豊田 祐大朗/花園芸の豊田
カーネーションと生け花用花材を栽培。アレンジもこなす農家
■プロフィール
カーネーションと華道家が生け花用に使う花材を専門に生産する農家の3代目。
祖父は、1978年に42歳の若さでハウスを建てた翌年に他界し、当時高校生だった父が、大学進学を断念して花づくりを継いだという歴史を見てきたので、幼い頃から「おじいちゃんのハウスで育ったカーネーション」を身近に感じながら成長する。
九州学院高校を経て、東海大学熊本キャンパス総合経営学部を卒業後、地元の物流系企業に1年間勤めるも、実家の周辺に宅地開発化が広がってきていることを知り、脱サラして2013年に就農。
父が60歳になった2022年、経営権を引き継ぐ。熊本県内の若手花農家が集まった生産者グループ「THE BOUQUET」として、マルシェに合同参加したり、コロナ禍の医療機関に花を寄贈したりする支援活動も積極的に行っている。
■農業を職業にした理由
ハウスを建てた翌年に亡くなった祖父や、大学進学を諦めて花づくりの道へ進んだ父の思いを受けて、幼い頃から、会ったことがなくても祖父を身近に感じて育った。
初めて就農を意識したのは、中学時代に担任の教師が、校舎の目の前にある田畑を見て「この畑も10年後には消失してしまうだろう」と呟いたことに衝撃を受けたのがきっかけ。
当時からハウス周辺は宅地造成や大型ショッピングセンターの開発で、毎年のように農地が減少していたので、「自分が継がなければ、祖父のハウスが無くなってしまう」と恐怖を感じたという。
大学卒業後、民間企業に勤めていた期間に、実家のハウスがある周辺地区が宅地化される計画が浮上したことから、退職して父のもとで就農を決意。熊本市内にはかつて菖蒲など生花用の花材を育てる農家が20軒近くあったが、現在は4軒に減少。
生活様式の変化や趣味の多様化により、500年の歴史がある生け花人口が減少するなか、伝統文化の守り手として花材生産を続けている。
■農業の魅力とは
カーネーションは毎年、半分の品種を入れ替えていますので、季節ごとに花の成長やさまざまな変化が実感できます。
僕らは花屋ではないですが、最も鮮度の良い状態の花をお客さまへ届けたいという気持ちから、自前でアレンジを作っています。そのため、一般的な花卉農家とは異なる悩みにぶつかることもしばしばです。
例えば母の日用のアレンジを送る際も、送り先ごとに発送日を変えたり、万が一、配送中に開いた花びらがボックス内に触れないように梱包を工夫するなど、日々細かな調整をしています。
それもすべてお客さまの元に届いた時に最善の状態を保ってほしいから。感謝や喜びの声をいただくたび、来年はこんなボックスにしてみようとか、次から次へアイディアが湧いてきます。
時には包装資材に凝りすぎたこともありますが、新たな課題をクリアする度に、見える景色が少しずつ変わってきて常に目標や挑戦したいことが、目の前にあり続けることが大きな魅力です。
生け花用の花材は、飲食店やレストランのほか、生け花の作品や教室で使っていただいてます。以前、関係者の方に「豊田さんは流派を背負っていると思って花づくりをしてください」と励ましていただいた時には感動しました。
500年を超える日本の生け花文化を支える思いで続けています。繁忙期は仕事中心の生活になってしまいますが、家族経営のため、毎日の子供の成長を近くで見守れることも魅力のひとつです。
■今後の展望
就農以来、父を師匠に二人三脚でやってきましたが、2015年頃から自分たちでアレンジする直販事業に挑戦しています。
花屋に材料を提供するだけではなく、収穫した最も鮮度の良い状態で消費者に届けたいと、当初は友人知人向けに小規模でやっていたのですが、父には「手間がかかることをするな」と反対されました。
でも、市街化で農地規模を拡大できない以上、1本の花の価値を高めるために必要だったと思います。食べチョクなどを通じて、お客さまから高い評価をいただくようになって、父の考えも変わってきました。
僕らは花屋ではないので、いろいろな花材の組み合わせはできませんが、工夫次第でカーネーションだけでも華やかに見せられることが伝えられました。熊本県内の若手花卉農家6人で「THE・BOUQUET」という生産者グループも作っているので、2022年秋にはみんなの花を産直サイトで売ろうと計画しています。
今のハウスがある場所も宅地化で10年以内には代替地に移転しなければなりませんが、祖父が始めて、父が守ったこの農園を、世の中に広めていくのが3代目の僕の役割だと思っています。
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