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【教育移住・留学】 メルボルンから2年ぶりの一時帰国で日本について感じたことを書き残す 2025.1

あっという間に1ヶ月経ってしまいましたが、1月18日から2週間強、東京に一時帰国しておりました。約2年ぶりです。2年も経っていて、しかも円安進行・デフレ→インフレ・訪日外国人爆増など、多くの変化があったであろう日本への一時帰国は、日本食(和食というより、日本の食事全般)に飢えていたこともあって結構楽しみにしていました。

実は、4月で東京に家族で帰国(すべて引き払ってということです)することになりまして・・(!)このあたりは長くなるのでまた別途書きたいと思いますが、今回はその帰国のための準備ということで一時帰国しておりました。

2年ぶりの日本は思ったほど変わっていないと感じましたが、やはり思うところはいろいろあったので、そのあたりを忘れないうちに書き残しておきたい!というのが今回のエントリーです。


食事と物価の話

最初のトピックは当然これでしょう。成田に到着直後・・わざわざ出発ロビーまで移動し、山菜蕎麦を堪能。安心の美味しさに思わず1時間その場でゆっくりしてしまいました。1200円也。以前なら900円ぐらいものを1200円で食べた印象ですが、これは物価高の影響というより空港価格ということでしょうね。

そして自動販売機をチェック。私の中で自販機は物価のバロメーターになっていて、1本 200 円ぐらいを想定していましたが、案外160円ほど。確かに全般的に +10-20% ぐらいになっている気もしますが、そこまででもないと感じるのは、オーストラリアの自販機は一本 450円でかつロクにバリエーションが無いため、感覚が麻痺しているのだと思います・・・。未だ価格がオーストラリアの3分の1で、圧倒的バリエーションの商品を、ありとあらゆる場所で購入できてしまう日本。

真っ先にまず綾鷹を堪能したのち、初見の「京都レモネード」も続けて堪能。

オーストラリアでは真夏ということもあって水筒を持ち歩くのが日常ですが、日本に帰った途端毎朝「自販機で買えるからまあ、持っていかなくてよいか。」となります。なぜこんなに自販機があるのか? 「過剰品質」という言葉が脳裏をよぎりますが、根底にあるのは何事においても徹底的に質を高めてしまう国民性。そして人口密度。これに尽きると思うわけです。

あまりにも美味い実家の朝食。思わず写真を撮ってしまう。

滞在中は実家の日本食から大戸屋、ココイチ、イタリアン、ラーメン、ドトール、スイーツ、ワイン、焼き鳥、もんじゃ、おこみ焼き、蕎麦、うどん、中華はては冷凍食品、そしてコンビニ飯とありとあらゆる食事を堪能。ここでも値上がり幅は感覚的に+10-20% ぐらいの印象(ふと入った定食屋の量の少なさと上底には驚きましたが)。価格はさておき、安かろうが、高かろうが、すべての食事の一定のクオリティに涙するのでした。もちろんメルボルンにも美味しい食事はいろいろありますし、自炊すればいくらでも美味しいものは作れます。しかし外食となると、値段の割に(?)であり、そして当たり外れが激しいのです・・。

そしてだんだんと悔しい気持ちになってくるわけです。なぜ日本のこんなに美味い食事が、こんなに安く世界に提供されているのか?こんなにも美味いのに、こんなにも安い。それは日本人の簡単には値上げしない経営努力の賜物である。なので、どちらかと言えば海外の食事の中で質が悪いものの値段が下がって欲しい。なんでこんな質のランチに2000円も出せねばならんのだ・・・

もっと世界中の人に日本の食事を楽しんで欲しい、楽しみたいと思ってほしい、と思いますよね。日本は製造業がお家芸ですが、製造業はいつまでも日本の競争優位が保てるような要因が日本にあるわけではない、と思うのです。現に、ハイアール、BYD、テスラ・・・と海外の優れたメーカーが世界を席巻し始めています。しかし、日本文化に根ざしたもの、観光資源や食文化は、当然ですが圧倒的に日本に強みがあります。寿司ですら、未だに日本のクオリティにどこも追いついていないと思うわけです。ですから、個人的には、日本はいつまでも製造業頼みでいるのではなく、日本の唯一無二の強みである文化を強力な武器にするべきだ、と思うのです。ハードではなくソフト、これが今後の日本のキーワードだと思います。

訪日外国人

さて、では日本の文化を楽しみにどれぐらいの人が日本に遊びに来てくれているのでしょうか。次に空港で気になることといえば、訪日外国人の数です。さぞ大勢いるんだろう・・と思って到着したところ、意外と周囲は日本人ばかり。遅い時間だったというのもあるかもしれませんが。時期も、バケーションの時期が終わったところなのでしょう。そんなことを思っていたら・・

成田からの電車。なんだ日本人ばかりか・・と思ったら多くの人が中国・韓国の方々でした

どうやら私の勘違いで、日本人だと思っていた周りのは人は中国人か韓国人。あまり変わり映えしない日常の風景・・と思っていたのは誤りで、春節ということもあって実は大勢中国と韓国から人が訪れてくれています。冬なのでオーストラリア人はきっと北海道に行っているのですね笑

母校の某大学のカフェによったところ、なんとメニューが英語で客は全員外国人!

