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どこだれ㉜ “じゃなかった未来”の話をする人


数年前から、「アーティストインレジデンス」という制度で、日本の色々な場所に滞在しながら演劇や展示を作っている。
今年行った場所を上げてみると、神奈川に岩手、新潟、金沢、静岡、長野だった。定期的に通っている王滝村に至っては、今秋は一か月間に三度訪問することになっている。
このように色々な場所をふらふらするにつれ、先々で「他と比べてここはどうですか」とか「沢山回っているからこそ思うことはありますか」など、相対的な意見を求められることが増えてきた。当たり前だがそれぞれの地域の特色は異なっていて、単純に比較することはできない。すんなり答えられないもどかしさを感じていたのだが、先日、あることに気づいた。
この制度で滞在する場所は圧倒的に“じゃなかった未来”がある地域が多いということだ。

思い返せば、二年前に滞在制作をさせてもらった茨城県大子町で聞いた話が最初だった。曜日限定で開店している喫茶店の方にお話を聞いた時のこと。彼女は、日本の他の地方と同じように、少子高齢化が進み、町の人が減り続けていることを嘆いていた。駅前の商店街も、お店が随分閉まって閑散とし、物悲しいと言う。

「昔はね、この通りはびしーっとお店があって、休日は人でいっぱいだったのよ。お祭りの時なんか、有名人呼んで催しやってね、歩けないくらい人が沢山来て、大盛り上がりだったんだから」。お祭りの様子を写した写真を見せてもらうと、道いっぱいに人、人、人…人で埋め尽くされていた。さぞかし賑やかだったのだろう。
「でもだめだったね。すっかり人がいなくなっちゃった」。やがて若者世代が就職で水戸や東京に出てしまって、町はどんどん寂しくなったそうだ。働き口がないんだからどうしようもないね、と彼女はぽつりとつぶやいた。そして、「こうなってしまうとやっぱり、あの時どうすればよかったんだろうなって思うのよね」と、ある出来事を話し始めた。

それは、町の人口が減る少し前に行われた、ある選挙のことだった。その時出馬していたのが「若者が働けるよう、町に大企業を誘致する」というA議員と、「企業誘致で町の良さである森林を破壊してはいけない。この町らしい自然を生かした政策をやっていくべき」というB議員だった。町の意見は二つに分かれ、選挙期間中は町中に終始ぎくしゃくした空気があったという。結果、勝ったのはB議員だった。町の人は、豊かな自然を産業にする方へと賭けたらしい。この女性もその考えに賛同したのだと言う。
「でもね、今になってちょっと考えるの」。彼女は遠い目をして言った。「あの頃は、この周辺の自然が壊されて、そこに大きな工場がいくつも建つなんて耐えられないって思って。でも、やっぱり思うのよ。あの時もし企業誘致に賛同して、実現していたらここはこんなに閑散としてなかったんじゃないかって」。

金沢の海沿いの町、金石に滞在した際にも、近い話を聞いた。高齢の女性はさっぱりした話し方で、過去の人を批判していた。
「ここは羽振りのいい商人ばっかりだったのに、昔の人が馬鹿な選択をしたもんで、こんなに寂しい港町になっちゃった。とうとう寿司屋までつぶれてしまって、寿司屋さえない港なんて、もうだめだよ」。
昔の人の馬鹿な決断、というのがどういうものだったのか尋ねると、彼女はにっと笑って言った。
「あのね、もしかしたら此処に、新幹線が走ってたかもしれないんだよ」。
聞けば、新幹線が金沢まで伸びる際に、当時大変栄えていた金石に駅をつくる計画が持ち上がったのだという。しかし、地元の人たちが反対して、結局実現することはなかった。どうして反対したのかと聞くと、「当時は船でしょう」と言う。荷物を船で運んで生活していた人々が住む港町だ。それに代わる鉄道の出現は脅威だっただろう。地元の商人たちは、ここに駅ができ、彼らの仕事がなくなるのを恐れたのだ。
「目先の利益を優先したんだね。ばっかだよねえ、本当。いまの金沢駅を見てみなよ。あの賑わいがここにあったかもしれないんだよ。惜しいことをしたねえ」。悔しそうな表情でそう言った。

アーティストインレジデンスで行くのは、こういった「今は衰退の波の中にいるが、昔は栄えていた場所」が多い。アーティストを使って、自分たちの現在地を確認したり、もう一度人を呼べないかと画策したり、色々な理由があるのだろうと思う。
一方で、「ここは城下町だったんだよ」と立派な石垣を見せてもらったり、「武家がいたんだよ」と商家に案内されたりする度に、「すごいですね」と言いながら、少しの引っ掛かりもあるのだ。商売や、戦の強者だけが誇られる状態でいいのだろうか。何も彼らだけが村や町を立派にしているのではない。その都度、「この町には企業ではなくて緑があってほしい」とか、「今の産業にかかわる人を守りたい」などと考えた民の願いがあって、今の地域の状態があるに違いない。
その選択を、どうか後ろめたく思いませんように。どうかもっと長いスパンで見つめた時に、やっぱりこれでよかったのだと、思える日が来ますように。
そう思えるように、よそ者は果たして何ができるだろうか。各地に滞在しながら、最近はそんなことを考えている。