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2025

根拠はないけれど、「わかる」ということがある。
今までの知識や経験のなかで蓄積されてきたものが、言語化したり理論立てたりする前に反射的に反応する感じ。

年末に本屋に寄った時に数冊本を買った。興味のある内容の本と、今私にこの本が必要な気がすると手に取った本。前者は能動的に探して見つけたのだけど、後者は目が離せなくなる感じがあって中身も見ずに買った。年明けからその本を読み出した。対談本なのだけど、「働く」ということについて第1章で話していた。

昨年の後半「働く」とか「仕事」について悩んで、うまくいかなくて、疲弊して、モヤモヤしたまま一年を終えた。そんな私をゆるめて、締め直してくれるような内容の本で、この本を選んだ時に必要だと「わかった」んだろうなと。スピリチュアルな話ではなく。この「わかる」は、私が今まで蓄積してきた「何か」であることは確かなんだ。ということを考えることからスタートした今年。

いつだって「わかる」ような気がしていて、気の向くままにやって来た。
来るもの拒まず、去るもの追わず。流されるまま。
それも悪くないし、時には直感も大事にしていきたい。だけど、それだけじゃうまくいかないこともあると思い知らされたのが昨年後半戦だった。
流れに抗ったり、自分で手繰り寄せたり、多少なりとも運命をコントロールする気持ちも必要なのかも。
そのために本を読んだり、勉強したり、外に出て人に会ったりした方がいいのかなと考えていて、まずは頑張るための体力作りかな。そうやっていろいろ蓄積して、根拠のはっきりとした「わかる」も増やしたい。

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