2024年6~7月に観た映画
6月&7月に映画館で観た新作映画の感想。
多少ネタバレ注意。
蛇の道(2024)
監督 黒沢清が1998年に発表した『蛇の道』(以下、オリジナル版と表記)をセルフリメイクした作品。オリジナル版では哀川翔が演じた謎の男にあたる役を今作では柴咲コウが演じ、さらに舞台が日本からフランスへと移ったことでオリジナル版とはまた違った雰囲気を醸し出している。
オリジナル版でも印象に残る、緑が茂る中を二人が寝袋を引きずって運ぶシーンは今回も健在。『蛇の道』のアイコンとも言えるようなシーンだ。
そして、物語の多くを占めるあの監禁場所。自分が監禁する側であってもあまり居たくないような汚れ感、薄気味悪さ。娘が惨殺された概要をテレビを使って映像を見せながら説明するシーン(これが耳を塞ぎたくなるような惨い内容なのに、その説明を何度も何度も繰り返すことで若干ギャグのようになっているのが黒沢清の恐ろしいところ)、地面に這いつくばって犬食いする監禁された男、新しい監禁装置をセットする小夜子、銃を試し撃ちするアルベールの三人の画など、オリジナル版と今作ではほぼ同じシーンがある。もとの面白い部分は残し、よりブラッシュアップされている印象がある。
もとの面白い部分といえば、オリジナル版には観た誰もが忘れられない数学塾が出てくる。おそらく映画に出てくる塾で一番面白いと思う。あとコメットさんという最初から最後まで謎の多いキャラクターの存在。
今作では、オリジナル版のそれらの要素の代役と言ってはなんだが、その奇妙さに匹敵するキャラクターとして西島秀俊演じる吉村という男がいる。黒沢清作品に出ている西島秀俊には、特別な魅力があると思う。あれだけの出演時間にも関わらず、ずっと頭にこびりついてしまう。
なぜ吉村はあの状態に陥ってしまったのか。そして小夜子との対比。
柴咲コウの、まったく光が感じられない黒々とした瞳。監禁される役を楽しそうに演じているマチュー・アマルリック。絶妙な表情の変化で物語のエンディングにさらに暗い闇を落とす青木崇高など、役者陣の魅力だけでも語りは尽きない。
淡々と動くルンバを追うカメラ、Zoomの通話画面で顔を映さず横に立つ小夜子など、監禁場所でない何てことない部屋のシーンでも、油断ならない恐ろしさがある。
そこではただ、血が流れるだけ。血が通った人間らしさは程遠く、どこまでも無機質で、無機物的な黒沢清の世界を堪能することができる一本だ。
チャレンジャーズ
テニスの0=ラブで、ラブゲームからテニスと愛情を絡めた表現はいくつか聞いたことがあるが、ここまで直球の男と女のラブゲームが描かれるとは。
女を取り合う男たち?魔性の女?ファム・ファタル?
単純な表現では追い付かない、めぐりめぐる、絡み合う三人の関係性。
パトリックとアートがチュロスを食べる際には、食べ物を使ったエロティシズムの表現も印象的だ。
男と女のラブゲーム…だけにとどまらず、どんどんクィアな展開にも。
これだけ濃厚な関係性の物語ながら、主演三人の魅力でどこか爽やかな仕上がりになっており、胃もたれせず最後まで観ることができる。
結構時系列が複雑に描かれる作品であるにも関わらず、今がいつ頃のシーンなのかを観客はしっかり理解することができる。髪型の変化はあるが、メイク等で年齢を表現するようなことはあまりしていないので、そこは俳優陣の演技力もあってだろう。
複雑な撮影、VFXが可能な現代だからこそ実現した、これまで見たことのない(言うほど自分はテニス映画を観たことがない)テニスシーンも楽しい。
官能的な恋愛ものであると同時に、しっかりスポ根作品らしさもある。
試合時など劇中の各所で流れるテクノミュージックも、こちらの気分をより盛り上げる。サウンドトラックを手掛けたのは、デヴィッド・フィンチャーの作品などでおなじみトレント・レズナーとアッティカス・ロス。
観客を興奮の絶頂へと誘う、鮮やかかつ勢いのあるラストは、「もう一生やってろ!(褒め言葉)」とこちらも叫びたくなるあっぱれなものだ。
ルックバック
原作は最初に発表されたときに一度読んだきりで、おおまかな話の流れは覚えていても、忘れている部分が結構あった。
