あとは連覇

無関心を装っていたが実際のところは気になっていたのだろう。ほかでもない阪神監督通算500勝だ。それを19日のヤクルト戦に勝利して達成した岡田監督、こんな婉曲手法で自らが切り出した。「試合が終わりベンチを出る時顔を合わせた阪神園芸の人(グラウンドの整備員)に『おめでとうございます』と言われたが何を言っているのか意味が分からへんかった」。

 19日の勝利で500勝。平成14年、阪神で初めて指揮をとって以来、今年合わせて6年で達成した。阪神ではこれまで25人の監督が指揮を執っているが500勝は藤本定義氏の514勝に次ぐ勝ち星だ。

 藤本氏は戦前巨人の監督を務め戦後、パリーグの太陽、金星、大映、阪急で指揮を執り、阪神には昭和34年投手コーチとして迎えられ36年のシーズン途中、代理監督、翌年監督に格、以来通算合わせて7年、監督を務めその間2度リーグ優勝を飾った。

 そのころ岡田監督の父親は、大阪市内で商売をしていた。大の阪神ファンで、昔風にいうとたにまち、阪神の関係者が出入りしした。昭和37年、2リーグ分立後阪神が初めてリーグ優勝、大阪、神戸をパレードした時当時小学生の息子岡田彰布氏が藤本監督の膝の上に座っている写真は広く知られているが、それは上記のような関係もあって実現した。

 藤本さんの野球は二人のエースが根幹で阪急時代は梶本隆夫氏、米田哲也氏。阪神では小山正明氏、村山実氏に村山、J・バッキーの組み合わせ。厳格のローテーションでフル活用した。投手の分業制全盛の今は昔の話だが投手力第一という点で岡田監督は藤本さんと共通するところがある。

 守りを重視したところも同じだ。藤本さん時代の阪神の守りの中心は遊撃の吉田義男氏だ。岡田監督は今年正月、評論家で元気な吉田さんと対談、阪神強化は守りの一層の充実で一致した。

 藤本さんは阪神で2度優勝した唯一の存在だが昭和37、39年の達成で37年は小山さん27勝、村山さん25勝。39年は村山さん22勝、前年8勝のバッキーさんが大化け29勝した。こんな阪神だったが38年は小山さんが球団と対立、村山さんは腱鞘炎と内臓疾患で共に10勝台にとどまり3位に終わった。

 藤本さんの514勝越えは時間の問題で岡田監督の目標は藤本さんが達成出来なかった連覇。開幕以来本拠地甲子園球場の試合、4万人越えのファンの願いでもある。二人とも競馬が趣味。藤本さんはヘビースモーカーで試合中チェンジのたびに通路で一服。岡田監督は後ろの棚に置いた例の飴をなめいる。

令和6年5月21日

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