「オーバーテイク!」感想・考察~運と応援のヒューマンドラマ~
初めに
「オーバーテイク!」がアマゾンプライム入会特典になっていたので一気見しました。
正直面白すぎて3周しましたし、テレビでリアタイしてXで騒げなかったのが悔しいです。(販売終了したグッズもありましたし)
時期を遅れてハマると辛いですね。
最終話の余韻に浸っているうちに、この感動を言語化したいと思って感想や考察を書こうと思いました。
全て私の主観です。もし共感していただいたなら幸いです。
感想
クルマオタに勧められて見たら、主人公(眞賀孝哉)はモータースポーツ関係者ではなくて驚きました。
しかし、あえて主人公を非関係者にすることでモータースポーツファンでない人も親しみやすくなっていると思います。
例えば、眞賀孝哉がスリップストリームなどを小牧太に質問することでモータースポーツファンでない人への解説になっていただろうかと。音がリアル、CGが綺麗!
私自身、鈴鹿に通うようなモータースポーツファンなのですが、あまりの音のリアルさにサーキットで観戦したときのことを鮮明に思い出しました。あとでYouTubeを見ていたら実際のレーシングカートを使って収音をしていたそうですね。このように公式様のアニメ制作に対する熱意、本気度が伺えて大変頼もしかったです。程よい日常回
マラソン回など、程よくF4以外の話を進め、人物の深堀りをすることで最終話の感動を大きく感じられました。
日常回はいらないなんて言っている方を見かけましたが、レースだけみたいのであれば本物のF4だけを見ていればいいんです。アニメですから、フィクションのヒューマンドラマを楽しみたくて見る人向けです。涙の理由の変化
最初の写真では悔し涙で、最後の写真は嬉し涙でしたよね。
私も号泣しました。どのキャラクターも深い人物像
春永早月も正直に言って最初は嫌味なチャラ男という印象でしたが(すみません)、彼の描写が増えていくうちに早月なりの苦悩、裏でしている努力などを感じられ、最終的には全キャラ好きになりました。
考察
運の無慈悲さ
浅雛悠の場合
お父さんが雨のレースで亡くなってしまいましたが、これもまた運が悪かったということになっています。
ですが周りの人は、事故死は自分のせいではないかなどと自分を責めてしまいます。
浅雛悠がお父さんが亡くなったのを自分が応援し続け、プレッシャーにしてしまったからだと思い込んでしまいました。
それがきっかけで、1話で「応援なんていらない」なんて言ったのでしょうか?春永早月の場合
春永早月は幸運になるために、いつも笑顔でいました。
ですが、雨のレースで不運の事故をしてしまいます。
これは「運」は人の努力や行動によって決まらない(つまり笑顔であってもそうでなくても運は変わらない)ということを私たちに突きつけているようで辛かったです。
そのあとに続いた、ニキ・ラウダの話では彼は不運でしたがその不運を努力で乗り越え、復帰を果たしましたね。
この話では、運はみな平等だが、努力で不運は乗り越えられるということを暗示しているように思います。
結果として、春永早月は努力をして復帰を果たし、2位となりました。
応援の重要性
チーム以外から応援されていなかった小牧モータースが様々な人に応援され、優勝するのはかなり心に刺さりました。
町の人たち
スポンサーを集めるときに町のいろいろなお店を回りましたね。
そこで最初こそは金銭的支援をしてもらえなかったが、
おすそわけをもらったり、温かい言葉をかけられたり、お金以外の「応援」をされました。
ここで私は応援はお金だけではないということに気づかされました。
頑張ってねと言ってくれる近所の人もスポンサーなのです。
お店の人たちの見返りを求めない(浅雛悠はお父さんにもう一度表彰台にあげてもらおうという見返りを期待して応援していました)、純粋な「応援」をされ、浅雛悠は応援は無価値なものではないと感じたのではないでしょうか。
終わりに
ハマるタイミングこそ遅れてしまいましたが、本当にこの作品に出会えてよかったです。
こんなにもクオリティが高く、感動できる素晴らしい作品なのでもっともっと皆さんに知っていただきたいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。