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【雑記】卵巣嚢腫になったときの話。

今回は育児エッセイではない。

ただの注意喚起ブログです。笑


まず結論から。
わたしは29歳のときに、左卵巣出血を、
30歳のときに、左卵巣嚢腫+卵管水腫をやって、腹腔鏡下でオペ・卵巣卵管共に切除している。

妊娠・出産はこのあと。


元々生理の出血量が多く、4年ほどピルを飲んでいたが、結婚を機にやめた。子どもがほしかったから(夫が)
でも自然妊娠しなくて、そろそろ婦人科に行こうと思っていた頃。


夜勤前に寝ていたら、突然の腹痛で目覚めた。

おヘソより下側の内蔵を、雑巾絞りされているような、うずくまるほどの痛み。

うずくまった状態で、どうにかこうにか、職場に休みの連絡をした。
(後に連絡を受けたスタッフから「めろ子さん、おなか刺されたのかと思いましたよ!」と言われた)


夫とは仕事の関係で、すれ違い生活だったんだけど、その日は偶然家にいた。

そして、その日は土曜日。
時間は昼の12時を過ぎた頃。

市内の救急当番の病院に電話するも、午後もやってるクリニックに行ってくれと受診を断られる。

午後もやっているクリニックに夫の運転で車で向かう。
その間に痛みはだいぶマシになった。
でも痛い。なんとか歩けるくらい。

クリニックで問診され、「ここじゃ何もできないから、紹介状書くので救急当番の病院行きましょう。救急車呼べばよかったのに。」と言われ
結局、最初に電話した救急当番の病院へ。


到着してとりあえず痛み止めの点滴を打ってもらい、待合室で待機。
そのときには「写真撮って」と夫に言えるくらいには回復。
特に画像診断などなく、問診のみで、胃腸炎の診断あり。

痛み止めが半分も落ちてないうちに、点滴を抜かれ帰宅。



帰る頃には、痛いけど日常生活は送れるくらいの痛さに。

夕ご飯でおにぎりをひとつ食べ、風呂に入り、今日は大変だったね、なんて言いながら布団に入ったあと、また昼間と同じ腹痛が起きる。
雑巾絞りされているような腹痛。

痛くて痛くて、唸る私の背中を、半分寝ながらさする夫。

救急車を呼ぼうか真剣に悩んだけど、髪の毛がボサボサだし、パジャマなのでとにかく耐えることに。


そしていつの間にか寝ていた。


そこから2週間ほど、わたしは胃腸炎だと思いながら過ごす。普通に働いたし、夜勤ももちろんした。
胃腸炎だと思っているので、うどんやゼリーだけ食べて過ごしていた。


そしてまたまた夜勤の日(今度は勤務中)、また腹痛。
でもこのときは、なんとなく、痛いくらい。
でもまた痛くなるような気がしていた。

夜勤明けでそのまま、家の近くの初めての消化器クリニックへ。
血液検査をして、結果は後日。
でも胃腸炎でしょう、とのことで痛み止めをもらって帰宅。


帰宅して寝ていると再び腹痛で目覚める。
今度は雑巾絞りに加えて、骨盤をぎゅうぎゅうしめつけるような痛み。

痛くて痛くて喋るのもしんどい。

そしてまたもや、偶然家にいる夫。(グッジョブ)

リビングにいる夫に助けを求め、どうにか寝室から隣の部屋のキッチンに行くが耐えきれず床に倒れる。

クリニックでもらった痛み止めを飲んで、夫に背中を擦ってもらいながら
30分ほど11月のそこそ冷たいキッチンの床で痛みに耐えてみる。


でも耐えても耐えても痛みはまったくかわらない。
痛すぎて、もう「いたーーーい!!」と叫ぶくらい。
ついに痛すぎて意識が飛びそうになったので、さすがに救急車を呼ぶことに。


救急隊員と夫が話すも、結局わたしへの質問なので、わたしが電話に出る。
痛くて痛くて、時々叫んだり唸ったり。ハァハァしながら答える。

救急車はあっという間に来て、あっという間にたくさんの救急隊員が我が家へいらっしゃいませ。

当時の住まいは、エレベーターなしのアパートの4階だったため、多めに来てくださったらしい。


救急車に揺られ、2週間前に受診した救急当番だった病院へ。
ちなみに人生初・救急車。


病院へついて、点滴されながら問診。
おそらく子宮外妊娠を疑われている。

尿検査したいけどトイレ行ける?と言われ、行けるわけねえだろと心で叫んだ。
でも痛すぎて、それどころではない。

人生初・導尿。
導尿中に途中で管が抜けてしまい「ごめん、抜けちゃったー」と言われる。

足元で、看護師が「先生もウーバー頼む〜?!」とか言っている。

やっと痛み止めが効いてきて、叫ぶほどの痛みではくなる。
そのタイミングで、人生初・造影CTへ。

「チャックとか金属ありますか」と聞かれ
な、、ないです、、、と答えるも
実は履いていたズボンのポッケにチャックがあったらしく「ありますね!!!!!」と怒られる。

わたしも、初めて知りました。


造影CTから戻るくらいにはおなかは痛いけどおとなしくしていられるくらいになっていた。

そのとき偉いっぽい、貫禄のあるオジ医者が来て、人生初・直腸診をされる。

「キャーーーー!!!!!」
痛すぎて、悲鳴。

もう、めちゃくちゃに痛かった。
電撃が走った。


(今思えば、ダグラス窩が腫れてたんだろう。)


