◎道後温泉クリエイティブステイ日記②前半
観光案内所で9時受付開始の観光ガイドのために、ホテルを出る。城跡の周りを歩いていると、堀にシラサギがいた。ばさばさと羽ばたいて木に止まったので見ていたら、その横にカラスが止まる。違う鳥類でも仲良くなることあるんだ…と思ったのもつかの間、シラサギが暴れてカラスを追い出していた。仲が良いわけではないらしい。公園にはほかにも、鳩や散歩中の犬がたくさん。
今日も青い空に紅葉が鮮やかだった。立派な木がいくつもあり、赤に黄色にとまぶしく映る。かつての城主もこの紅葉は誇らしかっただろうと思いながら眺める。
「観光案内所に行けば、ボランティアさんに街歩きをしながら色々と説明してもらえますよ」と教えてくれたのはクリエイティブステイのスタッフさんだった。今回の滞在では基本的にスタッフさんに会うことはなく、自分で予定を決めてリサーチ・創作を行う。ただ「これが見たい」「あれが知りたい時はどうすればいいですか」と聞けば色々と紹介してくれる。
事前に「まずあそこに行って○○を聞いてみてください」「ここに行けばこういったサービスが受けられます」と説明されていたものの、道後に到着し、実際にそのスポットに行ってみると不思議な感じがした。へえ、写真で見たあの店はここにあったのか。あ、あの人はここにいるんだな。こうした気付きを繰り返すうちに、これは何だかロールプレイングゲームみたいだなと思った。スポットに行って人に会うとパワーアップできたり、アイテムがもらえたりするのだ。
9時に観光案内所に入ると、自動検温器が「マスクをしてください(してる)」と言ってなかなか体温を測ってくれない。仕方ないので後ろの人に譲ると、その人が今日のボランティアガイドの方だったようだ。「じゃあせっかくだしガイドしますか?」「じゃあって言うのもおかしいんだけど」と独り言なのか和ませるためなのか朗らかに話していた。担当してもらったのはガイドのOさん。10年目のベテランだった。
受付を済ませると早速、「坊ちゃんからくり時計」の前からガイドが始まった。
「坊ちゃん読みましたか?」「途中まで…」という会話をしながら、音楽を奏でながら回転していくからくり時計を見る。「あれがシズさんで、下の所にいるのが夏目漱石じゃないかって言われています」と人形ひとつずつを説明してもらう。ここは昔池で、だから今でも橋のような装飾がなされているのだそうだ。
この一帯は(この時はまだまだ序の口だったのだけれど)石碑がひしめき合っていて、俳句が書かれているものなどが多い。中でも「鷺石(さぎいし)」なるものがおもしろかった。
「これは3000年前からあったって言われている石なんですけど…シラサギ伝説って言うのがあって、シラサギが足を痛めたところ、温泉に浸かってよくなったということで、道後の温泉が始まったと言われてるんです。それで…石をよく見ると、シラサギの足跡が残っているとかいないとか…」ガイドさんは半笑いで話していた。「これって昔からずっとここにあるんですか?」と聞くと、「いや。結構点々としてます」とのこと。結構フランクな感じ。ここら辺にシラサギが多いのは、川に魚を採りに来ているからなんだとか。
近くには正岡子規の銅像もあって(なぜか野球のユニホーム姿。野球の「投手」などの言葉を考案したのが子規だったとか)、結構見どころがある場所だった。
続いて、近くの神社内にある源泉を見に行く。その昔、道後を開発する時に地面を掘りまくって(斜めに掘ると、縦に掘るよりヒット率が高いそう)、源泉が18本あるらしい。今使っているのは5本ほどで、それぞれ20~55度のお湯をブレンドし、41度にして各温泉にわたっているのだとか。なので基本的にお湯はどこもすべて同じだ(この点は城崎と一緒だなあと思った)。
「手湯」なる、近くに寄ったら自動でお湯が出る仕掛けがあった。今までは出しっぱなしだったそうだけれど、こんなところにもコロナ対策が求められていた。お湯がブレンドされている様子も見学できる。「ここのお湯は聖徳太子も入ったと言われていて…」と、その話の規模に驚く。一時間ごとに本館から国家資格を持った人がお湯の様子を見に来るんだとか。
続いて商店街を歩く。お店の割合を聞くと、やはり他の地域から来たお土産屋さんが多いと言う。新しいお店も多い。どうやらこの界隈の土地が空くのを待っている企業がたくさんいるという。その中から慎重に、正岡子規が亡くなる前に書いていた日記に「取り寄せて1日2枚食べていた」と書いてある炭酸せんべいのお店や、もぐさ屋さん、周りに竹林が多いことから竹細工が盛んだということで工芸品屋さんなど、地元のお店を教えてもらう。
