同時通訳中 2023/8/30

未経験ジャンルの通訳するのって、もしかして、医師が専門外領域について意見を求められるのに似ているのだろうか。ジャンルが違えば用語も文脈も変わるのでハンデになる。
そもそも言語はそれぞれの社会の成り立ちと共にその文化圏特有の価値観を反映させながら発達するので、別の言語に必ずしも対になる訳語が存在する訳ではない。例えば翻訳論の本によく登場するエピソードとして、日本の学者たちが明治期、当時国内に存在していなかった概念を表す外国の言葉を訳す必要性に迫られた際、非常に苦労したというものがある(「社会」や「愛」など)。そしてその新たに創出された訳語とともに外国の新しい概念が日本人の意識の中に入ってきた。
日本語はかなり独自の進化を遂げて来た言語だ。欧米諸国と同じような顔をして国際会議の場に顔を出したりしているけど、構造からして彼らの言語と全く違う。主語を立ててアクションを表現する西洋言語と情景を語る日本語の間に通訳を挟んで、気候変動や人権、社会問題、あるいはビジネスについていくら話し合おうと、互いの世界観とそれを成り立たせる価値観がそもそも全く違うということを度外視しては、議論は噛み合わないのではないか。

ともかく異なる言語に訳語が必ず存在し、簡単に置換できると思ってもらっちゃ困る。それに事前の情報共有なしに訳してもらえると思っているとしたら、お気の毒様である。困るのは通訳を聞く側だ。こちらは準備できた時と比較すると50%程度の力しか出せない。同時通訳は準備5割、集中力(体調や前日の睡眠の質など)3割、残り2割が発言者の声の質(他にノイズがないこと、発声、滑舌、発音など)。だから事前の情報(資料)共有は任意でなくマスト。それさえあれば固有名詞や用語だけでなく文脈の把握もきるので、「アレをアレして」という発言が仮にあってもどうにかできる(かもしれない)。

これを他のケースに置き換えるなら、まあまあ複雑な筋の小説の適当なページを突然見せられて、意見を求められるのに似ているかもしれない。そこに至るまでの経緯とか、登場人物相関図とか、なんらかの補足がなければ、つまり文脈がわからないものに対しては、意見は出てこない。どんな読者層を抱えたどんな作風の著者が書いたどのジャンルの話なのか、そこに至るまでどんないきさつがあったか。少なくともそれがわからない限り、目の前の文字を読むことはできても、まるで意味をなさないだろう。
文脈が分からないまま通訳するというのは、その文字だけを追う状態と全く一緒。ただただ聞こえてくる言葉を拾い、意味を読み解くハナから(読み解けなくても)別の言語に素早く変換して、噛まないように滑らかに口から出す。しかも逐次と違って発言者を止めるわけにもいかず、意味がわからなかったり聞き取れなかったりで絶句しても、取り残されるだけ。
と言うわけで持ち時間は一瞬も気が抜けない。うっかり主語を聞き逃すとその後ずーっと「誰(何)の話?」と悶々としながら訳し続けないといけない。手探りの通訳は倍疲れる。だから音に非常に敏感になっている。話者がマイクを使っておらずノイズが入ったり、先方のWiFiが遅くて途切れ途切れになったりすると(基本リモートのオンライン会議だから)、更に神経を尖らせることになる。そんな中、通訳音声を聞いている人がミュートし忘れやイヤホン不使用でその音を会議にダダ漏れにさせると、自分が喋ってる声が全部エコーして返ってくるんだから堪らない。ペアの相手がいれば強制ミュートしてくれることもあるけれど。また家の外から聞こえてくる町内放送、アラーム、選挙カー、救急車の音は全て敵。通訳時間を計算に入れて配達時間指定しておいたのに早めに来ちゃう配達の玄関チャイム(そういう配達員の人に限って何度もピンポンしがち)も地雷。

そんなふうに滑稽なまでに必死で取り組んで、出来がイマイチだったときには激しく落ち込んで。日々気になった言葉を調べ、言葉について考えている。結構真剣にやってるのだけど、機器の不具合やちょっとした技術的な取り違えでその努力が水の泡になったしすることもあるから笑えない。あくまでもギャラと自己満足のためにやってるんだと割り切って、引いた目で見た方が健康的に取り組める気がする。

あと、会議開始前にお声かけてもらうのは嬉しいけど、会議中(同時通訳中)に話しかけられるのは困る。そのコメントも全部こちらは訳すのみで、基本お返事できないんですよ。ということはつまり、訳している間、こちらの人格はないに等しいってことか。長くやるつもりはないとは言え、変な仕事だ。

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