問題が生じた。
私はアーティストとして、ひとつの土地で何ができるのか?
この疑問を、これほどまでにまざまざと突き付けられることは、今までなかったんじゃないかと思う。松山行きの飛行機の中で、私は絶望的な気持ちになっていた。滞在までに終わらせようと思っていた諸々が全く終わっていない。復習しようと思っていた「坊ちゃん」も全く読めていない。愛媛の歴史はさっと目を通しただけで、自分の興味関心の分野まで全く深堀りできなかった。
こんなんで大丈夫なのか。
私は戯曲を書いたり演劇を演出したりして活動している。役者でも歌手でもダンサーでもないので、身ひとつで何か人を驚かせるようなことができない。
こんなんで大丈夫なのか。さっと「これが作品です」と見せられない自分が、何ができるというのか。しかしせっかくいただいた機会、ただ「楽しかった~」という旅行で済ませるわけにはいかないのだ。
そう思いながら、宿泊先に着きチェックインした。すると、思いがけないことが起こった。受付で「あの、クリエイティブステイの…」と名乗ると、係の方が満面の笑みをこちらに向けてこう言ったのだ。
「ああ、アーティストの…!お待ちしておりました」
脳に衝撃が走った。
ア、アーティスト……?!
面はゆい、とはこのことかと思った。今まで自称でアーティストと名乗ったことなど一度もなかったから、そういう名称で呼ばれることにびっくりしてしまったのだ。
一方で、係の方の笑顔を見て、しずかに肝が据わっていくのも確かだった。
そうか。私はここで、アーティストとして滞在するのだ。やること、見るもの、話すこと、すべてがアーティストのやったこととして判断されるのだ…。頭の上に、誰かわからない一人の見張りがぽんと浮かんだ。その人物は常にこちらを見ていて、ここでの時間を間違ったことに使いそうになるとすかさず厳しい目を向けてくる。
お前がやることはそれじゃない。アーティストとして、何ができるのか。誰に会えるのか。何を創作できるのかが常に求められてるんだ、動け、動け、動け!
それは、もしかしたら私をここへ呼んでくれた誰かの期待の声なのかもしれなかった。
到着すると夕方で、日が傾きかけていた。
初日からできることは何か考えた末、私は道後の街を自分の足で一周することにした。
祝日だったからか街には人が多く、とてもにぎわっている。
公園のまわりを歩くと紅葉は見事で、イチョウが爛々と黄色に輝いていた。といっても全体としてはまだこれからなようで、遠くの山々にはぽつ、ぽつと赤色が見えている程度だ。
商店街を歩いていると、突然奈良を思い出した。奈良の商店街と、雰囲気が似ている。いや、京都にも、岐阜にも似ている。よくよく見ると土地の土産物屋は半分くらいで、ぴかぴかとLEDを光らせキャッチ―な看板を掲げているのはほかのどの観光地でもよく見る店ばかりだった。こういったところにもチェーン店は巧みに入り込んでいて、下手すると安易に都市の資本に飲み込まれてしまう。
かと思えば、一本奥に入ると普通に人々が生活しているマンションが建っていて(しかもかなり数が多い)、おもしろい街だなあと思った。山の方へ進むと、結構な高低差がある。上がったり下がったりしながら、街の全体図が見えて来た。
真ん中にどん、と道後温泉本館がある。その周りにもぽつぽつと温泉があり(旅館含む)、間を縫うようにお土産店と食事処が並んでいる。ふと見上げるとマンションがいくつも建っている。浴衣姿の観光客の隣を、散歩の犬が横切っていく。
このパラレルワールド感をどう言い表そうか。
日常と非日常が入り組んでいて、しかもそこに嫌味がない。どこの観光地にもある一種の危うさはもちろん垣間見えるものの、うまくバランスを取ってやっているのだと感じた。
初日は、最近外の装飾が新しくなったという「飛鳥乃湯」に入った。エントランスが蜷川実花氏の写真で埋め尽くされていて、ド派手だった。そこでお年を召した夫婦が記念撮影をしている。女性の持つカメラを見ている男性の後ろには、ピンクや赤など彩度の高い世界が広がっていて、頭の中に不意に「桃源郷」という言葉が浮かんだ。
ここのお風呂がすごくて、浴衣がBEAMS、アメニティが資生堂、お風呂の壁にはプロジェクションマッピングが行われている。
なんて資本を感じる温泉なんだ…と思いながら、「美肌の湯」と言われているまろやかな湯に浸かった。
帰り際、出口でくつを履いていると、男湯から出て来た男性二人組の会話が耳に入って来た。
「ここまでする必要あったんかな」
「何が?」
「飾りとか。すごいやん」
「ああ~」
会話はとくに深まることもなく、そのままさらっと流れて言った。
外に出ると、大学生くらいだろうか、若い女の子たちが楽しそうに花々の写真の上でポーズを取っている。
「めっちゃ綺麗!」
「すごい!かわいい~」
明るい声が、日が落ちた空に響いていく。楽しくて仕方ないと言った様子で、いくつもポーズを編み出していた。
その様子をぼうっと眺めながら、私は「道後温泉、これはおもしろくなりそうだな」と思った。
(▶︎2日目に続く)