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内田 智也/内田農場

法人名/農園名:農業生産法人 有限会社 内田農場
農園所在地:熊本県阿蘇市
就農年数:16年
生産品目:米(コシヒカリ、ひとめぼれ、ヒノヒカリ、あきだわら、にこまる、森のくまさん、北陸193号、雪の華、たちはるか、ミルキークイーン、みつひかり、五百万石)と大豆「クロダマル」
HP:https://www.aso-uchidafarm.jp/

no.172

米作りを通じて阿蘇の風土を表現したい。災害に負けず、求められる米を作る

■プロフィール

 創業者である父、孝昭さんが高校時代に立ち上げた養豚と稲作の複合経営からスタートした農場の2代目。高校時代から地元を離れ、東京農業大学に進学。就職を考えたこともあったが、卒業式の翌日にダンプで迎えに来た父親に連れられて、熊本へ帰郷。

 2012年7月には九州北部を中心に発生した記録的な豪雨で、広い範囲で水害に遭う。30歳になった2014年、経営権を継承。2016年4月には、2度にわたる熊本地震の被害によって、その年の作付を諦めかけたが、「米を育てられなければ、収入がゼロになってしまう」と奮い立ち、ボランティアやさまざまな企業などの支援を受けて、収穫に漕ぎつけた。

 父の夢である地元の米を使った地酒作りを実現しようと、酒蔵に泊まり込んで仕込みに参加した経験から、「美味い米ではなく、日本一、使う人から必要とされる米」の追求をモットーとしている。

 酒の醸造用の「五百万石」を中心に、主食用、餅用、加工用、米粉用など取引先のニーズに合わせて8品種を受注生産することで、経営の安定化を実現。従業員5人で水田55haと、作業受託分の60haを効率よく作業するために、大型農機具やスマート農業技術を積極的に取り入れている。

 熊本地震や豪雨災害を機に、100年先も続く農業を作ることを目指して、県内の青年農家と一緒に「AGRi WARRiORS kumamoto」を立ち上げ、その代表を務めるほか、日本農業法人協会、熊本県農業法人協会、熊本県農業経営者交流会、熊本県農業経営同友会、阿蘇市認定農業者の会などに参加。「ごはん_ソムリエ」として、水稲農家のコンサルティングなども行う。令和2年度 全国優良経営体表彰(販売革新部門)農林水産大臣賞を受賞。

■農業を職業にした理由

 阿蘇のカルデラ地帯は、養分が少ない火山灰土壌が広がるうえ、雨が多く、穀物生産には厳しい条件ということもあって、1991年の豪雨水害をきっかけに、離農や稲作の作業委託が増加。

 当初は、養豚と稲作の複合経営をしていた先代が、1995年に法人化をして作業委託をメインにした稲作専業農家に転換。そんな父の姿を見て育ったため、子供の頃から「いつかはあとを継ぐのだろう」と思っていたが、高校時代は地元を離れて、東京農業大学に進学。

 親子で農業することを夢見ていた父親によって卒業式の翌日に連れ戻されて帰郷したが、地元には友人・知人が少なく、当初は寂しい思いもあった。

 しかし、生産部会に参加したり、異業種と交流したり、酒米を納めている酒蔵で日本酒の仕込みを自ら学ぶうちに、作った米がどこで誰に食べてもらっているのか見えるようになったことで、「日本一、使い手から喜ばれる米、欲しがられる米を作ろう」と考えるようになる。

 2012年、熊本県を再び水害が襲った2年後(2014年)、65歳を迎えた父が突然「代表変わるぞ」と宣言し、30歳で事業を承継。

 2016年4月に発生した熊本地震では、水田が地割れしたり、用水路が使えなくなったりと、作付が絶望的な状況に陥る。周囲からは「地域で足並みを揃えて、国の支援を待つべきだ」と諌められたが、「何がなんでも米を作る」の一心で、死に物狂いで収穫に漕ぎつけた。

 「米作りを通じて、阿蘇の風土を表現したい。自分が作る米は阿蘇そのものなんだ」という思いを胸に、地域に根ざした農地・農業の受け皿になることを目指して、次世代にわたって経営をつないでいくことが目標だ。

■農業の魅力とは

 就農当時は、収穫量の9割をJAに出荷していたので、販路を開拓しようと焼肉屋に営業をかけた時、商談相手から「柔らかくて甘い米だが、タレをつけた肉を乗せて食べるには、硬めがいい」と断られたことがきっかけで、顧客のニーズに合わせた米作りの重要性に気づきました。

 一般的に「ブレンド米」にはあまり良いイメージが持たれていませんが、私はコーヒーやウイスキーと同じで、数種類を配合することで食材や料理との相性が良くなると思っています。

 そういった考えのもと、一時は大手牛丼チェーン用やカレー用、炒飯用、甘酒用、味噌用、醤油用など、15品種ほど生産していた時期もありました。現在は精米の手間を考えて、酒米を中心に絞ってはいますが、多くの品種を作ることはリスクの分散にもなりますし、米の取引価格が下がるなか、取引先からは「使いたい米は足りていない」と言われています。

 さまざまな米を作るようになったのは、蔵元で仕込みに参加したことがきっかけです。日本酒には純米酒から本醸造、大吟醸など、飲み手やシチュエーション、料理に応じてさまざまなラインナップがあります。

 それに合わせて品種や精米歩合、酵母などのレシピを考えていく「酒質設計」から携わらせていただいていますから、仕込みの時期は「今、ウチの米が●号のタンクに入っている」とLINEで連絡が届きますので、否応なく、モチベーションが上がり、思い入れも強くなります。

 福岡県の「杜の蔵」さんで作っていただいている純米吟醸酒「うち田」をはじめ、今では九州各地や山形県の酒造メーカー十数軒で私たちが作った酒米が使われるようになりました。

 酒米以外にも、ホテルや旅館のブッフェで使われるお米も作っていますが、コロナ禍の前後で、必要とされる業務用の米の種類も変わってきています。

 今の農家は、農作業をしているだけではありません。自分が作ったものを食べてもらうために活動するプロデューサーとして、何でもできるのが魅力だと思っています。

■今後の展望

 私たちの水田は、阿蘇山のカルデラに広がる草原地帯にあります。年間平均降雨量が3,000ミリを超えるうえ、火山灰土は酸性土壌ですから、本来ならば農業生産には不向きな土地です。

 通常ならば火山灰土壌に触らないよう、ごく浅く耕すところを、父は深耕して水はけを改善し、牛を放牧して牛糞を利用した土づくりを進めたことが内田農場の礎になっています。

 水害や地震などの自然災害で、阿蘇の農業も劇的に変わりましたが、私たちは大切な財産である農地を預かって、地域に根ざして米を作っていくしかありませんから、今後も状況の変化に柔軟に対応しながら、喜ばれる米、求められる米を作り続けていきます。

 一緒に働く従業員や若い世代には、農業を仕事に選んだことが人生の豊かな選択肢だと思ってもらえるような経営を目指していきたいと思います。

 父をはじめ、阿蘇で農業を営む人たちは、カルデラのさまざまな特性に合わせて、長い年月をかけて農地を改良してきました。雨の多さや、草原地帯、放牧牛は、阿蘇のアドバンテージだと思っています。これらの資源を地域で循環させながら、米作りを通じて、阿蘇の風土を表現していきたいと思っています。

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