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どこだれ㉗恐山へ行ってきた

少し前になるが、青森県の恐山に行ってきた。「イタコの口寄せ」が有名で、「人は死ねば恐山に行く」と言われている霊山だ。

きっかけは盲目の女旅芸人「瞽女」についての作品をつくったことだった。
瞽女ミュージアム高田には「瞽女マップ」なるものが展示されていて、日本全国の瞽女の概要がわかる。その中の、青森県の欄にあった以下の文言がずっと気にかかっていた。

「津軽藩 盲男女が数えられるが、瞽女、イタコの区別がつかない」

区別がつかないということは、似た役割を担っていたということだろうか。瞽女と呼ばれる人々にはもう会うことはできないが、イタコなら今でも恐山にいる。新たに何か知ることができるのではないかと思った。

青森市から下北半島までの車中、「車も鉄道もない時代にはこの道を幾日も歩いて恐山を目指したのだな」と思う。決して平坦な道ではなく、海沿いの風がつよい。冬はさぞかし厳しい旅だっただろう。

山を登るにつれて道の傍に祠が増えていく。駐車場に着き、車を降りてまず驚いたのは「におい」だった。周囲に強烈な硫黄臭が立ち込めていて、ここが硫黄泉の湧く山だということを一瞬にして理解する。
入山料を払い門をくぐると、一帯の静けさが身に迫ってきた。人はもちろん、動物の声もない。周辺は静まり返っていて、しん、という音が耳に痛いほどだ。
参道の脇にはもくもくと蒸気が立っていて、覗き込むとお湯だった。黄色くなっている箇所は硫黄が溜まっているようだ。

参道脇の建物の前に「イタコの口寄せ」という大きな看板があった。覗き込むと、畳の上にイタコの紹介と、「朝の8時から口寄せを行っている」旨の看板が立っている。奥にパーテーションのようなものがあり、あちら側にイタコ、こちら側に依頼者が座っている。順番を待つ人が少し離れた場所にいるのが見えた。
じゃらじゃらと数珠を擦り合わせる音が響き、お経をよむ様な声が聞こえてきた。

「いまはお陰様で 仏とまつられ こちらで元気にやっているから 心配しないで」

じゃら、じゃらじゃら、じゃらと数珠の音を言葉と言葉の間に挟みながら、独特の節をつけて唄うように話す。そのリズムを、どこかで聞いたことがあると思った。
そう、それはまるで瞽女唄だった。
数珠が瞽女で言う三味線の役割を担っている。言葉を何度も繰り返す様子も瞽女唄と共通していた。引き続き耳を傾ける。

「そして それぞれが きちんと暮らしていける様に きちんと守ってますから安心してください」

すると、イタコの言葉の後にすすり泣く声が聞こえてきた。口寄せを依頼している人が、ぽそぽそと泣きながらイタコに話す言葉が聞こえる。

そこで、ハッと我に返った。これは見せ物ではないし、第三者の私が聞いていいものではない。誰かの切実な思いがあって、この場で言葉が交わされているのだ。
その場を後に歩き出した。

そのあとは、長い時間をかけて恐山を回った。背の高い木は無く、虫もいない。地面のところどころから熱い蒸気が出ていて、岩は溶かされぼこぼこと隆起していた。
確かに、あの世というのはこんな場所ではないかと思う。音がない世界で、随所に挿された風車がからからと揺れた。風に反応する木々などがないぶん、風車は風の存在をいっそう強調し、何かの存在を感じさせた。

途中、小屋があり聞くと温泉だという。ちかくの売店の方に入っていいのですかと聞くと「どうぞどうぞ」とのこと。硫黄のにおいを嗅ぎ続けて山をまわっていたこともあり、その源である湯はどれだけ強烈かと思いながら入った。

ところが、その湯は驚くほど優しかった。
足を差し入れると、湯船の底に溜まった黄色い硫黄が湯の中でふわふわと踊った。肩まで浸かると何かに守られているような安心感に包まれる。

湯船の中で、先ほどの口寄せの様子を思い返す。書籍で読んだところによると、恐山は昔から大切な信仰の場であったにも関わらず、観光ブームで見せ物のようになってしまったらしい。今でもYouTubeやTikTokで発信している人もいる。みんぱくの映像では「イタコが死者の話し方でそっくりそのまま喋ると聞いて期待してきた」と話す人の様子もあった。
そういったメディアでは、「イタコが死者をおろすというのは本当なのか」ということに焦点が当たりがちだ。先の映像では、「ちょっと当たらなかったですねえ」と肩を落として帰る人の姿もあった。

ただ、実際に口寄せの現場を見て、恐山を歩いてみて、大切なのはそこではないのだと感じた。恐山に向かう人が大切にしているのは、おそらく「本当かどうか」ではない。

「イタコに亡くなった人をおろしてもらう」という形でしか言えない思いがあり、もらえない言葉がある。
ここで交わされている言葉が人を救ってきたのだと、それはおそらく瞽女にも通じることだったのだろうと、しみじみ感じた。

強い湯は、長湯すると湯あたりで大変なことになる。しかし「もうこのまま一生ここで湯に沈んでいたい」と思うほど気持ちよかった。しぶしぶ風呂場を出て、そのあとに当たった風が、特別心地よかったのを覚えている。「生まれ変わり」という言葉がふと頭をよぎった。

帰り道、口寄せをやっている建物の前を通ると、大学生くらいの男性が「母さん、口寄せまだ受付してもらえるってよ」と母親らしい女性に話に行っているのが目に入った。その話しぶりは好奇心から来たものではなく、切実に口寄せを検討しているようだった。
年若い人であっても口寄せを「あるもの」だと認識していること、また、それが家族間で共有されていることに感銘を受けた。

来る前、恐山は怖いところだと思っていた。しかし、この静けさや歩いている人の雰囲気、山全体の空気感はどちらかというと穏やかでとても居心地がいい。
一体この穏やかさはどこからくるのだろうかと思っていたが、それはきっと、ここでは「死者がいること」が当たり前に受け入れられているからなのではないかと思った。

死者がいること、その存在を思い続けること、時に語りかけ、言葉をもらうこと。
そのすべてが肯定されていて、だからこそ自然にいられるのだろう。

ふと「こういう場所があって本当によかったな」と思った。今後の人生の様々な局面で、この山の存在に助けられることになる気がした。
人は急に死ぬし、別れはいつも突然だ。それを嘆き怖がるのではなくて、そういうものだと思いつつ、この先は「死者がいることが当たり前だとされる世界」があるのだということを、心の支えにしていきたいと思う。