【ゲーム分析】「信長の野望」は何のシミュレーションなのか?(前編)
コーエーの「信長の野望」シリーズは、人気の高いストラテジーゲームです。
しかし、シミュレーションゲームでもあると考えた場合に、果たして何をシミュレートしているのか、という疑問にぶち当たりました。
その疑問を解き明かす過程を考察してみたいと思います。
(後編はこちら)
デジタルとアナログの違い
はじめに結論を書くと、デジタル(コンピュータゲーム)の「信長の野望 シリーズ」よりも、アナログ(ボードゲーム)の「戦国大名」(エポック社)の方が、かえってテーマが分かりやすい。
その要因には、「コンピュータの計算能力がすごい」のと、「デジタルゲームの市場規模がアナログゲームよりもはるかに大きい」という、いずれもデジタルの方がむしろ有利に思える条件が関係していました。
抽象化するということ
シミュレーションと言う場合、デジタルでもアナログでも、抽象化の作業が必要なことは明らかです。
例えば、4km×3kmの地図をゲームで再現する場合、1万分の1くらいに縮小することになる。
デジタルであればPCモニター、アナログであればテーブル上の空間という前提条件があり、どちらも例えばざっくり40cm×30cmだと想定した場合です。
さらにその地図を例えば20×20マスに仕切るとしたら、1マスは200m×150mを表しています。(ここでは単純化のために、へクスではなくスクエアのマスということにします)
これはつまり、抽象化をしていることになる。
例えば、あるマスの地形を「森」に決めたら200m×150mの矩形全てが森であると割り切ることになるし、街と街の間にマス目の線を入れて区切ったら、実際の距離が50mでも350mでも同じ移動コストであると割り切ることになります。
その盤の上で動かす部隊は、例えば4m×3mの中に1人の割合で密集したとしたら、1マスの中には50×50=2,500人まで入ることができる。
これをゲームに登場させるときに、2,500人を1駒で表すとか、500人で1戦力として5戦力まで1マスに置けるというルールにして、やはり人数も抽象化しているのですね。
つまり、仮に500人を最小単位と決めたら、500人に満たない部隊は存在しないことになるか、少なくとも戦闘力はなかったと割り切ったということ。(「戦国大名」では、1千人で1戦力)
シミュレーションの精度
コンピュータゲームでも、地形の抽象化は当然必要です。
ゲーム画面を描画するときの単位である1画素が、実際の何mに相当するかが決まるので。
ところが、コンピュータゲームでは兵力の抽象化については事実上必要ないと言えます。
なぜなら、人間や兵器は数が数えられるものであり、コンピュータが扱える数値は(仮に16bitのint型整数でも)65,536段階もあるから。
例えば関ヶ原の合戦で最大の兵力を率いた徳川家康隊でも約3万なので、それぞれの大名を1コマにして兵力を1人単位で表現することができる。
仮にもっと大規模な軍があったら、32bitのlong型整数つまり約43億まで使えるようにすればいいだけです。(興味がある人は65,536×65,536を計算してみて下さい)
また、戦闘結果の再現力にも、文字通り桁違いの差がある。
アナログゲームでは乱数として6面体サイコロ1個の6パターンや、2個の組み合わせで36パターンの結果を使うことが一般的です。
それに対して、デジタルの乱数発生関数を使えば、やはり16bitなら65536パターン、32bitなら約43億パターンの無作為な結果を作ることができてしまう。
ということは、理論的には、デジタルの方がアナログよりもはるかにリアルなシミュレーションができるはずなのです。
では、コンピュータゲームの何が問題で、リアルなシミュレーションにならないのか。
それは、シミュレーションに加える要素として、部隊を率いる指揮官に高い比重を置いてしまうことにあります。
指揮官の数の問題
そもそも単純なエリア争奪ゲームである「信長の野望 全国版(以下、全国版)」では、指揮官の比重は限りなく小さく設定されていました。(というか、大名以外出てきません)
例えば兵力2千人で隣国を攻めた場合は、そこには当然2千人の部隊を率いるのにふさわしい指揮官がいるはずですが、その能力が結果に与える影響はゼロに近いと考えて、いないものとされているわけですね。
つまり「全国版」では、指揮官の数を国持ち大名の50名だけに絞る、という指揮官の抽象化をしたことと同じです。
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貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございました。有意義な時間と感じて頂けたら嬉しいです。また別の記事を用意してお待ちしたいと思います。