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どこだれ㉘ 六ヶ所村で考えた


いつ誰に聞いたのだったか、「六ヶ所村はおもしろいから行った方がいいよ」という言葉がずっと頭に残っていた。
恐山へ向かう途中にあった看板に「六ヶ所村」という文字見た時、これも何かの縁かと思い、訪れることにした。

しかし、先の言葉の「おもしろい」という意味がどうやら一般のそれではないことを、村に入る前から薄々感じ始める。

本当は、下北半島を走っている最中から度々目に入っていたのだ。それは、地面からにょきにょきと生えたかのような巨大な風力発電機群だった。緑豊かな中に、真っ白な風力発電の装置がつぎつぎとそびえ立つ姿は異様で、SFのようだった。大きくぐるぐると回る羽と、周辺の山との距離感がうまく掴めずくらくらする。村へ入る道路は驚く程まっすぐで、両脇には等間隔でひたすらに植木が並んでいる。その向こう側におびただしい数の太陽光パネルがあるのが目に入り、思わず「ひっ」と声が出た。

そこで確信した。六ヶ所村を勧めた人の「おもしろい」はこの「違和感」のことを指していたのだ。
違和感は、村にある【六ヶ所村原燃PRセンター】を視察した際に頂点に達した。
この施設は、原子力発電で使用した核燃料の再処理場について説明(その名の通りPR)する場所だ。東日本大震災を経て核燃料を扱う会社がどのように展示を構成しているのか気になって行ったのだが、その心配などそもそも無縁なのだと言うように、ここでは「安全」「安心」という言葉が未だ普通に使われていた。

原子力発電をする場ではないものの、使用済み核燃料を扱う上での作業説明に「安全に取り出します」「安全に処理します」などと逐一表記されているのを見て複雑な気持ちになる。そもそも「絶対安全なんて言い切れない」ということを、私たちはあの震災で学んだのではなかったのか。

しかし、困ったのはその疑問さえも口に出すことをはばかられるような雰囲気だった。センターでガイドをしている人たちは地元の方なのだろう、ほとんどが女性だった。こちらがパンフレットやチラシを持っていると「よかったらこちらどうぞ」と笑顔でビニールバッグを差し出す。
その笑顔を見て、「安心安全とは」とか「原子力とは」とかいう気持ちには到底なれない。施設がきたことでこの村に雇用が生まれて、彼女たちはその仕事を全うしているだけだ。
まっすぐに切り開かれた道も、村の中にある立派な温泉施設も、巨大な体育館も、この施設を受け入れたからこそ成り立っている「住みよい」村なわけで、それを他所から来た人間がどうこう言えるはずがない。

ただ、やはりそうは思いつつ拭いきれない恐怖のようなものがある。
展示の中にあった「放射性物質は放射能を放出しながら、時間の経過とともに放射能を排出しない安定した物質になっていきます。放射能が半分になる時間を【半減期】といいます」という文字。その下に記された「ウラン238半減期…45億年」という数字。

45億年。その途方もない数字を、私たちは扱えるのだろうか。

帰り道、再び太陽光パネルの波を見ながら「これがエネルギー産業に土地を差し出した村の現在の姿なのか」と思った。恐山には抱かなかった「怖さ」のようなものがどこからか湧いてくる。

恐山の地上から湯気が立ち上る原始的な風景と、エネルギー政策に振り切って新しい施設が自然の中に次々と鎮座する六ヶ所村。
そう遠くない距離にある2つの土地の、場所としての在り方の振り幅にくらくらした。

全ては人間の業が作り出したものなのだ。ガソリンで動く車に乗って、電気で充電したPCを使いながら、最近はその事実を改めて考えている。