器用貧乏

私は小さいころから、水泳、テニス、ゴルフ、バスケットボール、チアダンスなど様々なスポーツを経験してきた。

長く続いたもので4年ほど。

短いと2年ほどで離れてしまう。

両親は何でもやらせてくれる理解のある恵まれた環境だったため、同時並行でいろんなものを経験していた。

水泳は、もともとやりたいと言っていたものの、近くに教室がなかったために、小学3年になってから始めた。やりたかったこともあり、上達も早く、すぐに泳げるようになったし、楽しかった。
しかし、メドレーはしたくないとか、授業時間が長くなったこともあり、6年生の頃には辞めていた。

テニスは、一番つらかったスポーツだ。
友達に誘われたものの、体験の時点で面白くなかった私は「入りたくない」と訴えたものの、友人が入るんだからという理由で強制入会。
友達は楽しいと思っているから上達するが、私はいつまで経っても上達せず、友人と仲が悪くなる上、クラブの他の友達と全く合わず、そのまま辞めた。大会に出るものの、嫌すぎて棒立ちしたり、サーブはいらなくて試合にならなかったり、黒歴史化している。

ゴルフは、父の影響で始めた。
毎週のように女子ゴルフの試合を見に行っていた私は、父と一緒に打ちっぱなしに行くことが増えた。そこで父がコーチから習っている横にいたら、たまたま子供用のアイアンとドライバーをもらい、ちゃっかり教えてもらっていた。
最終的に9ホール回ったり、選手に教えてもらう機会もあったりして、楽しかった記憶がある。

バスケは友達の勧めで始め、中学校ではバスケ部に入った。
6年生だった私は、運動が抜群にできる子、習っている子しか楽しめないバスケが嫌いで、友達に誘われたものの習い事にする気は全くなかった。
しかしこれも友達からの押し負けで、ほぼ強制加入。ここはコーチが厳しいチームで、手を抜くこともできず。ちゃんとやっていたらそのうち上手くなり出し、身長が高いことも幸いして楽しめるようになった。
中学校では、同じチームだった子たちがレギュラーになっていたが、最後の大会でスタメンになる!と決めた目標を達成。抜群にシュートが入るわけではなかったが、頭を使って予測し動くこと、監督の指示を理解して動くことを大切にしていたら、いつの間にかスタメンになれた。

高校ではチアダンスを始めた。ダンスは未経験で苦手だと思っていたが、部活に入る選択肢しかなかったクラス(特殊)だったために、チアを選択。笑顔や踊りで人を元気にするスポーツのチアは、他のスポーツとは違う楽しさがあって、経験できてよかったスポーツだ。
これは、監督不在、完全に自分たち主導のチームで、自分たちで作品を作り上げる難しさと楽しさが混じった、小さな社会のような生活で、部活をするには勉強や校則を部員に守ってもらい、顧問の信頼を得て大会に出る手続きをしてもらって、部活の時間延長をお願いしたり、、、と本当にいい経験ができたと思っている。

結果、私は器用貧乏になった。
突出して何かができるわけではない。
でも、やらせればそこそこの成績は残せる。

今まではそこが自分の嫌なところだった。

でも、過去の経験を十分に生かして課題を解決できる力を持った、経験豊富な人と前向きにとらえている。

いろんなスポーツを経験できたからこそ、この時はこう解決したな、こうするとうまくいくな、という経験をたくさん積んできた。

私の強みはそこにあると確信している。

#私のスポーツ遍歴

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