エッセイ:愛想を振りまけるのは素敵なことだし、そうじゃなくても大丈夫
"どんなときも笑顔"
"相手を少しでも不快にしないように、言葉、立ち振る舞いを常に気を付ける"
そうでないとダメだと思ってきた
みんながみんな、”そうあるべき”だと思っていた
そうでない言動を自分がしてしまった暁には、とんでもなく心にもやがかかる
家族みんなそうなのかと言われたら全くそうでなくて、むしろ母は感情のまま表情や行動に表す人
幼い頃、そういう母の悪気ない言動に傷つき、”怒られないように”びくびくして、多分それが”嫌”だったんだと思う
『いつも笑ってるよね。怒ったりすることあるの??」と言われたことがあるが、その言葉も少しだけちくっと胸が痛くなった
怒ることはもちろんある
それこそ”他人”にはそういう姿見せるのは”失礼”だと思っているからできないだけで、心を許す相手にはちゃんと怒りの感情も見せる
だからこそ一歩外へ出ると”愛想がいいひと”になるのだろう
でも最近、『必要以上に”愛想”を振りまかなくて良いのではないか』と思う
特に、もともと物腰柔らかな雰囲気を持っていると、ひとは近寄りやすい
良いひとも、そうでないひとも
近寄ってきたのが”そうでないひと”であった場合、相手をちゃんと拒否する勇気がないのであれば、誰でもかんでも初めから受け入れることはしなくて良い
そしてその優しさや愛情は、周りの信頼できる大切な人へ向ければいい
傷ついてきた心優しいひとたちが、少しでも救われますように
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