どこだれ㉔ 100年という時間をつなぐこと
最近、気づけば100年という時間の流れについて考えている。
きっかけは、米津玄師の『さよーならまたいつか!』を耳にしたことだった。「さよなら100年先でまた会いましょう」「100年先も憶えてるかな」と歌詞に幾度も100年という単位が出てくるのだが、それを聴いてふと学生演劇の頃によく読んだ寺山修司の言葉が思い出された。
「百年たったら帰っておいで 百年たてばその意味わかる」
学生の頃は、この言葉の意味がよくわからなかった。しかし、わからないながらも何だか予言めいている言い回しと、まじないの様な響きが印象に残った。寺山修司記念館の文学碑にこの言葉が選ばれていることからも、多くの人が心に留めているのがわかる。ただ、正直なところ大学時代は「洒落た言い回しですなあ」くらいにしか捉えられていなかった。しかしこの言葉が、近頃妙に胸に迫るのだ。
それは、昨年から80代、90代の方とお話する機会がぐんと増えたことと関係しているのかもしれない。
作品づくりの最初はいつも、まずひたすら話を聞くことから始まる。大概は養蚕や瞽女、祭りなど決まったテーマがあり、その話を聞くために会いに行く。しかし中には話をした後にも別の話題で盛り上がり、「じゃあまたおいで」となって、以降はただ色々な昔話を聞かせてもらうために会い続けている人もいる。
港のある町では、80代の明るいお母さんたちに話を聞かせてもらった。「こんな話の何がおもしろいの」と言いながら話してくれる昔話は、本人からしたら大したことはないのかもしれない。しかし、今は閑散とした道を指しながら「あそこは呉服屋で、その隣に瀬戸物屋。こちらにあった魚屋は気前がよくてね、いつもおまけしてくれた。数年前にもうホームに入っちゃったけど、しっかりした人だった」と話す。いま目の前にある風景に、語りによって昔の姿が重なっていく。言われなければ知りようのない町の姿を、ありありと想像させる話はとても貴重だと思う。
しかし、ただ「楽しいなあ」とのほほんと聞いて喜んでいる場合ではない。そんなことを実感する出来事があった。今年出会った80代後半の男性は、「俺は記憶力が異常にいいんだよな」という言葉通り、一度した話は決して二度しない。話に出てくる名前も時期もきっちり正確に記憶しており、すらすらと答える。本人は「でも全部覚えてるってのはあんまりいいことじゃねえよ、悪い出来事だって記憶してるんだから」と言うが、すごい特技だなあといつも思う。そんな男性は、「人に向けて昔話を話す」と言うことに関して、ほかとは少し違った姿勢で臨んでいると感じる。
会う度に「ああ、いい話があるよ」「この話をあなたにしたらいいんじゃないかと思ってたんだ」と前置きをして、ひとつの話題が始まる。自分がここへ来る前から話す内容を用意してくれていたのだと感じ、身が引き締まる思いがする。聞く際に少しの緊張感が伴っていくのは、その語りの多くがいわゆる「負の歴史」だということもある。
地域であった部落差別の話や、その人たちにどんな仕打ちをしていたか、農地解放の際に農地を取り上げられた住民ともらった住民との間にあった諍い、戦後の混乱期に都会から物資を求めてやってきた人々との緊迫したやりとりなど、なまなましいものが沢山ある。時にはメモを取る手が止まり、ただ語りを聞いているだけしかできない時間がある。
「そういうことは記録には残さないんですか」と聞くと、「俺は残さないし、いま蔵に残っている記録も、俺の代で全部処分する」と言う。「もったいない」という言葉がつい口をつく。すると、こちらをじっと見て「だってな、突き詰めていったら誰の話かわかるんだよ。それを、何も知らない子孫が見ちまったらどう思う」と言った。言葉もなかった。
戦争の話もよく聞いた。その男性のひとつ上の世代はまさに戦地に行っていた人たちだ。「絶対に話さない人もいたけど、お酒入ったり、温泉に一緒に入ったりした時に体験を話す人もいたよ」「死ぬ間際になって、ぽつぽつと語り始めた人もいた」。男性が聞いた話どれもは壮絶で、本人たちがなかなか語れなかったのも無理はないと思った。私自身ならきっと墓場まで持っていくと思うような話もあった。
その体験をメモに取りながら、気になっていたことを聞く。
「さっき記録は残さないっておっしゃってましたが、でも私はこうしてメモとって、記録しているけどいいんですか」。すると「あんたはほら、よそからわざわざ来た人だから」と言う。その目がまっすぐにこちらを見ていた。この男性は、私が作家だということも、きっとこの話をどうにかして残すだろうということもわかっている。それでも、「自分は残さない」という話を私にするのはなぜなのか。
なかったことにはしたくないのではないか、と思った。自分は近すぎる立場であるがゆえに、少し遠い場所から、何かしらの形で記録することを託しているのではないか。
次は秋の稲刈りが終わった頃に訪問する約束をして、別れた。帰りの列車に乗りながら、「そういえば」と思った。戦争に行っていた人たち、あの男性に自分の戦争体験を語った人たちは、丁度100年ほど前の人々なのではないか。
そうして、託された話をどの形で残そうかと考えている。米津玄師の歌詞にある「100年先のあなたに会いたい」とは、先に逝った人からの言葉か、はたまた我々の100年後のあなたに対するメッセージか。任されたものは大きい。