自分は修正後の『ルックバック』を読んだことがなかったので、今回初めて触れることができた。
統合失調症患者をはじめとする精神疾患を抱えた者への偏見・誤解を生じかねない表現であったこと(そういった人たちは"困った人"ではなく"困っている人"なのだということは常に忘れずにいたい)、その後さらに再修正が行われ単行本化された内容が、おそらく今回の映画化の脚本になっているのだろう。
映像化されたことで、動く藤野と京本に会えたことの喜びは大きい。
音楽も付いたことでよりエモーショナルに、表現が豊かに。
もちろん、漫画を描くことをテーマにした作品だからこそ、ここは漫画のコマだからこそ良いのにという部分もあるかもしれない。改めて原作漫画も読み返したくなった。
「漫画を描く」という行為の音が、最初は鉛筆やシャープペンシルだったのが、藤野が成人してプロの漫画家になってからはペンタブに描く音になっているのも、時の流れを感じさせると同時にこれが紛れもなく現代の物語であるという描写だ。
原作を読んだ時は全然分からなかったけれど、後半に描かれるifの世界で、現実の悲惨な事件が起こらなかった世界が描かれるところとか、いろいろあった後に藤野が救急車に運ばれてるくだりとか、これタランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』だったんだということに今回ようやく気付いた。
『ワンハリ』と今作が違うのは、決して起きた事件は改変しない。できない。
悲惨な出来事は実際起こる。これまでも、これからも。
そんな世界での僅かな救いを、今作は描いている。
描き続けている人へのエールとして。
ある日突然描くことを、未来を閉ざされてしまった人への鎮魂として、淡々と藤野の背中を映すエンドロール。
監督、キャストよりも先にアニメーターらの名前を最初に表示するのも印象的だ。
ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ
アレクサンダー・ペイン監督最新作。
おそらく今年のアカデミー賞主要部門にノミネートされた作品の中では最後の公開になるであろう今作。
せっかくなので、日本でもホリデーシーズンに公開して欲しかった。またクリスマスが近づく年末頃に再上映して欲しい。
予告からも伝わるが、まず本編を観て驚くのは今作がまるで物語の舞台となる1970年代の映画のようなルックであること。
フィルム撮影のような質感(実際にはデジタル撮影だが、加工してフィルムっぽくしているとのこと。フィルムで撮ったようにしか見えない)。流れる音楽の雰囲気。これ昔の映画をリバイバル上映してるわけじゃないの!?と驚くが、画面に映っているのは今を生きる俳優だ。
自分がもし、1890~2020年代の中で今後ひとつの時代の映画しか観れませんと言われたら(そんなルール聞いたことない)、日本映画は少し迷うものの外国映画は間違いなく1970年代の映画を選ぶと思う。
自分が大好きな頃の作品、のような作品を最新映画でまた観られるなんて。
私たちはなぜ歴史を学ぶのか。
なぜ過去に手を伸ばすのか。
生徒たちから嫌われがちな教師、ポール。彼が歴史の勉強を通して若者に伝えたいこととは。
厳格なポールが実は抱えていた過去、彼のコンプレックスも浮き彫りになる、とある人物との再会のシーンは、なぜか観ているこちらも胸が痛くなる。
この作品に出てくる人たちは、決してみんな完璧じゃない。
善き人でない部分もある。
でも、みんな何かを、寂しさを抱えている。
そんな人たちが出会い交流をかわすことから生まれるものがある。
ビターでスウィートな私たちの人生。
優しくて、可笑しくて、悲しくて、あたたかい。
これだけ目頭が熱くなる人情ものであるにも関わらず、観終わってみればしっかりコメディなのもさすが。
なんてことないホリデーシーズンの思い出は、まるでスノードームの中で舞う雪のように、彼らの中にいつまでもあり続けるだろう。
手を伸ばせば、きっといつだって思い出すことができる。
自分も30代に突入し、どちらかと言えばもうアンガス側でなくポール側だろう。
年長者が若者にとってどうあるべきかも考える作品だった。
プレゼントには自省録を。