蒼穹のファフナー THE BEYOND 7、8、9話 感想(前半)

千鶴の死

前回の6話、衝撃のラストから史彦さんがとにかく……とにかく心配だったわけですが……!!
水も滴る良いおじさまな史彦さんが、グッと堪えるような目で千鶴さんが消えた場所を見つめているのが、もう胸に込み上げるものがあって、しょっぱなから泣いていました……。

わかっちゃいたけどやっぱりツライ。

真矢ちゃんが現場に到着して、母の死を知った瞬間の目の揺らぎとか、その後に絞り出すような細い声で泣き出すのが、BEYONDでは変性意識のように常に冷静で気丈であり続けた彼女の、剥き出しの「悲しみ」が痛いほど肌に伝わってきて、視聴者の心が開始10分足らずでもう無理でしたね。
さすがファフナー 。
それを先に「母親を亡ったことのある美羽」がそっと包み込むように抱きしめて一緒に泣いているのがね……もうね……。
それを傍で見ている史彦は「身を挺して庇われて死なれる」という同じ展開で、愛した人を2度も亡ってしまっているわけです。
「自分が死んだら良かったのに」とどんなにか思ったことでしょう……。
それでも、史彦はそれを口に出せない立ち位置なのが、またとんでもなくツライですね。
今まで何人にも赤紙を渡し、犠牲を払ってきたのに、自分だけが感情のまま嘆くことは許されないですから。

総士とべノン

親友だったマリスに猛攻を仕掛ける総士が駆るのは、ザルヴァートル・モデル。
さすがにタジタジなマリスが、セレノアに頼んで「クロッシング攻撃」なるものを仕掛けたわけですけど、この「クロッシング攻撃」攻撃パターンが決まってきていたファフナーに「ものすごく良い意味でのスパイスを追加してるな!」と思って、めちゃくちゃ面白かったです!


「ナルトの螺旋丸もかっこいいけど、やっぱりサスケの幻術の戦いもクールで良いよね」みたいな。


今までの精神攻撃の一つだった「同化」も、どちらかと言うと「身体の苦しみ」で表現されていたように感じたから、今回のような「心を奪う」攻撃っていうのは、よりそのキャラクターの強さや脆さの深みが増したような気がして「こういうの好きですね」って頷いて見てしまいました。


セレノアが「やめなさい!」とまるで母親のように叱咤して、クロッシング攻撃を仕掛けるところや、「(総士は)帰ってくるさ!」と一騎に反抗してみせたレガートたちなど、二人は、まだ総士を「家族」として大切に思っているように感じて、敵だけど、どうしても嫌いになれないキャラクターだなぁ、と改めて考えさせられました。


どうか、せっかく感情を持ち始めてくれた彼らを、ただただ消すだけの結末にならないことを祈ります。

一騎とマーク・アレス

これはもう、本当に先に言わせて欲しいんですけど

「マーク・アレスかっこい〜〜〜〜!!!!!」

ってことなんですよ!!!!
一騎くんがもう、バチクソにかっこいいのは勿論なんですけど、民族音楽チックな、打楽器がドンドド言う音楽と相まって「神話感」がすごいのなんの。
早速「アレス」の意味も検索したのですが、どうやらギリシャ神話の「殺戮と戦いの神」のことのようですね。
確かに今の一騎くんは、戦闘時以外は活躍することが少ないですし「戦いの名前を冠する器」になるのは大納得。
そして、マーク・アレスに変容する、凄まじいエネルギーを感じさせる、あのシーン。
EXOで見た、かの有名な「英雄二人」の大立ち回りが「バブちゃんだったんじゃないか?」っていうレベルで、いっそ凄惨なほどの圧倒的パワー演出には、正直鳥肌が立ちました……!
そりゃあ、レガートだってお口もあんぐり開けるはずだし、セレノアだってついつい「……化け物!」って叫ぶに決まっていますよ。
ミールとのつながりが強いとはいえ、絶対的な力の差を、一騎くんに見せつけられたわけですから。