旅館がつぶれてお土産屋さんになって、その後コンビニになって…という話を聞きながら、その建物を眺めるのはおもしろい。「ああ、確かにあの窓旅館っぽい」というところがたくさん目につくのだ。
その後は道後温泉本館の方へ歩き、皇室専用の風呂の入り口を見る。
この他も、江戸~明治初期の間に廃止されたが、昔は本館に3つの入り口があって、武士、武士の奥方、一般市民と入れる場所が決まっていたという。ここにもきちんと身分制度があったのだ。他にも、外に「牛馬湯」といって動物が入れる温泉や、時にはお遍路の人が入る「遍路湯」なるものもあったそうだ。
そこでふと、昨日入った「飛鳥乃湯」の浴衣の柄を思い出していた。猪や馬、ウサギなどが湯を目指して躍動している柄の浴衣で、伝説に基づいているらしい。今でこそTVなどで「森の中の温泉に猿が浸かっています」という風景がほっこり映像として報道されたりするけれど、そもそも、温泉というのは自然界に広けたものだったはずなのだ。それを人間が囲って、管理して、動物たちを排除しただけだった。おまけに、時代によっては人間同士でも排除していたのだった。
続いて聖徳太子の椿の木の伝説、漱石と子規ゆかりの花街、一遍上人ゆかりのお寺、神社などをぐるりと回った。
神社の中に戦争後に描かれた絵があったので、愛媛の戦争跡地があるか尋ねてみた。しかし、「戦争跡とかはあまりない」と言う。「空襲で焼けてしまったのもあるけど、大概はなくなっていて、再建してしまう」そうだ。
漱石ゆかりの場所も戦災で焼けてしまって、今あるのは石碑や再建されたものばかりだ。
その話を聞きながら、新しい建物などを見上げる。「ここら辺マンション多くないですか?」と聞くと、「多いですね~。そんなに建てて大丈夫なのかって思うくらい」と言う。今では家を売ってこの辺りのマンションを買う人も多いそうだ。
「長年ガイドされていて、景観っていうのは変わりました?」
その質問にOさんは笑って「もう全然違うよ」と言った。「10年前と比べると、本当に違う」。
Oさんは松山の方に住んでいて、月に4~5回ほどここのガイドをしているそうだ。仕事をリタイアした後、ネットでここのボランティアを知り応募したという。
「温泉も随分綺麗にしたからね、それまでは、椿の湯(公共浴場)の方は85歳過ぎると無料で入れたんだけど、去年からお金取るようになってしまって、誰も来なくなったって声も聞く」。そうなんですね、と相槌を打ちながら、私は今回参加しているプログラムの話をして、「こうやってアートで町おこしっていうのが始まって、どう思いましたか?」と聞いた。
するとOさんは「うーん」としばし考える。「今は蜷川実花さんがね、ああいう風にやっているけれども、数年前は本館の方がのれん全部あの色に変わっちゃって。その時はもう…すごかったです。ええっ!?って」。そう言って、Oさんはすぐさま「じゃあ、次はもう少し先の…」とさくさく前を歩き始めた。それ以上は語らなかったけれど、言葉の中には何かしらの思いがあるようだった。
道後温泉には、過去に「道後オンセナ―ト」というプロジェクトが行われていたこともあり、街の様々なところにアートがある。旅館の中にある足湯に案内してもらったついでに、その中のひとつの作品を観た。それは、山口晃さんが障子に描いた絵だった。繊細な画に見入っている時に、Oさんがふいにつぶやいた。「この人の時はね、おもしろかったですよ。色んなアートがあって。道後の街には電信柱がないんですけど、あえて建てたりしてね」。私はOさんの顔を見た。その横顔は、当時を思い出して少しほころんでいる。
ああ、そうなのかと思った。この地にいる人も、驚きながら、時に動揺しながら、こうしてアートを少しずつ楽しんでいるのだ。
お湯が出るところには人が集まって、人が集まると情報交換も盛んになるし、文化交流も生まれる。そういう意味では、聖徳太子の時代からここ道後は文化的素養があったんだろうと思う。
気が付けば予定時刻をオーバーして2時間半もガイドしてもらっていた。
めちゃくちゃ勉強になりました、ありがとうございましたと言うと、「ガイドしてる人によって言うこと違ってたり、記憶違いもあったりするかもしれんけど」と笑う。道後は険しい坂道や急な石段も多かったのだけど、Oさんは足腰がとても強くすいすい歩いて行かれるので驚いてしまった。ガイドさんは今全員で120人位じゃないかなあと言う。前までは150人程度いたそうだが、コロナになって「やめておく」と退いた方もいたそうだ。「これからも頑張ってくださいね」と言うと、「そうそう、ワクチン接種三回目も優先的にやってもらわんとねえ」と笑っていた。
※ここに記している内容は、史実的には事実と少し異なる内容もあるかもしれません。参考までにしていただけると幸いです。
【②後編へつづく】