「はい、婦人科〜。」

え?婦人科なの???????
車椅子に乗って、産婦人科に行き、まだ残っていた日勤の産婦人科医にエコーなどしてもらった。


結果、卵巣破裂とのこと。

「2週間前に来たときに画像撮ってれば気づいたはずですけどね、なんで撮らなかったんだろう。」

いや、撮らんかったの、あんたんとこの救命医や。


そしてそのまま入院。
腹水がかなり溜まっていたらしく、採血データ次第で緊急オペになると説明あり。

入院したのは20時。
(本当に申し訳ございません)
その日の夜は心電図モニターつけてもらい、何度も採血。
痛みが強くなっては点滴の痛み止めを打ってもらい、うとうとした程度だった。

幸いオペにはならずに朝を迎え、日勤できた担当医にまたエコーなどがしてもらう。
そこで、卵巣破裂ではなく、卵巣出血だと言われる。ただ、原因は不明。 

1週間抗生剤治療をして退院。
CRPという炎症を示す数値が、正常値0.3➜入院時22だったらしい。
つまり、夜勤明けで行ったクリニックでとった採血はとんでもないデータだっただろう。(その後行ってないので真実はわからない)



退院から1ヶ月後、じんわりじんわり、日々おなかが痛くなってきた。
子宮なのか腸なのか、とにかくズシンと重く痛い。

今までに体験したことない痛みと違和感だったので予約外で受診したところ、左卵巣が7センチと言われる。(通常は2〜3センチ。)


アウト〜〜〜〜〜〜

チョコレート嚢胞だった。
(可愛い名前でむかつく)

オペ適応だったため、オペすることが決まったが、混み混みのため早くても3ヶ月後。


その3ヶ月がとにかく地獄で、もうお腹が痛くて痛くて仕方がないのに働かなくちゃいけなくて。
しかも捻転リスクがあったから、常に捻転に怯え。
(捻転は即救急車。壊死したら卵巣が使い物にならなくなる。あと耐えられないほど痛い。らしい。)
オペまで夜勤もお休みさせてもらい、自転車通勤もやめて徒歩に。

どうにかこうにかカロナールやロキソニンで痛みを抑え、3ヶ月を乗り越えた。

オペは腹腔鏡下で行われたが、卵巣内にかなり血がこびりついてきたようで、うまくはがれず。卵管も卵巣出血のときの影響なのか水腫になっていて、
はっきり言うと使えない臓器になっていたため切除となった。


7日入院して、無事退院。 



卵巣嚢腫は原因不明なことが多いらしい。
でもわたしは、血流不良だったんだろうなと思っている。

今思えば。

仕事は不規則でストレスも強かった。
看護師として新卒からフルタイムで働き、二交代の夜勤を月4回していた。
食べ物もなにも気使ってなかったし、冷たいものや小麦粉系ばかり食べていた。というかテキトーーだった。腹に入ればいい。
だから体は冷えていたんだと思う。
運動も全くしてなかった。

生理痛は強くて、痛み止めが必須だった。
出血量も多くて常に夜用420で過ごしていたし
2日目は420でも2時間ももたなかった。

ピルのせいで、忘れていたけど。


※ピルは本当にすごいです。毎日ひと粒、同じ時間に飲むストレスはあるけど、毎月決まったときに生理はくるし、決まったときに終わるし、量もずっと昼用で済む。


むかしの人は子沢山だったから、生理が止まっている期間がたくさんあった。だから子宮内膜症は出産時期が遅くなったり、出産しない人が増えた今、増えている病気らしい。



生理とうまく付き合えていない、あなた。
なるべく早く婦人科受診してほしいです。

なんもなければ、それでいい。

生理の出血量が多い。
痛み止め飲んでないと過ごせない。
出産してない。

そんな人は、特に行ってほしい。


卵巣は親指くらいの大きさだけど、必要なホルモン出してくれてるから、ないよりは、あったほうがいいはず。

子宮内膜症は腸にもできますからね。


わたしも
1回なった人はなりやすいから、という理由で
こどもを産むなら早めに産んで、授乳が終わり次第ピルを飲んでください
と言われております。


子どもが欲しくてもいらなくても、
子宮と卵巣は大切に。



よろしくお願いします。


おしまい。


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