ちなみにこのシーンを見ている時の私は、ほぼレガートと同じ顔をしていたし、何なら隣の人もたぶん同じ顔してましたね。


「凄い!」と「すごーい!」と「スゴイ……」に「強いよ!」を足して2乗掛けたんか?っていう、迫力のシーンでした!!!
ここまで圧巻の映像を作ってしまって、今後のファフナーどうなるんだ……って不安になるくらいです。
一生語り草になりそう。
まさに神話を目撃したような心地でした。


そして、新登場となったマーク・アレスですが、見た瞬間感じたのは「マーク・ゼクスみたいだ」ってことだったんです。
どこか、ドラゴン(爬虫類)に似たマーク・ニヒトとは違って、曲線のある鳥の翼のような同化ケーブルを背負うアレスは、翔子の乗ったマーク・ゼクスの面影をどこかに感じさせられて「ああ。一騎くんの中には、いなくなった人たちが、まだこんなにも強く残っているんだ」と喉に何か詰まったような切ない気持ちにさせられました。
暉への声掛けもそうでしたね。
機体に翼を付ける意味が、見る人によって色々な解釈が出来る「かっこいい」の一言に尽きるファフナーです。


少し気になったのは、ルガーランスが両腕に取り付けられた状態だったことで「あまりにも使用するから持つの面倒だし、もう腕に付けちゃえ!」って感じが効率的な考えだな〜と思って面白かったです。


それにしても機体を変容させるなんて、ミールの力とはいえ、一体どういう仕組みなんですかね????

総士と親の味

温度計を鍋に挿したりして、レシピメモもビチビチに書いてるし、不器用ながらも料理して、二人を元気付けようとする総士が、本当に可愛かったですね。
「総士って別に料理下手じゃないんだよな」って少し意外に思うシーンでもありました。
一騎くんが料理上手をアピールされているキャラクターなので、バランス的に総士は料理ヘタクソでも良いんじゃないかとも思うんですが、手先は別に不器用じゃないんですね。
ただ「いいさ、明るい食卓だ。嬉しいよ」のセリフには実直さが溢れていて、皆城総士らしい不器用さも垣間見れました。


このシーンで気になったのは「セレノアも、美羽の記憶を元に作られた母親だったから、自分がこれまで食べてきた彼女の料理も、千鶴の味と同じだった」的に説明していた総士のセリフ。
アレンジは加えられていたかもしれませんが、一騎の料理も元々は遠見家、ひいては千鶴から教えてもらったものです。
総士にとっては二重の意味で、千鶴の味は「親の味」なのかもしれません。
いつか総士がそのことに気付くことが出来れば「自分の帰るべき場所」もどこなのか解るのでしょうか……。
操を迎える容子や、甲洋に尻尾を振るショコラを見て「僕には(おかえりって)誰も言ってくれない」と嘆いていた総士に「おかえり」を言ってくれる相手が一騎であるはずだったのだと、考えずにはいられませんでした。

大人達

自分が「いなくなる」未来を見たはずの操が、無事に帰ってきたことに、まずは心底ほっとした、出迎えのシーン。
一度は操を拒絶した容子さんも、彼を温かく迎えてくれて、二人の絆もより強いものになったんだな、と嬉しい涙が出そうでした。
ファフナーの魅力の一つに「丁寧に描かれる大人達の心情」があると思うのですが、容子さんの前回の反応は、これから死ぬかもしれない相手に対しては、とても刺々しく「年齢は大人でも、心まで常に大人ではいられない」生々しい人間性が見れて、活躍するパイロット(子供)たちだけの物語ではない、島に住む全員のドラマなのだと感慨深くなりました。
思えばファフナーは常にそうで「子供達同士」「大人達同士」の世界で区切られていない関係性が本当に素晴らしいですね。
「子供と大人同士」にも、きちんと関係があって、また子供達は自分も大人になっていくことで、今まで解りにくかっただろう、いわゆる「大人の事情」や「政治的な理由で自己を抑制する」ことや「立場」を自身にも落とし込んで、理解していくわけです。
こういう「成熟」と「幼さ」の関係性でも相互理解がある。
ファフナーってすごい。


