大事な友人の大事な私

私は大事な友人がいる。
その子に何か悪いことをする人がいたり、良くない出来事が起こったりするたび、私は感情を表に出して「私の大事な友人になんてことを!」と言い始める。

しかし、私はこの人生の中で「自分になにかされた場合に怒ったことがない」のである。

約束を破られようと、自分勝手に別れを切り出されようと、私を否定する言葉を浴びせ続けられようと、どんな時も「私が〇〇しちゃったから」「私もこんなこと言っちゃったし」なんて理由をつけては、許していた。

そんな話をすると、私の大事な友人はみな「なんで許しちゃったの」「あなたは悪くないよ」と言ってくれる。

しかし、この「怒らない」というのは時に良い方向へと働く。

雑務のような頼まれごとをしたり、誰かの代わりにシフトに出たり、みんながやりたくないようなことも「喜んで!」と引き受けてしまう。

私は本当に「喜んで!」と心の底から思っている。

それをしたことで誰かが喜んでくれたり、気持ちよく生活してくれたら、私はそれが一番うれしい。
本当に、心からそう思っている。

だが、これの悪いところは、私を利用してくる人が現れることだ。

しかし本当に喜ばしいことなのだが、友人には自分を大事にして!と言ってくれる人はいるが、利用してくるタイプの悪い人はいない。
人に恵まれているのだ。

仕事をする人の中に、利用してくる人が完全にいないわけではない。
ただ、仕事をする人の中に必ず「それはまずいのでは」と言ってくれる人がいる。
大学時代にも、今の職場にも。

しかし、私の友人に1人、私をいいように使ってくる人が現れた。

さすがに「利用されている」と気づいた私は、その出来事を別の友人に話すと、「連絡の頻度を変えてみたら?」というアドバイスをもらい、実行した。

まず、そもそも返事を返すのがストレスだったため、返せそうなものにだけ返事をしました。
ちなみに当時の一日の連絡回数は、10件以上で、私に同意を求めたかと思えば、私から意見をもらおうとみせかけて私の出した意見を真っ向から否定。感謝や思いやりなど無く、つぶやきに近い内容でした。
そもそも返事には向かない内容です。

すると、その相手は「既読つけて返しやしねーな」と言っていきました。
とんでもない言葉です。

一晩考えた後、ぶち切れた旨の連絡をすごく大人にしたところ、「おーおーやってんな」と、まるで私が勝手に怒っているかのような返事をしてきました。とんでもない無礼ですね。本当に私に意見や思いはどうでもいいんだなと心から実感しました。

そこから、私は自分のことを一切話さなくなりました。
もう半年ほどたちますが、何の違和感もないし興味もないのでしょう。
私自身のことを聞かれる機会がありません。

(丁寧に書いていますが、私が怒っているのが伝わりますね笑)

それでいいと思っています。
私の話をしても、途中で遮って話を最後まで聞いてもらった記憶はほとんどありません。

逆に、その人の話は最後まで聞きます。気が済むまで。
その方が気が楽です。あいづちを打っていれば、勝手に話していますから。

と、まあこんな感じで私のことを適当に扱い、それを正当化してくる(気心知れている仲だから、何をしても大丈夫、と言っていました)に時間を割くのをやめました。

それは、大事な友人の大事な私を大事にしなくては、と思ったからです。

友人を大事にするのと同じくらい、私は私を大事にする必要があると思いました。

最近は、自分にお金や時間をかけてあげることから始めました。

これを読んだ方も、大事にされている自分を大事にできますように。

#あの選択をしたから

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?