本気で二重になりたいと思っていたら二重になってしまった話
私は子供のとき、二重まぶたになりたくて仕方なかった。両親が二重なのになんで私だけ……と落ち込み、ティーン誌に書いてあった二重になるマッサージを毎日やり続けたが、効果は出なかった。
どれくらいなりたかったというと、当時好きだった真木よう子の顔を毎日想像しては「この顔に絶対なりたい」と願い、真木よう子の顔になったつもりで生活していた。
当時は太っていたので、肉がたっぷりついたまん丸の顔に瓶底メガネだった。瓶底メガネは目がとても小さく見えるため、二重になることは大きな悲願だった。真木よう子から遠くかけ離れた、太ったもたいまさこ(もたいまさこさんのファンの人ごめんなさい)のような中学生は、毎日マッサージをしてから寝て、学校では真木よう子の顔を思い浮かべてニヤニヤして、1人も友達がいない日々を送っていた。
だが、その努力が突然報われる。
高校進学と同時に眼鏡からハードコンタクトに変えたのだが、コンタクトレンズを入れるために力いっぱいまぶたを持ち上げると、まぶたがくるんっと持ち上がり、そのまま二重まぶたになったのだ。
このことを母に話すと、実は母もそういう経緯で二重まぶたになったと話していた。家族総出で喜んでくれたが、過去の私を知る人間たちは許さなかった。
通学のバスで乗り合わせる中学の同級生、特に女子から「どうやって二重まぶたになったの?」と聞かれて「コンタクトレンズにしたら二重になったよ!」と正直に答えたのに、誰も信じなかった。
そのうち「整形した」「アイプチしてるくせに嘘ついてる」などと噂を流され、それは私が通う高校にも届いてしまった。(田舎の監視社会あるある)
同じ中学から進学した人が私の卒アルを学校へ持ち込み、瞬く間に拡散された。SNSでなのか、人づてなのかは分からないが、とにかく私は「整形女」という扱いになった。ちなみに可愛いのは目元だけだったので「整形失敗」と3年間言われ続けた。それ以外にも様々なトラブルが重なって私は心を病んだが、これはまた別の話。
大学に進学して以降は二重まぶたに誇りを持って生きている。普段の生活では特に言われないが、仲良くなった友人からは「二重めっちゃ綺麗!」も褒めて貰えた。いたたまれなくなって二重になった経緯を話すと、「私の知り合いにもそういう人いるよ!」とすんなり受け入れて貰えた。
世界の広さにこの時ほど感謝したことはない。それだけでなく不仲の両親が遠方の大学に通うのを許してくれたことにも感謝が溢れた。
私の人生のつまずきは全て二重まぶたのせいで始まった気もするけど、このまぶたのおかげで経験出来たこともたくさんある。
そういうこともこれから書いていきたい。