幸福論
ジョジョ第七部 Steel Ball Run のいわゆるラスボス、ヴァレンタイン大統領はかく語りき。
「「陽」のあたる所
必ず「陰」があり…
幸福のある所
必ず反対側に
不幸な者がいる
……………
「幸せ」と「不幸」は
神の視点で見れば
プラスマイナス
『ゼロ』!
『安定した平和』とは!
平等なる者同士の
固い『握手』よりも
絶対的優位に立つ者が
治める事で成り立つのが
この『人の世の現実』!!」
概ね同意する。
悪い奴の存在は、純粋無垢な善の者の存在を証明する。
逆もまた然り。ある評価対象が存在するということはその逆も同時に存在しなくちゃあいけない(これってもしかして、村上春樹の納屋を焼くとの関連は?)
結局、あらゆる事象は比較対象が存在して初めてそのモノの価値が決まるわけでもある、ということを俺は認めている。
しかし、不平等、均衡が保たれていないとは思わないか?
悪、例えば人の富を窃盗する者の存在は、されるものの幸福を妨害しているわけだ。
神の理論によるプラスマイナスゼロが正しいものだとすれば、どこかで均衡が保たれないといけない。
以上に挙げたものは、極端な例だが、些細なところで生活に付きまとう概念だと思う。
昨今はやったもん勝ちな風潮があると思う。善行でも悪行でも大層な、私にとっては時として綺麗事に感じてしまうようなことを語ってる人物が多い。善悪に関わらず。
自信をもって自分を評価するが、俺はそういう人物たちと一線を画していると思っている。都合のいい慰めは吐けないが、良い意味でも悪い意味でも人それぞれその報いを受けるべきだと思ってる。一生懸命で正々堂々としている奴が、報われてほしいと心の底から思っている。
俺がそう思っているということは、逆の思いも存在しているということです。
愚かな奴が破滅してそこらへんで狼狽えてる姿を俺はとても見たい。
幸福な奴を観たいということは、逆もまた観たいという感情はいたっておかしいことではないだろう。
幸福は常にプラスマイナスゼロなのだから。