どこだれ㉕ 戯曲を書いてよかった
2022年に、「脱げない」という戯曲を書いた。これは、ファストファッションや綿農家の現状を集中的に知る機会があり、その時の「書き残しておこう」という気持ちだけで一気に書いた作品だ。それゆえ上演のあてがないまま出来上がった。ありがたいことに第8回せんだい短編戯曲賞の最終候補に選ばれたので、その年の戯曲集に掲載されている。
日本の若い女性の貧困とバングラデシュのファストファッションの工場での労働をテーマにした短編で、テーマがテーマなだけに、自分が書いた他の作品と比べてメッセージのまっすぐさが目立つ。そこに若さを感じることと、自分の興味関心が他に移っていったこともありその後も上演の機会を持てずにいた。
書いた作品をすべて自ら上演する必要はないだろう。形になっただけでも十分だと思っていたら、今年の初夏にある連絡があった。
茨城県のある学校が、高校演劇の地区大会でこの戯曲を上演したいと言う。驚きと、見つけてもらえたのかと意外な嬉しさがあった。どうぞどうぞと話は進んだ。
顧問の先生曰く、演劇部の生徒たちが自ら戯曲を選び、これがやりたいと希望したのだと言う。それを聞いて更に驚く。一体どこに惹かれたのだろう?ファッションに関して興味のある生徒がいたのだろうか。
当初は、先生のメールに「どう演出をつけたらいいものかと悩んでいる」という旨があった。私もこの戯曲には演出をつけたことがないので全く想像できない(脚本を書く時は、書く範囲が狭まってしまわないよう演出のことは考えないようにしている)。
やりとりを続けていると「生徒たちが自ら案を出しながら進めています」「途中まではよっぽど『この戯曲はやっぱりやめよう』と言おうかと思っていましたが、先日の合宿でなんとか形になりました」など現場の様子が少しずつ変わってきているのを感じた。
そして先日、「ぜひ上演を見に行きますね」と約束した通り、地区大会を見に茨城に行ってきた。
上演は、予想していたよりずっとずっと素晴らしいものだった。何より、自分でも忘れかけていた台詞を高校生の口から聞いて、驚いた。「そうか、このエピソードをここで持ってきたんだな」「確かに数年前はこんな気持ちでいたな」など、自分の過去の気持ちをなぞるような感覚だ。
そして、最も驚いたのは、この戯曲を高校生が演じる意味が強度を持って胸に迫ってきたことだった。
物語の主人公は、社会人になって間もない都内で一人暮らしをする女の子だ。友人の結婚式で着たファストファッションのドレスが「脱げない」ことから話は始まる。
それがバングラデシュの縫製工場へと展開し、国をまたいだ同世代の若者の物語になっていく。
後半、日本に住む主人公がバングラデシュにいる女性に語りかける。ファストファッションの先を想像できていなかった罪を詫びる。
その行為を、おそらく外国の縫製工場で働いているのと同じ年の高校生が、身体を張って訴える。この状況こそが、戯曲に何倍ものエネルギーを与えていた。
終演後、楽屋で部員の皆さんに挨拶をした。音響も照明も衣装もみな自分たちで意見を出し合って作ったという。素晴らしいと思った。
「どうしてこの戯曲を選んだんですか?」と聞くと、「どうせやるなら、社会に訴えるメッセージがあるものがやりたかった」と言う。稽古は、バングラデシュの場所を調べるところから始まったそうだ。
戯曲中で扱っているバングラデシュの縫製工場の崩壊事故は、2013年のことだ。彼女たちはリアルタイムでは知らないだろう。しかし、こうして戯曲を見つけてくれたことで事実を知り、演技という方法で人前に出してくれた。その事故への語りを引き継いでくれたのだと思った。
これまで、私は自分の戯曲を全く知らない誰かに上演してもらう機会がほとんどなかった。こだわりがあるわけではないのだが、なぜか自分が演出するのが手っ取り早い気がしてやってしまう。
しかし、今回高校生の皆さんから教わった。戯曲として書き残しておけば、何年後でも誰かがきっと見つけてくれて、物語で扱った事件や思いをまたこの世界に出現させてくれる。戯曲ってすごい。戯曲という形態は、考えていたよりもずっと深い可能性を秘めているんだなと思う。
帰り道、そういえば自分の演劇体験も高校生から始まったことを思い出した。講師だった劇団の皆さんに出会って、大げさでなく世界が変わった。学校や塾以外でそういう大人がいてくれることのどれだけありがたかったか。
気づけば自分がその年齢になっている。高校生に恥ずかしくないように、きちんと生きようと襟元を正した。
そして、これからも「残すべき言葉」をきちんと拾って書き残していこうと決意したのだった。