岩井克人の論法

岩井克人の半生を語り下ろしたような一冊を読みました。
なんかこの人は当たり前のことを驚くというか、え?そこまで思考してその結論なの?というのが、この人の著作をはじめて読んでから、20年弱たってからの感想です。

岩井克人との私

詳細はwikipediaでもみれば情報が入るこのご時世。
高校時代の教師が強く薦めていた「ヴェニスの商人の資本論」を大学の合格発表前に読んだのが最初でした。
読んだ感想は、衝撃。シェイクスピアの作品を経済学的な用語で説明する、しかも、やや硬いながらもユーモアもある文章で。すごい!
次に「貨幣論」を読む。貨幣はなぜ使われているか、それは貨幣だからだ!小泉進次郎構文が出回るよりもはるか前にこの結論に驚く。
次は会社論。ちょうど、ライブドアが飛ぶ鳥を落とす勢いで古臭い企業の買収をやろうとしていたところ。当時のホリエモンの主張である株主主権論は法人=人、モノの両義性が理解できていない、人は支配されないのだと論破! 古くからの日本の会社はこの両義性を理解できているのだ、という主張のところから、ちと付き合いきれないなあと遠ざかってしまい、はや15年くらいが経過しました。他にもいくつか筑摩書房から出ている文庫本も読んだのですが、いつかの引っ越しの際にまとめて処分してしまいましたね。上の3つの理論で岩井克人の論の立て方とそこから導かれる結論があまりに陳腐なのですよね。

岩井克人の論の立て方

貨幣論を例にとると、お金をみんなが疑問なく使っているのは、法律によるものだという貨幣法定説とお金自体に価値があるという貨幣商品説があります。でも、どちらの理論も考えてみると、例外が出てきますよね。貨幣法定説が正しければ、法定通貨外の国で買い物するときに米ドルとか日本円での支払い拒否されるはずなのに、むしろ、現地通貨よりも喜んで受け取ってくれたりします。これは貨幣が法令に基づくかない場合でも、人々に受け入れられているということですね。
一方の貨幣商品説も明らかにおかしい。というのも、日本銀行が1万円をするのにかかるコストはせいぜい数百円といったところで、日本銀行券1万円に1万円の価値はありません。これは、ただの紙切れだけど、人々が1万円の価値があると思っているから成り立っているわけです。
岩井氏はこのように2つの対立する考えを並べて、どちらも間違っており、正しくは貨幣は貨幣として使われるから成り立つという自己循環論法を使って貨幣の特徴を説明します。この論をさらに進めていき、貨幣が貨幣として信頼されるこの循環が崩れる時、それはハイパーインフレーションが起きて資本主義の危機となるときだといいます。

その場合ってさ、資本主義の危機というよりも

貨幣論を読んだときはなるほど、ハイパーインフレーションとは恐ろしいとしか思わなかったのですが、そもそも、ハイパーインフレーションが起きる様な状況だと、資本主義の危機以前に市民生活の危機が起きてきます。物資が極端に不足しているとか、通貨の発行主体である中央銀行=政府が極端に不安定な状態にあるとか。ハイパーインフレーションがあたかも起きるような前提が岩井氏の思考の中にはあるのがおかしくて、ハイパーインフレーションが起きる社会情勢だと普通に生活するのも大変な状況ですよね。そのときに貨幣の心配なんてしますかね。なので、貨幣の自己循環論法は思考実験としては楽しいものの、それが崩れるときというところまではちと蛇足感があります。

とはいうものの

会社論も不均衡衝動学も同じような感じで、2つの論を並べて、それらとは違う答えを導きつつ、それを突き詰めた結果、とんでもない方向の結論が出てくるというのが岩井論法です。それを改めて確認できたのはよかったです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?