私も16歳の時は「20歳になったら自分もものすごく大人になってるんだろう」と考えていましたが、実際には全然そんなことはなく、ただ年と共に積んでいった経験で、色々な物事に対処するのが上手くなるだけのことだったのです。
自分がどんなことで喜んだり、傷付いたりするのかという「心」は全く成長していません。


感情に折り合いを付けることが出来るか出来ないかは、大人か子供かというところは、あまり関係ないのでしょう。
容子さんの拒絶と後悔、そして操を受け入れたことは、まさに「人間」そのものを見せられた、グッとくるシーンでしたね。
こういう、大人キャラクターのリアルでゆっくりとした成長と変化は、他のアニメでは見られない、稀有な描写かもしれません。


真矢と史彦のシーンもそうでした。
立場上、千鶴の死について感情的になれなかった史彦が、真矢の言葉で涙を流します。
息子の一騎くんが、隣にいるのにです。
父親ってやっぱり息子の前では弱みを見せたがらないじゃないですか。
それを出すってところが、本当に丁寧に描かれてるなあ、と思うわけです。
最愛の人を亡ったから、かつての子供達が自分と同じ大人になったから、という理由もあったのかもしれませんが、史彦の感情の吐露も、また心を震わせるような切ないシーンです。
直後のマリスとの会話で、復讐を煽るマリスに対して、きっぱりと「復讐では戦わない」と言い放っているのが、このシーンを強調しているように思えました。
本当に司令官に相応しい出来た人物……。

かっこいい……!

マリス・エクセルシアという人間

史彦の宣言について、マリスは気に入らないようでしたが、それは「自分がそんな出来た人間ではない」ことに対する劣等感なのかもしれないな、とも思いました。
ルヴィの「裏切り者ですらない」という言葉通りに、堕ちるところまで堕ちてしまったキャラクターなのかもしれません。
前回までは少し謎めいた描かれ方をされていただけに、掘り下げられると「あれ?マリスって確かに可哀想だし、こんなことした気持ちもわかるけど、もっと自分を強く持っていれば、希望のある道も進めたはずなのにな」と思いました。
結局、マリスは総士のライバルであって、ラスボスではないので、信念よりも欲や感情で立ちはだかる最初の壁の役割なのかもしれません。
「誰かが生きるために犠牲になるのはおかしい」って「自分は他のエスペラントやファフナーパイロット達みたいに、他の誰かを生かすために戦って死にたくない」ってことですよね。
勿論、そういう考えの人がいないと変だし、そういう考え方をするのは人間の当たり前です。
かつての総士が、翔子のことで「自己決定だとしても、一度自爆を許すと、今度は他人から自爆を強要されるようになる」と恐れていたように、自分が本当はどう思っているかに関わらず、他のために自己犠牲を強要されるなんて恐ろしいことです。
みんながみんな、カノンみたいに強くはありません。
何より、マリスは大行路で両親を亡くしているし、その両親が亡くなったことで、助かった誰かがいたのかもしれません。
あるいは、そう感じているのかも。
犠牲になった大切な人のせいで、心に傷を負い、新たに犠牲になってしまった人なのかもしれない。
でもだからって「自分を犠牲にしそうな奴らは消してしまえ!」と敵に阿るのは、正しかったのかな。
ただ、島民はコミュニティの規模的に関係性が強くてお互い大切だから、自然と自己犠牲してしまいがち。
行き過ぎた自己犠牲は、美徳でも何でもないという考えのキャラクターなのかな。
ある意味では海神島が、マリスのように自分が一番大事っていう人が、きちんと自己決定出来る環境が整っていなかったってことなのかもしれませんね。
優秀なエスペラントだったせいもあるかな、きっと。
マリスはマリスで、自分が誰かのために死ぬのは嫌だし、自己犠牲してる人も、それで残された人を見るのも嫌なんだろうな、と考えてしまいました。
だからこそ「何人犠牲になったの?」と揶揄うように言ったのだとしたら、マリスもまた、救われて欲しいキャラクターの一人です。


後半に続きます。

一騎や総士、戦闘シーンについても詳しく。

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