とはいえビジネス街などはそんなことはないのですが、意外なのは大学。ニュースにもあるように、爆買いならぬ「爆学び」が進行中で、東大や早稲田の前には常に観光客(というよりも下見客)がいる状態に・・・。この日も大隈講堂の前に突然バンが横付けになったかと思うと、大勢の中国の方が降りてきて写真をとったり、事務局で資料をもらったりしていました。どこかでみたような・・・そう、オーストラリアの大学でも半数が中国の方々だったりしたのです。この人たちの親御さんが爆買いしていることで都心はマンションが高騰している可能性もありますねぇ・・文京区とか特に(ちなみにオーストラリアは物件高騰対策で外国人が物件を買えなくなります)。そんな様子をみて底知れぬ不安を覚える私。日本の高等教育は多様性やグローバル化が課題ではありますが、とはいえ、大丈夫なのか・・・? 世界市民であろうとするのはなかなか大変です。

後半は、たまたま日本を訪れていた海外の友人を半日案内しました。上野アメ横はさすがに海外の人が多い。そこで刺身・焼き鳥・お好み焼きと堪能してもらって、ひさしぶりに自分自身もまた美味しい日本食を満喫しました。店員さんが英語で対応してくれるのも驚きです。

平日だったのでやや混雑は少なかった印象

最終日には、上野→東大→早稲田→新宿→明治神宮→原宿→渋谷 というコースで友人を案内。この彼も日本の大学に入りたい(しかもドクターで)という人の1人。立ち寄った明治神宮のお札が半分以上外国語であるのをみて一同驚いておりました。

明治神宮のお願いごとの半数以上が日本語ではない・・!

モノクロの世界

最後は建物や景色の話です。東京に帰ってきてすぐにふと気づいたことは、ビルの多くがグレーか黒で、国民の髪が黒か白・グレーで、、服装は落ち着いた色で・・・と全体的に色彩があまり無いという点。もちろん新宿歌舞伎町あたりは雑然としていてカラフルだし、歴史的建造物は赤だし、すべてが色彩がないわけではありませんが、東京はちょっとこう、無機質ですね。メルボルンと比べたらそうなるのは当然かもしれませんが。綺麗で清潔で整然としていて、落ち着くところも多いんですが、なんかこう、寂しい気持ちにもなります。

豊洲のタワマンをホテルから眺める。すごい眺望だし富士山も見えていますが・・ほぼグレー
かたやメルボルン・シティのビルの色と形の自由さと言ったら・・・

余談ですが東京はスターバックスの数が異常です。どこにいっても駅にスターバックスがある(約400店舗。メルボルンは20店舗未満)。マック(354 店舗 )より多いらしい。そしてそれでも尚、どこも混んでいて座れない・・・(!)これがカフェ難民というやつですね。たいていの場所がゆったりしているメルボルンとの決定的な差です。人口密度が高すぎるのでは?誤解を恐れずに言えば、少子化でもなお、人口が多すぎるのか・・?

日本の根底にあるもの


戻って過ごしている場所が東京だからというのもあると思いますが、日本はコンパクトで、清潔で効率的。暮らしたら楽だろうなぁという気持ちと、どこか余裕がない雰囲気に疲れそうだなあという気持ちと、双方が湧き上がってきます。

今度どこかでまとめて書きたいと思いますが、総合して2年の海外生活と久しぶりの帰国から感じる、今の日本が出来上がった根底にある価値観の1つは、「ガンバらなければならない。ガンバらない者は非国民である」という考え方なのではないでしょうか。我々にとって頑張るのはあまりにも当たり前で、頑張らない人を見ると何かが欠けているように見えてしまう。

戦争によって多くが焼け野原となってから、歯を食いしばって頑張って日本をここまで持ってきてくれたすべての人に無論、心から感謝するべきですが、その復興と経済成長の過程で、全員頑張るべきである、物事を研ぎ澄まし極めていくべきであるという国民性が(元々持っていた武士道のような精神性もあって)より強固になったのではないか? このことが、モノやサービスの品質や、時にはスポーツクライミングのようなスポーツの技術を世界一のものにしている一方、日本人に画一的な価値観の受け入れを迫っているように思います。

これは一定必要なことなのかもしれません。国内の資源が少ない、食料がない、地震がある、台風がある、隣の国はミサイルを撃ってくる、米中露に挟まれている、そんな日本はみんなで頑張らないと存続できないのかもしれません。

しかしオーストラリアに来ている日本人の若い人の10人中9人は、そんな窮屈で、単一の「頑張れ」という価値観を押し付けてくる日本から逃れてきて、人は人、自分は自分で良い、just be yourself という自由なカルチャーに救われている模様。振り返ってみれば、私もずっとそうだった気がします。

もうちょっと切磋琢磨したい、してほしい、という気持ちで帰国しますが、きっとまた日本が窮屈に感じる日がすぐに来るのでしょう。日本は、物理的に窮屈なだけでなく、心理的にも窮屈。モノクロームの街からどことなく感じる悲壮感と、仕事以外の人生を楽しむ余裕のない、貧しさのようなもの・・・やはり海外に出てみると、自分・自国のことがよくわかるものですね。

日本に戻ったら子供達は確実に逆カルチャーショックを受けると思いますが(今回は1人で一時帰国でした)、どんな反応を示すのか、楽しみにしています。


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