オッペンハイマーを2回観て思うこと
3月27日オッペンハイマーの公開日に合わせて映画館に行った。
オッペンハイマーの映画が公開される事を知った時から人一倍楽しみにしていた。
身の上話になるが私が高校生の時に留学したアメリカの高校の校章は、きのこ雲だった。それ以来原爆や日米の核認識にはなんとなく興味を持っていた。
※以下本編のネタバレを含んでいます。
1回目に観た時
オッペンハイマーを初めて観た時こう思った。
「原子爆弾の被害の部分がまるっきり抜け落ちている。アメリカの視点のみで描かれた残念な映画だ。」
私は原爆を作り出し、大量虐殺に加担した人間が主人公になる事に違和感を抱いた。なぜなら核兵器を作り「原爆の父」として讃えられた一人の人間の影には、原爆によって身体的精神的被害を被った人。人生を絶たれた人達が沢山いるからだ。
広島、長崎の被爆者。
原子爆弾開発の過程で被曝した(させられた)アメリカ国内の被曝者。
核開発のために土地を追いやられたアメリカの先住民。
パッと思いつくだけでも原子爆弾によってこれだけの犠牲がもたらされた。そして原爆による被害は終わった話ではない。映画にも出てくる核開発が行われた拠点の一つ、ワシントン州のハンフォードでは現在進行形でも放射性物質による被害が続いている。
こういった現状がある中でなぜオッペンハイマーが伝記になるのか。映画の主題として扱われるには何か理由があるのではないだろうか。この問いに向き合わずに、本作で原爆の被害が描かれていないことだけを安直に批判してはいけないと思い2回目を観に行く事にした。
2回目に観た時
4月10日、2回目を観た時、
「もしかしたらオッペンハイマーも原爆の被害者なのかもしれない」と思った。
私がこう思った決定的な瞬間はオッペンハイマーがマンハッタンプロジェクト(原爆開発のためのプロジェクト)のリーダーを任され、物理学者のルイス・ウォルター・アルヴァレズに原爆開発の協力をお願いするシーンで起きた掛け合いだ。
オッペンハイマー: “They need us.”
ルイス: "Until they don’t.”
日本語訳するとオッペンハイマーが「彼らは(原爆を作るために)私達科学者が必要なんだ」と言うと、ルイスは「必要なくなるまで」と返した。
アメリカ政府はナチスよりもいち早く核兵器を作るために天才科学者のオッペンハイマーに原爆開発の役割を担わせ、オッペンハイマーはその役割を全うしていた。開発が進み核実験が成功し、日本に原爆を落とす準備が整うと、オッペンハイマーは自分が作った原子爆弾がどんどん自分の手から離れていく感覚に陥る。そして核兵器の開発に成功すると、オッペンハイマーは必要とされなくなっていくのだ。そして彼は核兵器を作った事に対して懐疑的になり罪の意識を持つようになる。
そして開発が終わった次にオッペンハイマーを待ち受けていたのは「原爆の父」として賞賛される事だった。自分の気持ちとは裏腹に「原爆の父」として称賛された事によって、実直だったオッペンハイマーは自分に嘘をつき、原子爆弾に対する意見も言えなくなっていく。
与えられた仮面を被る人生
「原爆の父」という名を与えられ、民衆やメディアから称えられたオッペンハイマー。一見満帆順風満帆な人生を送ったように見える。
しかし、オッペンハイマーに与え続けられる「原爆の父」という賞賛はオッペンハイマーのためではない。アメリカ政府にとって核兵器を支持する世論を維持するために「原爆を開発した人は称賛されるべき」という語りが必要だった事。そして開発者であるオッペンハイマーの原子爆弾に対する本音を封じ込めるためだったのではないかと思った。
本作を初めて観た時、オッペンハイマーは原子爆弾を作りだし、大量虐殺に加担した人間だと思った。
2回目観た時はオッペンハイマーは大きな力に翻弄され、「原爆の父」という与えられた仮面を被る事を強いられた核の被害者の1人だと思った。
問い
オッペンハイマーが核の被害者であれば加害者は誰になるのか。
ルイスが放った言葉
“They need us until they don’t.”
このTheyとは誰の事を指し示しているのか。
オッペンハイマーの人生をも苦しめたTheyの先にある巨大な力に対して私達は批判の矛先を向ける事ができているのだろうか。
おわりに
映画の中で原爆投下のシーンは間接的にのみ描かれていた。
きのこ雲の下の描写は一切なく、長崎、広島の被爆者の事が数のみで示されていた事にどうしても心が苦しくなった。
日本人だからなんだろうか。
仮に日本人じゃなくても人の死が数字で示される事はどこか辛い。
この映画を見る前も後もやはり日本人としてのアイデンティティーは付き纏うし、日本人として思う事はある。
3時間で描かれたオッペンハイマーの波瀾万丈な人生のように、長崎広島の原爆投下で亡くなった一人一人にもそれぞれの人生があった事を想像して欲しい。