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わたしたちの革命~手に入れたのは「自由」か「狂気」か~
2018年は、わたしにとって革命イヤーだった。
というのも、今年は4月~7月末にかけて、東京・大阪・博多の3都市でミュージカル「1789~バスティーユの恋人たち」、9月~来年1月半ばにかけて、博多・東京・名古屋・大阪でミュージカル「マリー・アントワネット」という、2つのフランス革命を題材にした作品が上演されたから、ミュージカルが大好きなわたしにとっては今年は革命イヤーなのである。
(余談だけど、2作品の間に偉大なる音楽家であるモーツァルトの生涯を描いたミュージカル「モーツァルト!」も上演されていた。あれでも、フランス革命に触発されて市民のためのオペラを描くモーツァルトの姿が描かれており、同時代の作品である。)
2つの側面から見た「フランス革命」
わたしは1789という作品が大好きなのは、以前もnoteで書いたからご存知の方もいるかもしれない。
1789は「革命する側」の視点から見たフランス革命の物語であり、農民の青年が父を殺されたことをきっかけにパリでフランス革命に身を投じていく話だが、史実的には1788年~1789年のたった1年間の出来事であり、圧政に苦しめられた貧しい者たちが勇気と希望を胸に立ち上がり、バスティーユ牢獄を襲撃するまでの内容である。
彼らは苦しみ、苦しんだ末に武器を手に取り、「他人を害さない限り何をしてもいい」という自由を求めて革命を巻き起こしていく。
彼らの想いや熱量にわたしたちは喝采を送り続けて涙した。
それが7月末までのことだ。
その後、少し時をあけて、9月に「マリーアントワネット」が開幕した。
マリーアントワネットは、文字通りフランス革命の末にギロチンで処刑された、「パンがなければケーキを食べればいいじゃない!」の台詞が一人歩きしている当時のフランス王妃であった彼女と、偶然にも彼女と同じイニシャル"M・A"を持ち、貧しい暮らしの末にフランス革命に身を投じていく少女マルグリット・アルノーという、2人のMAを中心とした内容で、フランス革命が始まる前の1784年頃から処刑される1793年までを描いたミュージカルだ。
この作品で、マルグリットや革命家達は王家や貴族を憎み、革命へと突き進んでいく。
1789が大好きだったわたしは、マリーアントワネットを観劇して、胸の奥をギュウギュウと締め付けられる思いがした。
1789で革命家達の側から観た革命は、希望に満ちて輝いていた。
それに対して、革命の渦に飲まれ、最期には処刑される王家や貴族の側から観た革命は、狂気を孕んでいたからだ。
手に入れたのは「自由」か、それとも「狂気」か。
どちらの作品においても、革命家たちはそれぞれ自分の同志たちを「兄弟」と呼んだ。
共に同じ方向を向く同志を「兄弟」と呼ぶのはよくあることだと思う。
ただ、二つの作品の兄弟はまるで違った。
明日のフランスを救うことを夢見て、手を取り合って戦う1789における「兄弟」と、私利私欲でヴェルサイユに行進し、処刑や暴動を見て興奮し猛り狂う民衆たちの言うマリーアントワネットでの「兄弟」。
同じフランス革命を生きる民衆たちの言う「兄弟」の差にわたしはショックを受けた。
史実として、決して美しいとは言えないエピソードがフランス革命に多く残されていたのは当然知っていた。
九月虐殺、王太子ルイ・シャルルの末路、ロベスピエールが突き進んだ恐怖政治。
でも、わたしは1789を観ながら、その史実たちに蓋をした。
バスティーユ襲撃時には、1789のメインキャラクターであったロベスピエールはまだいち革命家であり、恐怖政治とは無関係だった。仲間の死を悼みつつ為されるラストの人権宣言のシーンで彼の瞳の奥に燃える狂気の炎を見て、これから彼が突き進む道を思っては一種の興奮すら感じていた。
その、わたしたちが蓋をしていたこと全てがマリーアントワネットでは降りかかってきた。
主人公であるマリーや子供たちに最後まで寄り添い続けた優しいランバル夫人は、九月虐殺で殺された。
史実によれば、彼女はそれは無残な殺され方で、さらに一説には民衆たちが首を掲げてタンプル塔へ幽閉された国王一家へと見せつけられたらしい。
「革命万歳!我らは兄弟!」と狂気的に叫ぶ民衆たちを見ながら、わたしはポロポロと涙を流した。舞台上ではランバル夫人の着ていた血塗れのドレスを掲げて、民衆たちが行進していた。ふざけて、首を切り落とす寸劇をしていた。「クソ女が1人死んだぞ!」と誰かが叫んだ。
ランバル夫人はずっと、劇中誰よりも優しかったのに。
九月虐殺を引き起こすきっかけとなったのは、ジョルジュ・ダントンの演説だった。
ダントンは1789では頼れる優しい兄貴分!のような存在で、熱くていい奴で、わたしは1789でダントンのことが大好きだった。
彼らは革命を引き起こした。
彼らは自由のために戦った。
きっと当然、人を傷付けただろう、殺したのだろう。
でも、1789を観てそのことに蓋をし続けたわたしには、繰り広げられた光景が地獄のようだった。
その後、フランスはロベスピエールの下恐怖政治へと突き進んでいく。
彼らが革命で手にしたのは、求めたのは、本当に自由だったのだろうかと考えずにはいられない。
最後に
革命なんてわたしの人生にも毎日にも関係ない、そんなふうに思ってわたしは毎日を生きている。
実際、身近で革命が起きた!なんてこと、きっとなかなかないと思う。
でも、あの何か感情が狂気的に蠢いていく感じは、どこか既視感があるような気がした。
SNSでの炎上とか芸能人のゴシップを異様に叩く姿とか、普通にやっているけど、どこか奇妙で狂気的だ。
あれを見るにつけ、わたし達はマリーアントワネットに出てきた民衆になる可能性が常に隣にあるんだなというのを肝に銘じて生きたいなと思っている。
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